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1 :世界@名無史さん:2012/08/20(月) 20:59:17.89 0
なんかで見たんだけど、ヨーロッパ人が容姿淡麗なのは500~1000年ぐらい前に意図的にブサイクを大量虐殺して、容姿淡麗な民族を作ろうとしたからみたいなんだけど、何事件か教えて下さい。

2 :世界@名無史さん:2012/08/20(月) 21:20:35.98 0
逆。ヨーロッパ人が世界の文化や文明を最初に制覇しちゃったから、
ヨーロッパ人の価値観が美の基準になっただけ。

美醜は単なる文化。

その証拠に、浮世絵の美人絵って当時の美人の基準だ。平安絵巻みたいな
うりざね型は今ではブスの代名詞だろ。目も細いし。

3 :世界@名無史さん:2012/08/20(月) 21:42:23.60 0
× 淡麗
○ 端麗

4 :世界@名無史さん:2012/08/21(火) 14:09:38.81 P
欧米人に美人が多いのは歯並びを矯正するから。
よほど貧乏で無い限り、男も女も歯の矯正はする。
二重瞼で鼻が高いから、歯さえ直せば美男美女。(太らなければ)

逆に治さないと白人でもブ男やブスになるリスクを被るうえに、
自分は育ちが悪いです、と言っているようなもんだ。

日本人も100%とは言わないまでも、
歯並びさえ治せばたいていの人は美男美女になるんじゃないかな。
金待ちの子女はみんなそこそこいくだろ。


5 :世界@名無史さん:2012/08/21(火) 15:57:24.11 0
縄文人は歯が小さくて歯並び良かったみたいだよ。

6 :世界@名無史さん:2012/08/21(火) 17:17:03.36 0
硬いモノを食べないからアゴ細くなり、歯並びが悪くなるんだよ。
アゴが細い方が最近では美しいって要素になっているこの矛盾。

7 :世界@名無史さん:2012/08/21(火) 18:47:22.35 0
日本人は歯の小さい縄文人と歯の大きい弥生人が混血したから歯並びが悪くなった
日本人の八重歯の発生率は異常に高い
逆に朝鮮人はエラが発達してるから八重歯があまり見られない

8 :世界@名無史さん:2012/08/21(火) 23:10:01.97 0
日本人が綺麗になったのは、進駐軍がレイプしてくれたおかげw

9 :世界@名無史さん:2012/08/22(水) 14:03:03.40 0
室伏アニキがうらやましい。

10 :世界@名無史さん:2012/08/22(水) 23:13:08.77 0
コーカソイドの先祖はエデンの園( ペルシャ湾、及び緑だったその周辺 ) で豊かで暖かい
環境で余裕があり、美人がモテるという性淘汰が発生した。
一方、ヨーロッパに4万年前に入った第一陣の人類は黒人状態だったが氷河期が終わって
ペルシャ湾も水没したのでヨーロッパをはじめコーカソイドたちは中央アジアや
北アフリカなどに広まった。
一方、モンゴロイドの先祖は極地に入り全身毛皮で容姿もクソも無く生きるのに精一杯で
性淘汰は起きなかった。こういうシナリオで学会で通らないか?

11 :世界@名無史さん:2012/08/22(水) 23:19:02.49 0
>>10
通るわけねーべw

美醜なんて文化の要素が強すぎる。今、西洋的価値観が制覇をしているのは単に、西洋が最初に
地上を支配しちゃったからに過ぎない。

12 :世界@名無史さん:2012/08/22(水) 23:47:01.39 0
もう、それらしい説は発表されてるわ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%AB%AA

13 :世界@名無史さん:2012/08/22(水) 23:58:28.75 0
日本に来たとき天狗とか思われてた
中国でもこんな珍妙な生き物が居たのかと書いてなかったっけ

14 :世界@名無史さん:2012/08/23(木) 00:03:56.85 0
中国には、トルコ系の人が沢山出入りしていたから、碧眼とか珍しくなかったのでは?
ウイグル系もあるな。金髪はあまーりいないだろうけど。

15 :世界@名無史さん:2012/08/23(木) 00:20:49.79 0
新疆ウイグル自治区内のタジク族
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16 :世界@名無史さん:2012/08/23(木) 00:34:43.45 0
トルコの王宮には白人の宦官がいたし、
千一夜物語には「フランク人」の嫁さんを迎えてウハウハ(死語)などという物語がかなりある。

文化が発達する以前から、白人の容姿は美しいと見なされていたのでは?

17 :世界@名無史さん:2012/08/23(木) 00:41:14.88 0
キエフを滅ぼしたバトゥは
ロシア人の美しさに目を奪われた。
これまで会ってきたどの人種よりも美しかった。
そのロシア人の中でも特に見栄えのいいものを
眺めることがバトゥの楽しみになった。

つまり視姦が趣味になったのだ。

18 :世界@名無史さん:2012/08/23(木) 02:05:13.41 0
>>16
>トルコの王宮には白人の宦官がいたし

ハァ? トルコ人は白人じゃないと? 典型的なアナトリア原住民が住んでる白人なんだが?

19 :世界@名無史さん:2012/08/23(木) 03:53:11.23 0
>>11
違う。
それは人種差別や偏見を含むためにその論に誰も反対しないだけ。
どの文化圏のどの人種が見ても引き締まった体躯の汗血馬はロバより美しい。
ライオンよりハイエナの方が美しいと思う文化は無い。

かつては西洋でも一般ではぽっちゃり型の方が好まれていた。
やせていれば出差に危険が伴うし、授乳・免疫などの問題で子供が育たない可能性がある。
何より、親の経済的脆弱性が問題とされる。
貴族はその点、経済的・育児的問題が無いために「やせている」事を競うようになった。

しかしこれは、ようするに女性が衣食住事足りた場合、
やはり現在の美の基準が最も正しい事を示す。
生命の維持と繁殖に問題が無いのならば、手足がすらりと長く
豊かな髪、細い腰に美を感じるのは普遍的な人間の本能。
西洋よりも遥かに古い文化圏の中近東、あるいは古代中国でもその価値観は変わらない。


20 :世界@名無史さん:2012/08/23(木) 04:13:56.46 0
>>17
肝心のそのロシア人たちは、支配者のモンゴル人の形質である背が低い人を美しいとしたけど?

>>19
はあ?ぽっちゃり体型の女性を多くを描いた人もいるが?
現代の美の基準は、細すぎる体型を美としすぎ。

標準体型の+10%が統計的に、一番長生きとされているんだろ?
芸能人の体型で行くと、山田花子あたりが一番長生きの体型に該当する。

現在は、美の基準が不健康過ぎる。これじゃ、中国のてん足と変わらない。

21 :世界@名無史さん:2012/08/23(木) 04:17:00.68 0
何度でも言うが、美の基準は単なる文化。
文化が変わると美の基準は無茶変わる。絶対性はない。

健康的である方がモテるはずだろうが、健康という要素一つにしても >>20 のありさま。

22 :世界@名無史さん:2012/08/23(木) 11:07:40.25 0
世界中を回って比較したわけではないが、テレビなどからの印象を加味すると、
モロッコからアフガニスタンあたりにかけての地域が最も容姿が優れていますね。
ヨーロッパ系は南欧と東欧はいいけど、中欧から北欧は駄目ですね。

23 :世界@名無史さん:2012/08/23(木) 23:49:05.47 0
女は色白がもてるのはどこも共通する文化であり
いわば文明だな

24 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 01:00:40.39 0
スレ主だけど、最近テレビで見た事件なんだよね。やっぱ情報薄くてわからないかぁ。ggってもそれらしいの出てこないし

25 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 01:04:58.09 0
>キエフを滅ぼしたバトゥは
>ロシア人の美しさに目を奪われた。
>これまで会ってきたどの人種よりも美しかった。
>そのロシア人の中でも特に見栄えのいいものを
>眺めることがバトゥの楽しみになった。

中世ロシア史とモンゴル帝国史関連の本だいぶ読んだんですけど聞いたことありません。
出典は?

26 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 01:05:42.22 0
>>23
ガングロ 一時流行ったが、文化で美醜が変わった事態は変わらない。
白人も日焼けする人が多い。

27 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 01:05:49.97 0
>>23
確かに黒人でも
色が白いほうが尊ばれるみたいだな

28 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 01:18:01.04 O
中世ロシア史なんてどこで学べるんだ

29 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 02:01:22.21 0
>>27
無理矢理無視するなよw

30 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 02:22:50.24 O
逆に肌白を醜いとする文化を知っているだろうか

いやそれ以前にガングロを美しいと感じた人間を知っているだろうか・・・

31 :<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2012/08/24(金) 02:30:15.06 0
あまり白いのはイヤだな。小麦色がいい。それと弥生系、朝鮮系はイヤだ。
縄文系の目がパッチリで多少ぽっちゃりで○ぽい(・ω・)で、ボインがいいな。

32 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 06:43:27.54 0
>>26
あれは、マスゴミが流行空振りした初めての例。
ガングロが増えた結果、男が女に興味を失うぐらいの深刻な事態に
陥ったからな。あれを認めた女はともかく、男は聞かないね。

33 :名無し募集中。。。:2012/08/24(金) 06:51:00.02 0
美人が多いのはロシアでも南よりのウクライナとかでしょ

34 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 10:04:47.02 0
リトアニアとかベラルーシだろ

35 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 10:15:56.78 0
いずれもアーリア人の血が濃い地区だな

36 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 10:31:12.88 0
>>32
スケバンファッションなど、男が女に求める美と女内部で求める美が違ってる例なんて過去に
いくらでもあっただろうにw

いずれにせよ、美の絶対的基準はないという例にはなるな。

37 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 12:12:01.36 P
ウクライナはロシアの西では?

ウチにいるロシア人社員たちによると、
少しラテン系が入ったのが好みのようだ。

肌の色は少し褐色が入ったくらい。
眼孔が深すぎず、目は大き過ぎず小さすぎず、目尻は切れ長。
唇が厚い。中肉中背で背が高い。
要するに、機内誌の化粧品の広告とかでよく見るちょっとコワイ顔のお姉さんだね。

あと健康度は重要で、どんな美人顔でも、
肌がきれいで歯並びが良くないとアウト。

東洋人の顔は美醜のモノサシの外のようで健康度が重要な判断基準になるらしい。
別に東洋人だから醜いとは思っていないようだ。

38 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 12:20:16.55 0
ニーナ・ドブレフとか。

39 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 13:06:45.57 0
>>23
図書館行って「ロシア史」「中世ロシア」「ルーシ」あたりで検索すれ

40 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 13:31:17.20 0
>>37
日本の80年代アイドルの歯並びは悪かったなw
そうやってわざと歯科矯正しないで、普段着のアイドルってのが当時の売りだったような気がする。

シベリア抑留者の記録を読んでいると、男でも特定の人がやはりモテるんだよな。
俺は文章による印象だと「やさ男」系統がモテている印象を持っているが、写真を見ていないから本当のトコは分からないw

41 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 14:42:11.54 P
>>38
こんな顔の子が事務所におったとき、確かに男どもの目線を集めとったわ。

この辺(ロシア西部)の女の子は、
俺らの目から見ると美人がデフォルトでブスがほぼ皆無。
当のロシア男にしてみると、美人に越したことは無いが、
それは大した問題では無く、健康度と性格が重要らしい。

ウチのロシア人たちの彼女の写真を見ると、
確かに中肉中背、お肌つるつる、歯並びバッチリだ。
(恥ずかしげもなく、彼女とのツーショットを壁紙にしている。
まあ、結局どれもモデルか女優かアイドル並なのだが。)


42 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 15:40:44.28 0
>>40
内田とかトーレスみたいなタイプ?
おそらくああゆう優男が、本能的に老若男女を問わず好感を持たれるタイプの顔立ちなのだろう。

43 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 16:33:06.48 0
外国でも少数にしても優男志向はあると思うが、優男って日本以外だとなんて呼ばれてるの?
英語ですら思いつかないわ

44 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 17:11:37.55 0
アメリカでは、明らかに筋肉むちむちの方に志向が向いているな。
なんで日本には優男志向が強いんだろう?

45 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 18:47:41.03 0
トーレスだって筋肉ムキムキじゃなくても普通の人に比べれば、
比べ物にならない体付きだろう。
トーレスはユーロ決勝の試合後にも自然と各選手の子供達に取り囲まれたいた。
優男かどうかは体付きよりも顔立ちの方が重要だろう。

46 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 19:34:38.14 0
容姿だけの評価なら世界的にはアラブと東欧が最高地域のようですね。

47 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 19:37:30.68 0
ニーナ・ドブレフ最高

48 :世界@名無史さん:2012/08/24(金) 22:14:41.67 0
優男志向は昔からある西洋にもあった
筋肉むちむちは最近アメリカだけ
アメリカの文化である

49 :世界@名無史さん:2012/08/25(土) 00:07:11.15 0
ところで、なぜ日本において、高学歴者は容姿端麗に見えるのでしょうか?
育ち方によって容姿は変わってくるものなのでしょうか?


タン・レイ
http://www.ted.com/talks/lang/ja/tan_le_a_headset_that_reads_your_brainwaves.html

50 :世界@名無史さん:2012/08/25(土) 02:31:02.39 0
>>18
18世紀19世紀の前半の頃に「黄色人種」というとトルコ人やアラビア人やペルシャ人のことだったから・・・・・・

51 :名無し募集中。。。:2012/08/25(土) 10:19:20.43 0
黄色人種ってモンゴロイドの意味だろ

52 :世界@名無史さん:2012/08/25(土) 17:38:50.28 0
>>48
そうだったのか。

53 :世界@名無史さん:2012/08/25(土) 21:56:23.44 0
とは言え、ヨーロッパの美男子…アランドロンとかジェームス・ボンド役にしても極端にムキムキではないにしても
それなりに筋肉質じゃないかと思うのだが。


54 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 01:27:34.83 0
日本のアニメキャラクターは白人なのでしょうか?

55 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 01:36:11.66 0
>>1
最近の学説では、ペストで 不細工が死んだからが最有力説。
ちなみに日本は、太平洋戦争で、不細工が死んだから説が強い。

56 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 01:37:23.87 0
「日本のアニメキャラクター」としかいいようのない何かだ。
それに金髪とか白人っぽい記号的属性がついてたりするだけ。

57 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 01:37:56.31 0
>>56>>54

58 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 01:42:48.73 0
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

日本は美しい…日本は素晴らしい……だけど日本人は…という服飾業界の嫌味か?

59 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 02:45:06.88 0
ファッション誌を見ても分かるが、
普通の日本人の体型に合わないようなファッションや
パリの最新の流行がとか、
だれが一番の戦犯なんだろw

60 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 08:18:49.84 0
世界的に問題となっている人種差別は、歴史的にはある時期から白人が富と力を得てから発生したものです。
ヨーロッパやアメリカで大きな社会問題となっている人種差別の根源は、全て白人問題であると言われています。

61 :名無し募集中。。。:2012/08/26(日) 11:34:02.65 0
>>58
これはw

62 :名無し募集中。。。:2012/08/26(日) 11:34:41.77 0
>>60
それは違うよ
西欧停滞期でイスラム全盛期でも
アラブ人が黒人差別してたから

63 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 11:40:16.46 0
エジプトの歴史でも、エジプト南部の黒人が北上して、エジプトを支配した時代があったような…。
当時のエジプトでは、古代エジプトの文化や伝統が失われていて、むしろその黒人支配層が
その文化を保持していたから、逆に文化復興になったんだよな。

その時代だと、アラブ<<黒人なのかなw

64 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 16:23:00.02 0
エジプトは黒人だろ

65 :名無し募集中。。。:2012/08/26(日) 17:25:18.04 0
サハラ砂漠より北がコーカソイドのアラブ人
南がいわゆる奴隷黒人になる

66 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 18:15:52.11 0
それは新しい時代のことだろ。
イスラム帝国でアラビア人が流入、その後オスマン帝国が東欧から兵員や農耕奴隷をどっさり投入して、
すっかり白くなった。
イベリアを700年間支配したモール人なんて真っ黒けだったし。その前の古代のリビア人やらエジプト人も
肌の黒い人だったし。

67 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 19:08:32.14 0
人種的にはコーカソイドなのは?ちょい肌の色は黒いのだろうけどね。

ムーア人が黒人だ という観念も、シェークスピアの戯曲『オセロ』によって誤って広められたものだそうで。

68 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 19:11:35.13 0
エジプトが黒人とすると、世界最初の文字も黒人で、世界最初の文明も黒人ということに…w
(メソポタミアのモノより、500年ほど前の文字が見つかっているんだよな)
今のアルファベットも元を正せば、エジプトのヒエログリフな訳で。
黒人が発明したものをつかっているということに…。

まあ、人種差別満開で考えるのも良いけどさーw

69 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 21:02:03.12 0
肌の白い黒いは創造性や知能にあまり関係ないというけれど・・・・・・

70 :名無し募集中。。。:2012/08/26(日) 22:15:19.13 0
>>66
ムーア人ってモロッコ系だから真っ黒じゃないよ


71 :名無し募集中。。。:2012/08/26(日) 22:16:01.32 0
シェークスピアってムハンマドとアリーが地獄に落ちてるってやつだろw


72 :名無し募集中。。。:2012/08/26(日) 22:17:02.53 0
>>69
人種だけじゃなく生活文化からくるものだろうけど
創造性はコーカソイドがいちばんじゃないのかな


73 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 22:50:25.33 0
>>72
単に産業革命おこして、地球を制覇しちゃっただけだろ。

74 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 23:04:13.14 0
ま知能は遺伝らしいけどな
おまえらあきらめろ

75 :世界@名無史さん:2012/08/26(日) 23:17:07.84 0
IQ検査したら、 東洋人>西洋人 だったじゃないか。

完全に遺伝子が一致する双子の研究では、運動系や美術系の成績は一番遺伝子の影響があるそうな。
でも、数学は一番遺伝子の影響が少ないとか。

76 :世界@名無史さん:2012/08/27(月) 09:08:53.67 0
>>66
古代エジプト人はイスラエル人やフェニキア人と同じセム系では?

77 :世界@名無史さん:2012/08/27(月) 14:17:50.60 0
>>76
15王朝期の支配層はセム系だといわれているね

78 :世界@名無史さん:2012/08/27(月) 19:11:44.46 0
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚
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79 :世界@名無史さん:2012/08/27(月) 19:42:25.75 0
>>77
それ以前のも、セム系なんじゃないの?

80 :世界@名無史さん:2012/08/28(火) 01:44:15.26 0
ていうか>>66の「エジプトにオスマン帝国が東欧から兵員や農耕奴隷をどっさり投入」って
出典は? 思いつきで書いてない?

オスマン帝国がマムルーク朝を征服した後、総督なんかを置いた後
従来のマムルーク体制をほとんどそのまま残して税だけ取り立ててたはずだけど

81 :名無し募集中。。。:2012/08/28(火) 06:48:06.07 0
>>80
イニチェリのことでしょ


82 :名無し募集中。。。:2012/08/28(火) 06:48:43.55 0
15世紀にキリスト教徒の子弟から優秀な青少年を徴集し、
イスラム教に改宗させてイェニチェリなどに採用する
デヴシルメ制度が考案され、定期的な人材供給が行われるようになる。

83 :世界@名無史さん:2012/08/28(火) 09:09:14.07 0
>>81-82
デヴシルメが行われていたのはルーメリアとアナトリア。
エジプトではマムルーク軍人の勢力が18世紀にムハンマド・アリーに虐殺されるまで温存された。

だいたいイェニチェリを農民として植民させてどうするよ。しかも中東では元々人口の多いエジプトにw

84 :世界@名無史さん:2012/08/28(火) 16:32:29.96 0

「ポーンズ・イン・ザ・ゲーム」ウィリアム・ギー・カー著

・アルコール飲料、麻薬、道徳的退廃、その他全ての悪を大衆の中に注入せよ
・自由、平等、博愛のスローガンで大衆を欺瞞せよ
・プロパガンダを行え
・青年、若者を虜にする事が重要  

(「豚」にはサッカー野球パチンコ等の「玉転がし」を与えよ)


85 :世界@名無史さん:2012/08/28(火) 22:51:52.43 0
玄葉「韓国は都合が悪いことあると電話に出ない!居留守使うんです」

@YouTube



86 :世界@名無史さん:2012/08/28(火) 23:11:59.54 0
NHKがきたら、居留守する国があるんだけど

87 :名無し募集中。。。:2012/08/29(水) 03:26:08.75 0
>>83
そもそもマムルークそのものが白人系軍事奴隷だからね
ロシア南部あたりの遊牧民を奴隷として買ってきたんだから
昔からイスラム世界には白人系軍事奴隷がたくさんいたと思う

バイバルスだってスラブ系でしょ

88 :世界@名無史さん:2012/08/29(水) 12:13:18.31 0
>>22
金髪碧眼、色白、高身長で手足が長くマネキンの様な風貌、スタイルはゲルマン系
北欧が一番綺麗だろあとスラブ系 地中海人種は元々はチュニジア(カルタゴ)人
と同じ人種 欧州はゲルマン民族の大移動でゲルマンの血が欧州全体にばら撒かれた
イベリア半島(西ゴート族)フランス(フランク族)イングランド(アングロサクソン族)
欧州中央(ブルグント族)北イタリア(ロンバルト族)(東ゴート族)など ブロンドで青い目がゲルマンの血



89 :世界@名無史さん:2012/08/29(水) 12:21:48.32 0
>>1
そういう考えが、ナチスのアーリア人の優生学
人種差別を生む

90 :世界@名無史さん:2012/08/29(水) 13:24:54.06 0
>>87
中世イスラム圏で白人奴隷というのは、黒人やドラヴィダ系インド人(ハムの子孫と総称される)
ではないそれ以外の連中という意味で、アジア系遊牧民等も含まれる。
バイバルスの頃のマムルークはスラヴではなくテュルク系のキプチャク族。

91 :世界@名無史さん:2012/08/29(水) 13:31:32.97 0
>>75
容姿端麗か否かは客観的で科学的な数値にして図れない。
しかし、頭の良し悪しは数値にして図れる(IQ検査など)。
知的障害者を診断する際の公的な基準になっているので、客観的で科学的な数値である。
科学の発展によって、今では発達障害者という新たな枠組みも公のものになっている。

大東亜共栄圏を再び行うならば、東亜人のIQをことさら取り上げてやるとよいだろう。

92 :世界@名無史さん:2012/08/29(水) 13:53:56.68 0
世界で一番のイケメンといえば、モデルのマーカス・シェンケンバーグだな。

このひとも北欧系だよ。



@YouTube



93 :世界@名無史さん:2012/08/30(木) 00:53:14.44 O
つーかさ
新モンゴロイドも北欧系コーカソイドも同じ寒冷地への適応のはずなのに真逆の変化

人類学っていい加減だよな

94 :世界@名無史さん:2012/08/30(木) 01:00:56.21 0
サルが進化したら、必ず人間になるとは限らないんだよ。たとえ同じ刺激であってもね。

95 :名無し募集中。。。:2012/08/30(木) 09:22:08.32 0
>>90
ロシアのタタール系って見た目ではほとんどアジア人にはみえないよ
キプチャク族見た目は同じだとおもう

96 :世界@名無史さん:2012/08/30(木) 10:20:24.64 0
>>95
ロシア人に征服されて混血しまくってる今のタタール人と13世紀のキプチャク族が見た目一緒だとする根拠は?

ロシアの支配下に入るのが遅かったカザフスタンあたりだと日本で歩いてても違和感ないのがいっぱいいるw

@YouTube



97 :世界@名無史さん:2012/08/30(木) 19:49:48.60 O
テュルク系の人間っていつからコーカソイド顔になったん

98 :名無し募集中。。。:2012/08/30(木) 20:11:18.10 0
>>96
チェチェン人とかロシア人と見た目かわらんし


99 :世界@名無史さん:2012/08/30(木) 21:27:20.49 0
>>96
ウィグル始めチュルク系はアーリア人のR1a遺伝子が多いからコーカソイド系の人間がチュルク語化したと思う。

100 :世界@名無史さん:2012/08/30(木) 21:48:50.18 0
Q.トルコ人は何故あれ程広大な大帝国を建設したのか?

A.トルコ人の女性はあまりにも醜く、トルコの男が多民族の女性を渇望していたからである

  by レオポルト・フォン・ランケ(ドイツ人・「近代歴史学の父」)

101 :名無し募集中。。。:2012/08/30(木) 21:51:52.10 0
ギリシア独立運動
オスマン帝国
アーリア人至上主義
ギリシア彫刻



102 :名無し募集中。。。:2012/08/30(木) 21:53:53.68 0
>>100
>レオポルト・フォン・ランケ

オスマン帝国末期にギリシアが独立したわけで
そういう歴史をふまえて当時の人間を理解しないといけないのよ

ヨーロッパの起源をギリシア・ローマだと考えていたヨーロッパ人が
ギリシアを支配していたトルコ人を悪くいうのは当たり前

103 :名無し募集中。。。:2012/08/30(木) 21:54:53.14 0
>>100
>レオポルト・フォン・ランケ

しかしギリシア独立運動の数百年前にもなると
オスマン帝国は先進地域で
東方はあこがれの土地だったわけで

104 :世界@名無史さん:2012/08/31(金) 02:45:21.44 0
ヨーロッパの起源って何処さ?

105 :名無し募集中。。。:2012/08/31(金) 07:03:21.94 0
ヨーロッパの起源は古代ローマ帝国でしょ


106 :世界@名無史さん:2012/08/31(金) 09:36:48.24 0
>>98
チェチェンってw テュルク系モンゴル系と関係ないコーカサスの民族じゃん
>>99
それってスラヴじゃなくて中央アジアやステップ地帯のイラン系との混血でしょ

107 :世界@名無史さん:2012/08/31(金) 13:43:46.92 0
>>92
世界一のイケメンはLed zeppelinのロバート・プラントじゃね?

108 :名無し募集中。。。:2012/08/31(金) 13:54:00.09 0
女優はMélanie Laurentが美人だと思う
背は高くないけど

109 :世界@名無史さん:2012/09/01(土) 07:23:03.16 0
>>104
元々のオリエント(Orient)の語源とはラテン語の「太陽の昇るところ」オリエンス(Oriens)に由来し、
古代のイタリア半島から見て「東方」はギリシアを指していた。それが後、極東を含めたアジア全域を指すようになった。

ヨーロッパ(Europe)という呼称は、ギリシア語のエレボス(erebus)闇という語源。そんなギリシア人から見た
昼でも暗く深い森林に覆われた黒い森の住人のイメージから来ている。


110 :世界@名無史さん:2012/09/01(土) 08:44:44.67 0
>1
の例から見ても分かるように美的感覚は時代における権力の推移に付随しているということが観察される。

111 :世界@名無史さん:2012/09/02(日) 12:45:25.49 0
パルテノン神殿(イメージ) イメージ!イメージ!イメージダウン!
近代欧州は古代ギリシャへの憧れが強く、20世紀初頭の英国では本物のギリシャ彫刻が彩色されていても
ギリシャ彫刻は白いというイメージがあり、イメージ通りにする為にあえて脱色するような事までやってしまったらしい。

112 :世界@名無史さん:2012/09/02(日) 12:51:48.34 0
兵馬俑もそうだな。本当はカラフルに彩色されてたのに
遺跡を開けた途端新鮮な空気に触れて脱色してしまったらしい。

113 :世界@名無史さん:2012/09/02(日) 14:24:03.53 0
日本の寺院仏閣も建築当初はカラフルな原色ギラギラだったと言うしな
奈良の大仏の建造当初の復元図がまんま大阪のオバちゃんカラーだったのには驚いた

114 :世界@名無史さん:2012/09/12(水) 10:33:28.33 0
ドイツの映画みてるとほんとに美人が出てこないと思う
でも、まれに金髪で青い大きな目の華奢な美少女が出てくる時があって
最後の字幕で名前チェックしたら、ヴェラとかナジェジダとかリュドミラとか
なんとかスカヤみたいな名前だったりする
 

115 :世界@名無史さん:2012/09/12(水) 10:46:53.85 0
それ面白いなw ナジェージダは間違いなくスラヴ系の名前。

116 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 20:46:43.88 0
ヒトラー最後の12日間で秘書ユンゲの役やってた女優もルーマニア人でした
おかしいと思ったんだよ、ドイツ人でこんな綺麗どころとか

117 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 22:31:15.14 0

少女兵もロシア人だった。
ヒトラーはいわゆるテーブル・トークで「なぜウクライナの少年少女はあれほど美しいのに、大人になると醜くなってしまうのだろうか?」というような事を言って、嘆いていた。
ナチスって東欧から子供を拉致してドイツ人として育てることをしていなかったか?
もしかすると、過去から現在に至るまで、形を変えつつドイツ人の美的センスは受け継がれているのかもしれない。

話は変わって、フィリピン人の英会話講師と話をしていたが、
フィリピンのCMの役者は殆どが欧米人だとのこと。
これは、フィリピンが米文化の影響を強く受けているからか、それとも欧米人の顔がより「普遍的」で「世界的」だからか。
台湾では日本がステータスで日本語や日本のキャラクターが受けているが、日本人の顔が受けているという話は聞いたことがない。

個人的にはアメリカと軍事的に、あるいは経済的にむすびつきが強くなっているベトナムの広告がどのように変わっていくかに興味がある。

118 :世界@名無史さん:2012/09/14(金) 23:19:01.00 0
ベトナムはフランスとの結びつきも忘れないでほしいなあ
ドヌーヴ主演の『インドシナ』を観てからその思いを強くした

119 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 01:45:32.58 0
マレーネ・ディートリヒは例外。あれをドイツ女性一般と考えてはいけない。


120 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 02:31:51.59 0
>>117
TV黎明期に、外人が出てくるドラマばかり見ていたからじゃ?

中国のTV黎明期だと、日本のドラマがバンバン入っていたから、中国本土のCMを検討すべき。

121 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 13:22:27.43 0
スケートや体操や新体操見ると、美人や美少女が多いよね
ベレズナヤ ナフカ様 ドミトリエワ カナエワ様 サフチェンコ リアシェンコ
デンコワ コモワ トゥクタミシェワ コロベイニコワ シェレペン リヤザノワ
ブットゥイルスカヤ姐 マリニナ ホフロワ ベッソノワ ゲルボルト バザロワ

ドイツ、オランダ、北欧あたりはその楽しみが少ない
派手な金髪と青い小さな眼とピンクの肌 ごつい体格 地味な雰囲気
金髪とブルーアイズが似合わない人が多いような
個人的な好みだけどね
>>119
ナスターシャ・キンスキーがいるよ
でもあの人は…

122 :世界@名無史さん:2012/09/15(土) 17:04:44.09 0
かわいい
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

123 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 08:02:42.42 0
ごっついけど綺麗なブリジット・ニールセン(20年前)萌えな漏れ


124 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 20:58:45.00 0
当然だが、ドイツ人は純粋な人種ではない。
スラブ系の血が入っている。
ヒトラーもチェコ人の末裔である。

逆に、他人種の血が入って不細工になった民族っているの?

125 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 21:46:12.93 0
チェコ人と北欧人ならチェコ人のが美しいと思う。


126 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 21:54:14.45 0
モンゴル人と混血した民族

127 :世界@名無史さん:2012/09/16(日) 22:13:10.52 0
整形すれば無問題


128 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 11:49:34.25 0
ソフィア・ローレンの個性的顔は地中海人種の典型

129 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 12:00:02.52 0
ギリシア彫刻のモデルは古代ゲルマン民族
あの辺なら東ゴート人 ギリシア彫刻は今は白だが、彩色されていた。
ブロンドのヘアーに青い目という金髪碧眼 白い肌のあまりの美しさに
当時のギリシア人が形に残そうとして・・・ミロのビーナスも金髪碧眼で
均整のとれた眩しいばかりの白い肌だった。当時のギリシア人にない高身長で
均整のとれた美しい裸体は当時のギリシア人にとって憧れだった。

130 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 12:03:58.91 0
エレボスの闇から突然現れた眩しいばかりの美しさと讃えている
エレボスの闇とは当時のヨーロッパの深く黒い森の例え

131 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 14:46:12.07 0
アングロサクソンの容姿が端麗ってことになったのは
アングロサクソンが世界の軍事・経済・情報の覇権をとったからだろ


132 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 15:48:00.73 O
いや
イギリスが改宗する伝説にアングロサクソンの容姿をローマ法王が褒める逸話があったな

133 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 17:48:51.63 0
クレゴリウス1世大教皇がローマ市街で金髪の美少年奴隷を褒めたやつね
アングル族の奴隷と聞いて「なんと!北にはエンジェル族がいるのか?」って聞き間違えた・・・
とかいう尾ヒレが付いていた

134 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 18:31:56.04 0
>>132-133
検索してもこの板しかヒットしないんだけどw

135 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 18:35:59.21 0
大体、モンゴル人に支配されていたロシアではモンゴル人的要素を持った人たちを美しいとしたしな。

現在でも…このスレの過去ログでも、ロシア人は東洋、西洋にあまりこだわらないという報告あるよね。

136 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 19:14:02.95 0
>>134
1960年代に出た旧版の中公『世界の歴史』の中世ヨーロッパの巻に載ってる逸話だよ


137 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 19:18:56.17 0
>>136
そうなのか。まあ、確かにエンジェルの西洋画ってイメージとして、金髪で巻髪の幼児の容貌だしなあ。

138 :世界@名無史さん:2012/09/18(火) 21:09:28.47 0
>>135
ロシアやウクライナはアジア人っぽい顔が平べったい白人も多いけど、
トップは北欧人などノルマン系を遥かに凌駕する凄まじい美形だよな。

この人とかすげー好みなんだけど↓

@YouTube

・・・動画/5分40秒/CBN NEWS
パリに出現した移民自治区

@YouTube

・・・動画/4分59秒/CBN NEWS
移民問題 ロンドン

@YouTube

・・・動画/3分46秒
移民亡国ドイツ

@YouTube

・・・動画/12分56秒
ウェ-デンは2049年までにイスラム国家

@YouTube

・・・動画/6分

724 :世界@名無史さん:2014/01/16(木) 23:10:11.23 0
>>720
http://www.afpbb.com/articles/-/2910148?pid=9750304

【11月1日 AFP】ブルガリア東部・黒海沿岸の都市バルナ(Varna)近郊で、欧州最古とみられる先史時代の「町」の跡と、塩の生産設備が発掘された。
当時、塩は希少品だったことから、考古学者らはバルナにある古代墓地で大量の金の装飾品が見つかる理由がこれで解明できると期待している。

「町」が発掘されたのは、バルナ郊外の町プロバディヤ(Provadia)近郊にあるプロバディヤ・サルニツァタ(Solnitsata)遺跡。
2005年から続けられてきた発掘調査で、2階建て住宅や墓地、儀式に使われたとみられる多数の穴、門の一部、要塞らしき建造物や防壁が発見された。

 炭素年代測定で、全て紀元前4700~4200年の「金石併用時代」中期~後期のものであることが分かったという。

 ブルガリア国立考古学研究所(National Institute of Archeology)の考古学チームは、墓地に埋葬されていた人骨の姿勢や出土した埋葬品がいずれも、
ブルガリアで過去に見つかった新石器時代のものとは大きく異なっている点を指摘。
また、「町」を取り囲む石造りの巨大な防壁も、これまで南東欧で見つかった先史時代の遺跡には見られなかったものだとして、「大変興味深い発見だ」と説明している。

 人口350人ほどだったとみられるこの集落は防壁でしっかりと守られ、宗教の中心地だったと考えられる。
さらに最も重要な点として、広く交易に使われていた塩を特産品としていた。以上から研究チームは、
欧州で知られている中で最古の「先史時代の町」と呼ぶのにふさわしい全ての条件を備えていると結論付けた。

 バルナには紀元前4300年ごろにさかのぼるネクロポリス(古代文明の集団墓地)があり、世界最古とされる黄金の装飾品が多数発掘されている。
しかし、農業や牧畜が中心で資源も少ないこの地域に、なぜこれほどの富が集中したのかは謎だった。

 研究チームでは、塩の交易こそが富をもたらしたのではないかと考えている。

(c)AFP/Diana SIMEONOVA

725 :世界@名無史さん:2014/01/16(木) 23:18:16.23 0
>>720
http://en.wikipedia.org/wiki/Varna_Necropolis

The Varna Necropolis (Bulgarian: Варненски некропол) (also Varna Cemetery) is a burial site in the western industrial zone
of Varna (approximately half a kilometre from Lake Varna and 4 km from the city centre), Bulgaria,
internationally considered one of the key archaeological sites in world prehistory.

The oldest golden treasure in the world, dating from 4,600 BC to 4,200 BC, was discovered at the site.[1]



http://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Varna
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

726 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 02:55:01.88 0
>>724
http://en.wikipedia.org/wiki/Solnitsata

Salt production drove Solnitsata's economy, and the town is believed to have supplied salt throughout the Balkans.
A large collection of gold objects nearby has led archaeologists to speculate that this trade resulted in considerable wealth for the town's residents.[1]

The town is believed to have been destroyed by an earthquake.[4]


まぁ、この頃には結構な交易網があったってこったね。
時代的には銅の時代だけれども

727 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 03:01:47.76 0
http://www.geocities.jp/e_kamasai/byroad/page12.html

冶金の欧州独自起源説 2012/10/23
 この論文(要約)からすると、西アジアよりヨーロッパの方が冶金の始まりは早かったということになりそうだ。

「On the origins of extractive metallurgy: new evidence from Europe」

Abstract
 The beginnings of extractive metallurgy in Eurasia are contentious.
The first cast copper objects in this region emerge c. 7000 years ago, and their production has been tentatively linked to centres in the Near East. This assumption,
however, is not substantiated by evidence for copper smelting in those centres.
Here, we present results from recent excavations from Belovode, a Vin?a culture site in Eastern Serbia,
which has provided the earliest direct evidence for copper smelting to date.
The earliest copper smelting activities there took place c. 7000 years ago, contemporary with the emergence of the first cast copper objects.
Through optical, chemical and provenance analyses of copper slag, minerals, ores and artefacts,
we demonstrate the presence of an established metallurgical technology during this period, exploiting multiple sources for raw materials.
These results extend the known record of copper smelting by more than half a millennium, with substantial implications.
Extractive metallurgy occurs at a location far away from the Near East,
challenging the traditional model of a single origin of metallurgy and reviving the possibility of multiple, independent inventions.
 (Journal of Archaeological Science Vol.37 (2010) p.2775-2787)

728 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 03:13:05.64 0
>>726
http://adsabs.harvard.edu/abs/2010EGUGA..12.6393R

Abstract
Recent archeological excavations and findings helped a lot to reconstruct data and information about ancient earthquakes and their effects to the historical societies.
Two cases are under investigations: 4550 years BC Solnitsata-Provadia archaeological site and Cybele temple (6th century BC) site.
The first case is related to the destruction of the defensive bastions of the ancient society of the salt producing ancient civilization.
After field observations and modeling the source of the seismic force is located and the power of the ancient earthquake reconstructed.
The second case is much more complicated but as well as much more informative about the complex disastrous event affected the 8 centuries active temple of the goddess Cybele.
Effects of earthquake, tsunami and landslide activity are well preserved and documented in the soil layers covered the ancient ruins.
Almost all parameters of these hazards are reconstructed by a logic tree, field investigation and documentations and time dependent scenario.
Such investigations are able to help a lot the time frequency of such hazards, but need active participation of the different kinds of experts during the archaeological excavations.


でました Cybele temple(6th century BC)
4550 years BC Solnitsata-Provadia archaeological site

地震、津波、に地すべり

729 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 03:29:04.75 0
>>725

http://en.wikipedia.org/wiki/Durankulak

History[edit]
The Durankulak settlement commenced on a small island, approximately 5200 BC and lasted for thousand years.
The first inhabitants were the Hamangia culture, dated from the middle of the 6th millennium to the middle of 5th millennium BC,
and were the first manifestation of the Neolithic life in Dobruzha.
Hamangia people were small-scale cultivators and plant collectors who built houses, made pottery, herded and hunted animals

Durankulak is the north-easternmost inhabited place in Bulgaria and the northernmost village of the Bulgarian Black Sea Coast,
although the village itself is slightly inland. Durankulak lies north of the town of Shabla,
with the only places to the north along the coast being the formerly exclusively Czechoslovak camping site Kosmos and the Kartalburun and Sivriburun headlands.
Durankulak is also the name of the nearby border checkpoint on the Bulgarian-Romanian border; just north of the border is the Romanian seaside resort Vama Veche.



http://en.wikipedia.org/wiki/Hamangia_culture

The Thinker of Hamangia, Neolithic Hamangia culture (c. 5250-4550 BC).
The Hamangia culture is a Late Neolithic archaeological culture of Dobruja (Romania and Bulgaria) between the Danube and the Black Sea and Muntenia in the south.
It is named after the site of Baia-Hamangia, discovered in 1952 along Lake Golovita.[1]


【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

730 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 03:41:41.05 0
>>725
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚


Chalcolithic
http://en.wikipedia.org/wiki/Chalcolithic

The Chalcolithic period or Copper Age,[1] also known as the Eneolithic[1]/Aneolithic (from Latin aeneus "of bronze"),
is a phase of the Bronze Age before metallurgists discovered that adding tin to copper formed the harder bronze.
The Copper Age was originally defined as a transition between the Neolithic and the Bronze Age.
However, because it is characterized by the use of metals, the Copper Age is considered a part of the Bronze Age rather than the Stone Age.

The archaeological site of Belovode on the Rudnik mountain in Serbia contains the world's oldest securely dated evidence of copper making at high temperature, from 5,000 BC.[2][3]

Europe
An archaeological site in southeastern Europe (Serbia) contains the oldest securely dated evidence of copper making at high temperature, from 7,500 years ago.
The find in June 2010 extends the known record of copper smelting by about 800 years,
and suggests that copper smelting may have been invented in separate parts of Asia and Europe at that time rather than spreading from a single source


【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚
Painting of a Copper Age walled city, Los Millares, Iberia

731 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 03:49:11.02 0
>>722
鰯もじゃなかったっけ?

732 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 04:23:04.51 0
>>727
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

733 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 11:11:53.82 0
【イギリスの移民】 2030年までに内戦か

@YouTube

・・・動画You Tube 3分32秒
【フランスの移民】 移民亡国

@YouTube

・・・動画You Tube 9分46秒

@YouTube

・・・動画You Tube 5分42秒
【フィンランドの移民】 

@YouTube

・・・動画You Tube 2分30秒
【イタリアの移民】 チャイナタウンでの暴動

@YouTube

・・・動画You Tube 4分38秒

734 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 11:25:24.91 0
幕末・明治、来日した外国人は日本人のブサイクさに驚愕したという
http://galasoku.livedoor.biz/archives/2565912.html

735 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 21:51:24.39 0
>>701
>ブルガリア→クロアチア→ハンガリー付近を通って到達した民族に由来する。

この流れが Copper Age の流れと仮定してみる

736 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 22:03:56.57 0
チェヘラアバード岩塩鉱

Saltmen ソルトマン
http://en.wikipedia.org/wiki/Saltmen

The Saltmen were discovered in the Chehrabad salt mines, located on the southern part of the Hamzehlu village, on the west side of the city of Zanjan, in the Zanjan Province in Iran.

737 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 22:19:32.30 0
まさにお塩先生

738 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 22:33:04.13 0
>>730

Plo?nik
http://en.wikipedia.org/wiki/Plo%C4%8Dnik


Not long ago, an important European-archaeology excavation site was found in Plo?nik.
At this site, and in Belovode, archaeologists have found the earliest current evidence of copper smelting, dating from between 5500 BCE and 5000 BCE.[1][2]
This shows that the Copper Age started 500 years earlier than previously thought, and probably somewhere near this region.

739 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 23:01:07.68 0
>>735

Vin?a culture
http://en.wikipedia.org/wiki/Vin%C4%8Da_culture

The Vin?a culture, also known as Turda? culture or Turda?-Vin?a culture, is a Neolithic archaeological culture in Southeastern Europe, dated to the period 5500?4500 BCE

Geography and Demographics[edit]
The Vin?a culture occupied a region of Southeastern Europe (i.e. the Balkans) corresponding mainly to modern-day Serbia,
but also parts of Romania, Bulgaria, Bosnia, Montenegro, Macedonia, and Greece.[1]

This region had already been settled by farming societies of the First Temperate Neolithic,
but during the Vin?a period sustained population growth led to an unprecedented level of settlement size and density along with the population of areas that were bypassed by earlier settlers.
Vin?a settlements were considerably larger than any other contemporary European culture,
in some instances surpassing the cities of the Aegean and early Near Eastern Bronze Age a millennium later.
The largest sites?some more than 300,000 square metres?may have been home to up to 2,500 people.[2]

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/60/Vin%C4%8Da_culture_locator_map.svg
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚



Neolithic clay amulet (retouched), part of the T?rt?ria tablets set, dated to 5500-5300 BC and associated with the Turda?-Vin?a culture.
The Vin?a symbols on it predate the proto-Sumerian pictographic script. Discovered in 1961 at T?rt?ria by the archaeologist Nicolae Vlassa.

【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

740 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 08:53:23.33 0
>>735
遺伝子サイトみると、これがR1bらしい。

741 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 10:48:41.71 0
バルカンのI2が無傷だったことを考えると、ドナウ川を遡って、あまり脇道にはそれなかったってことか
フィクションで時代も違うけど、氷河期が舞台の「エイラ-地上の旅人」シリーズで、ジョンダラーとソノーランの兄弟が辿ったルートもこの道だな。逆方向だけど
大昔から重要なルートか

742 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 11:03:11.09 0
【スイス】 外国人犯罪者の国外追放を義務化する国民投票

@YouTube

・・・動画You Tube/3分21秒
【スペイン】 移民により闘牛が違法になった都市

@YouTube

・・・動画You Tube/4分56秒
【ベルギー】 移民の人口が25%以上になった首都

@YouTube

・・・動画You Tube/5分40秒

743 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 11:50:17.29 0
The Bronze Age Indo-European invasion of Europe
http://dienekes.blogspot.com.es/2012/07/bronze-age-indo-european-invasion-of.html

We can plainly see that European hunter-gatherers best map to the modern Atlantic_Baltic population component.
This is well represented in the remotest areas of Europe, the ones most distant from the Near Eastern womb of nations.
It can be reasonably supposed that the modern Atlantic_Baltic component partially captures alleles present in the ancient European hunter-gatherers,
the mtDNA haplogroup U population that seems to stretch from Iberia to Siberia.
(However, note, that this does not mean that the Atlantic_Baltic component represents hunter-gatherer ancestry only.)

【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

'K12b' and 'K7b' calculators
http://dodecad.blogspot.com.es/2012/01/k12b-and-k7b-calculators.html


なはっは、発掘サイトの名前じゃなかったww

744 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 12:00:49.37 0
>>548>>574

Ancient mtDNA maps of Europe
http://forwhattheywereweare.blogspot.jp/p/ancient-mtdna-maps-of-europe.html

これは非常に良い気がする
ただ、Hが良くわからない

745 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 12:09:59.97 0
>>740>>741
外人も含めてみんな、
Yのハプロばっかり好きなんだよなww

Ancient European DNA and some debatable conclusions (からHaploid DNA抜粋)

The new European hunter-gatherer samples carried all Y-DNA I and mtDNA U5a and U2e.
More specifically, the hunter-gatherer mtDNA lineages are:

?Lochsbour (Luxembourg): U5b1a
?Motala (Sweden):
?Motala 1 & 3: U5b1a
?Motala 2 & 12: U2e1
?Motala 4 & 6: U5a2d
?Motala 9: U5a2
Additionally the Stuttgart Linear Pottery farmer (female) carried the mtDNA lineage T2c1d1.


The Y-DNA lineages are:

?Lochsbour: I2a1b*(xI2a1b1, I2a1b2, I2a1b3)
?Motala 2: I*(xI1, I2a2,I2a1b3)
?Motala 3: I2*(xI2a1a, I2a2, I2b)
?Motala 6: uncertain (L55+ would make it Q1a2a but L232- forces it out of Q1)
?Motala 9: I*(xI1)
?Motala 12: I2a1b*(xI2a1b1, I2a1b3)

These are with certainty the oldest Y-DNA sequences of Europe so far and the fact that all them fall within haplogroup I(xI1) supports the notion of this lineage being once common in the subcontinent, at least in some areas.
Today I2 is most common in Sardinia, the NW Balcans (Croatia, Bosnia, Montenegro), North Germany and areas around Moldavia.

【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

746 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 12:34:17.57 0
>>743
というかスカンジナビア先住民が
途中ぶっこ抜いてサブサハラと関係を持ってるから
サーミ人のやつはこの流れなんだろうな、、、

747 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 13:15:27.38 0
>>745
移動は男性中心という考えがあるからじゃないか。
家族連れの移動は相当時間がかかるし、遠距離は困難を伴うから。

748 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 18:14:06.59 0
>>735
アイスマンの持っていた銅斧の産地はどこか?

http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/DNA/iceman.html
名称はエッツィにしたいがめんどくさそうなので



ちなみに、へぼい検索能力ではこれしか見つからなかった

謎を掛けるオーストリアのミイラ
http://lang-8.com/97862/journals/1157498

肩に刺さる矢が死亡の原因である可能性が高いという。この2.5センチの石鏃はCTスキャンで念入りに調べ直し、原料と原産地を知ることかできた。
研究者によると、原料がヴェローナの北にあるモンディレシーニからのものだ。表面処理の方法によって、 投射物が北イタリアのレモデッロ文化に所属できる。
但し、そのような有茎式(ゆうくきしき)の鏃北アルプスにあるモンド湖でも流通していたので、加害者がどこから生まれてきたのだろうかまだ分からないものだ。

 エッツィが持っていた銅斧はレモデッロ文化にも所属できるが、原料地はオーストリアのモンド湖です。
そのためアイスマンは石器時代の銅探検隊の首領かもしれない。
銅を持ち帰った時には、追剥に襲われ、エッツィは致命傷を負って、現地で埋葬した。

749 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 00:01:17.12 0
>>682>>635

Prehistory of Corsica
http://en.wikipedia.org/wiki/Prehistory_of_Corsica

俺の中ではコルシカなんだが、、、

The insular prehistory of Corsica begins with the Mesolithic (Pre-Neolithic)
when people from prehistoric Sardinia crossed the Strait of Bonifacio to hunt from rock shelters in Corsica at approximately 9000 BC.
It ends with colonization by the Ancient Greeks at Aleria in 566 BC,
the Iron Age. Corsica, or Kyrnos, is not mentioned before then. Thus the history of Corsica begins in 566 BC.


Genetic demographics

For Corte, which is inland Corsica, the investigators use the term stochastic (random),
finding a higher variability among Corsicans than within the rest of the Mediterranean reference population.

There was also a gap between Corse-du-Sud and Haute-Corse.
Using an assumed generation of 25 years, the investigators estimate a base population at 20,000 BP[clarification needed] for the first humans of Corsica.
As this number is in no way supported by archaeological evidence, it suggests that cultural remains of the Paleolithic may well yet turn up.

> The greatest genetic distances were between the Sardinian and Corsican populations, which indicates that the islands were settled by different people.
The investigators exclude any significant gene flow between the two islands.
> The closest affinities were with the population of Tuscany.
The investigators attribute this closer kinship to a major influx from there in the early and middle Neolithic, which they date to the 8th-6th millennia BP.

The separation of Corsican and non-Corsican populations falls within rather wide limits: no earlier than 19,000 BP or later than between 4929 and 8746 BP.
An indigenous Corsican population had therefore formed by about 3000 BC at latest, in this view.

750 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 00:50:31.56 0
>>691
エトルリア
http://en.wikipedia.org/wiki/Etruscan_civilization


The newest mtDNA study confirms that the Etruscans were not related substantially to the Upper Paleolithic hunter-gatherer populations of Europe,
and also showed no similarities to populations in the Near East. Another earlier DNA study performed in Italy however, partly gave credence to the theory of Herodotus,
as the results showed 11 minor mitochondrial DNA lineages extracted from different Etruscan remains occur nowhere else in Europe, and are shared only with Near East people.[9]

共同墓地は、実際に古代に定住があったことを証明している。
海の近く、海岸から数キロメートルのところに集落を形成する一般の傾向に反して、隔離された、住むのに適さない、変わった内陸の環境に居を定めているように見て取れる。
唯一のエトルリア海洋都市は、おそらくポプロニアであり、ほかは後背地に位置をとっているが、これは海賊の来襲を恐れたためである。
すなわち、クレタ人やミケーネ人に代わって、何者かが鉄を求めてこの資源豊かなエトルリアの土地、イタリア沿岸を訪れていたことがわかる。

とにかく、ポプロニアのように海に面した、それもエルバ島の正面という場所柄には理由がある。
ここはおそらく、ヴィッラノーヴァ期の銅・銀製品の主要積出港であり、後にエトルリア期に入って、“鉄の港”となったのである。
研究者たちが偽アリストテレスと呼ぶ 古代の無名著作家は、ポプロニアでは銅を産出したと記しており、実際に銅くずや、加工工場の跡が見られる。
のちにポプロニアは、エルバ島産の鉄の加工で非常に重要な地となった。

751 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 01:14:28.08 0
>>750>>662

エトルリアは時間軸が合わないから

>>691は修正して
ギリシャ→アルバニア→トスカーナ→ベルガモ

チュニジア、リビア→サルディーニャ→ドイツ→スウェーデン

なんだろうか、、、

752 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 01:29:08.99 0
>>751
サルディーニャの後にオーストリア(エッツィ)があるな
ということはベルガモがひっくり返ったのかな?

もしくは全然別の経路かノイズ

753 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 10:15:02.83 0
>>751>>752
いや、これはおそらく一緒のものだな

コルシカ、サルディーニャ → トスカーナ には
遺伝的繋がりがあるけど結構遠いって話だろうな

754 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 23:44:15.64 0
>>741
確かにドナウに見える、、、


大昔の採集民と農耕民はうまくやっていた
http://yuihaga.blog.fc2.com/blog-entry-243.html

文化交流の可能性に集中するため、カーディフ大学(英国)の考古学者、ドゥシャン・ボリッチ(Du?an Bori?)とウィスコンシン大学(マディソン)の考古学者、T・ダグラス・プライスは
ドナウ峡谷にある9遺跡から産した153体の骨格の、歯におけるストロンチウム同位体の比率を分析した。

これらの骨格は13,500から7500年前、すなわち中石器時代のすぐ前から新石器時代初期まで、と年代測定されている。
ストロンチウム87とストロンチウム86の同位体比率は異なった土壌と岩石で大きく変化し、摂取されたストロンチウムは子供の歯に集積され、
ある人物がどこで成長したかについての一生涯のシグネチャを提供する。
歯と地元の環境のストロンチウム比率を比較することによって、研究者たちは誰がある特定の地域で成長した人で、誰が別の場所で成長した移住者かを見分けられる。

ボリッチとプライスは直接炭素年代測定によって年代が直接決定されてる骨格を分析し、
新石器文化の最初のサインが見られる頃にストロンチウム組成に大きな変化があったことを突き止めた。
彼らは今週それをProceedings of the National Academy of Sciences誌に報告した。
ドナウ川沿いの中石器人のストロンチウム同位体比は彼らが生活をしていた川の堆積物を反映したものだった。
しかし8200年前、これより著しく高い比率と低い比率をもつ骨格が出現する。
これらの骨格は文化が元来の中石器のままに見える遺跡にすら現れる。「非地元」な個体はドナウ川から遠く離れた地域から来たように思われ、移住者の数は時間を経るとともにジャンプする。
たとえば8200年前より前は、レペンスキ・ヴィールのほぼすべての埋葬者が地元民だった。
しかし8200年から7950年前までの間に埋葬された19人のうち5人は非地元民だった――そしてすべてが女性だった。

755 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 23:46:09.02 0
>>754

ボリッチとプライスは非地元民は中石器文化の移住者のものであると結論づける。
彼らの、人物の食性を表す、歯と骨における窒素同位体比率はその考えを裏打ちする。
非地元民は海産物より陸産物の食性に典型的な窒素比率を持つ傾向があった。これは魚を食べない農耕民に予想されることだ。
埋葬者に中石器人と新石器人が混じり合ってることは、新石器文化が中石器文化を置き換えるまでの少なくとも200年にわたって、
2つのグループが隣り合って生活していたことを示す、とボリッチとプライスは結論する。
「採集民コミュニティは新石器社会ネットワークと敵対するのではなく、その中に組み込まれていった」とボリッチは話す。
「この図は大部分において平和な共存の一つだ」

ブリストル大学(英国)の考古学者、アレクス・ベントリー(Alex Bentley)はこの研究は「偉大な論文」だと呼ぶ。
彼は新石器人の女性が中石器コミュニティへと移住していったことを示す証拠は「すごく面白い」と続ける。
以前の遺伝的研究は農耕が西に向かってヨーロッパへと広がるとともに反対のことが起こったことを示していたからだ
――すなわち、狩猟採集民の女の子が新石器コミュニティに入って農耕民の男の子と結婚したということ。

実際にユニヴァーシティ・カレッジ・ダブリンの考古学者、ロン・ピンハシ(Ron Pinhasi)は、
このドナウ峡谷のシナリオは中石器-新石器移行期のヨーロッパ全域のモデルにはならないだろう、と注意する。
「私はこれらの集団を[採集民-農耕民交流の典型的な例ではなく]孤立例だと見ている」とピンハシは話す。


Science NOW
Ancient Foragers and Farmers Hit It Off
Michael Balter, 11 February 2013

原論文
Du?an Bori? and T. Douglas Price
Strontium isotopes document greater human mobility at the start of the Balkan Neolithic
PNAS February 11, 2013, Published online before print February 11, 2013
doi: 10.1073/pnas.1211474110

756 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 00:22:43.86 0
ヨーロッパ最初の農耕民は移住者だった(抜粋)
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=93566949


 ヨーロッパの中央部や西部で農耕を始めたのは、やりから農具へと徐々に道具を持ち替えていった土着の狩猟採集民族ではなく、
紀元前5500年ごろに家畜と一緒に移住してきた外部の農耕民族だったという。しかし、先住民はよそ者たちをどうやら歓迎しなかったらしい。

 ドイツやリトアニア、ポーランド、ロシアで発掘された古代の狩猟採集民族と初期農耕民族の古人骨から遺伝物質を採取し分析した結果、このような結論が導き出されたという。

 農耕文化は約7500年前に急拡大し、西はフランス西部あたりにまで伝わったと一般には考えられている。
 今回の研究成果は、最後の氷河期が終わった約1万年前にヨーロッパに定住した狩猟採集民族が同地域最初の農耕民族に転身したとする昔からの通説と相容れないものだ。

 ブルガー氏の研究チームは、狩猟採集民族と初期農耕民族は当時まだ隔絶した状態で生活していたことを突き止め、9月4日発行の「Science」誌で発表した。
「両者の間に“文化”の交流はあっただろうが、遺伝子分析の結果を見る限り、少なくとも当初は“血”の交流はなかったと思われる。
彼らは異なる人種で、狩猟採集民族と農耕民族という2つの社会が並立していたということだ」と同氏は解説する。

 研究チームは両者の古人骨を次のように区別した。
8000年以上前、つまりヨーロッパで農耕が始まる前のものや、矢じり、クマの歯の首飾りといった狩猟に関係する遺物が周囲で見つかったものは狩猟採集民族に分類し、
農耕具や家畜の骨と一緒に発見されたものは農耕民族に分類したという。

 そしてそれらの古人骨から採取した遺伝物質と現代ヨーロッパ人の遺伝子を比較したところ、ある謎が浮かび上がった。
2つの血統だけでは、現代ヨーロッパ人の遺伝子プールは完成しないのである。

 その結果、現代ヨーロッパ人の起源がほとんど解明されていない現状が浮き彫りになった。
「別の人種の移住か、遺伝的変異か。とにかく未発見の要素が何かしらあるはずだ」とブルガー氏は言う。

757 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 00:42:28.37 0
チーズづくりの技は7,500年の歴史がある(抜粋)
Nidhi Subbaraman
12 December 2012

http://yuihaga.blog.fc2.com/blog-entry-199.html


プリンストン大学(ニュージャージー州)の考古学者、ピーター・ボグスキ(Peter Bogucki)は1980年代に初めて
チーズ作りがヨーロッパで紀元前5,500に行われていたのではないかと考えた人の一人だった。
彼は現在はポーランドとなっているところの古代のウシ飼育遺構を研究する考古学者たちが、
チーズ漉し器を思わせる、穴だらけの土器の欠片を見つけていたことに気づいた。
ボグスキは新石器時代の農家が家畜を乳や肉以外に利用する方法を見つけていたと推論した。


乳製品文化

チーズ作りは新石器時代の農家に家畜から利用できる資源を最大限活用する方法を与えたと思われる。
初期のヒトは幼時を過ぎると乳糖(ラクトース)を消化することができなかった。
だが、伝統的なチーズには生乳よりはるかに少ない乳糖しか含まれない。
「チーズ作りは病気にならずに乳の不消化性を乗り越えられるようにしただろう」とエヴァシェドは話す。

758 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 01:13:06.31 0
>>748
たしかアイスマンには砒素の汚染がみられる
ことから鉱山との関係を指摘する話はあった

759 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 10:25:01.96 0
動画 You Tube 【ベルギー】最大のイスラム人口を抱える欧州の首都/アメリカのTV局作成
   2分57秒・・・
@YouTube



動画 You Tube 【イギリス】イスラム法の広がりをとめられないと宣言した移民
   3分46秒・・・
@YouTube



動画 You Tube 【フランス】フランスは20年後に旧植民地の植民地になる by プ-チン大統領
   6分30秒・・・
@YouTube



760 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 11:21:19.79 0
>>757 その後恒常的に生乳を飲まないといけない状況が起きたのはなんでだろう。乳を沸かして殺菌する燃料となる木材の枯渇?

761 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 19:16:17.60 0
とにかくR1bが欧州に侵入したのは4500~5000年前だからね。
それまでに狩猟採集民と農耕民の最低ふたつの人類の流れがあるわけだ。
最後に大規模侵入したのが牧畜民R1a・R1b。
主要な侵入経路は少し前に書込みがあったドナウ北上ルート。

762 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 19:37:37.71 0
狩猟民の末裔と思われるIが北海周辺とバルカンに今もまとまって見られるのに対し、初期農耕民のマーカーと思われるY-DNAハプログループが顕著に見られないのはなんでだろう。
ジェファーソン一族ののTとかはそれっぽいけど

763 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 23:08:56.42 0
57 :名無しさんの主張:2014/01/20(月) 00:58:46.33 ID:/JcFFsuP
>>54

あと国民性がシャイでネクラだから西洋人の真似事=嫉妬と嘲笑の
対象にまだなっている。

ハングルやってる人間を僻まないでしょう??
眼中にもないだろうし。


63 :名無しさんの主張:2014/01/20(月) 04:36:28.68 ID:???
>>57
日本人同士で差別蔑視とか
お前は日本人だから腹立つとかムカつくわとか
訳の分からない事を平気で言い出す阿呆の陽気さとかは絡み辛いだけや(笑)

それとバカッターを筆頭に
陽気であれば何でも出来る(キリッって国民性なのが日本人(笑)だからなw

つまらない芸人に法的措置を取るよと言われて
社会主義だ全体主義だと叫ぶ馬鹿日本人(笑)

日本って反日本主義や反日本人主義なだけだと思うw社会主義にすらなってない。

日本や日本人が嫌いなのは分かるが
標準(笑)と変わらないのが大半だろうな。

764 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 23:15:52.79 0
>>762
初期農耕民のY-DNAマーカーって結構分かってるの?

俺はここに出てるアイスマンぐらいしかしらない
Analysis of his mitochondrial DNA has shown that Otzi belongs to the K1 subclade, but cannot be categorized into any of the three modern branches of that subclade (K1a, K1b or K1c). The new subclade has provisionally been named K1o for Otzi.[32]
Multiplex assay study was able to confirm that the Iceman's mtDNA belongs to a new European mtDNA clade with a very limited distribution amongst modern data sets.[33]

765 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 23:26:39.07 0
>>760
どうやら生じゃなくても発症するらしい
チーズにして分離するときの残渣とかに恒常的にふれてたからじゃないだろうか

後は小学校でウンコもらすと、嫁のきてが無くなるとかww

766 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 23:38:26.26 0
>>556>>557

BP7500頃 新石器文化(LBK)のH'グループが狩猟採集民のUグループに進入
BP6500頃 新石器文化(LBK)のH'グループが衰退し、現在の欧州人のハプロ構成に近くなる

ってことで、まずこれが前提


>>761そのうえで、この後期の変異はどこから持ち込まれたかって話だから
少なくとも3つ以上だよ

767 :世界@名無史さん:2014/01/21(火) 22:46:06.10 0
>>764
すまんこれはmtDNAだった

>>753>>749 Yのハプロはこっち
The Y-DNA of Otzi belongs to a subclade of G defined by the SNPs M201, P287, P15, L223 and L91 (G-L91, ISOGG G2a2b, former "G2a4").
He was not typed for any of the subclades downstreaming from G-L91. G-L91 is now mostly found in South Corsica.

768 :世界@名無史さん:2014/01/21(火) 23:34:00.02 0
>>757 凄い早期なんだよな

http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2007moundsAndGoodesses/07/007_01_01.html

■西アジアにおける有蹄類の家畜化

家畜化の起源地
  ヒツジ、ヤギ、ウシ、ブタという有蹄類の家畜化は、肉食動物(イヌやネコ)の家畜化よりも遅れて始まったが、
食糧供給に大きな変化をもたらした点で、より重要である。有蹄類が最初に家畜化された時期と場所については、過去数十年間、新たな説が繰り返し提示されてきた。

前8千年紀のイランとする説からはじまり、前7千年紀のイスラエルとする説、前8千年紀のシリアとする説、
前9千年紀の南東アナトリア(トルコ)とする説まである(Harris 1996;Vigne et al. 2005など)。

現在では、ほとんどの考古学者が、最初の家畜化は前9千年紀半ば(PPNB前期)に、南東アナトリアのタウルス山脈南麓で始まったと考えている。
たとえば、トルコのネバル・チョリ遺跡のPPNB前期(前8,500年)層では、ヒツジ(Ovis orientalis)とヤギ(Capra aegagrus)の小型化が顕著になると同時に、
幼獣個体の比率が増加することが明らかとなっている(Peters et al. 2005)。

同時期のガゼルには形態変化は全く認められていないから、それは家畜化の結果であると考えられる(図1・2)。
また、ほぼ同時期の北シリア、ジャーデ遺跡でも、性的二形がやや小さくなったことがわかっている(Helmer et al. 2005)(図3)。
この現象も、家畜化開始に関する確実性の高い指標とされているものである。一方、ブタの家畜化はもっと漸移的に進行したようである(Erwinck et al. 2002)。

 家畜は、その起源地である南東アナトリアから急速に広がっていった。

769 :世界@名無史さん:2014/01/21(火) 23:35:25.22 0
>>768

ヒツジとヤギがユーフラテス川中流域に出現するのは前8千年紀の初頭(PPNB中期)のことである。
テル・ハルーラやテル・アブ・フレイラ(Peters et al. 1999)などの遺跡でその存在が確認されている。
ユーフラテス中流域はヒツジやヤギの野生種が本来いなかった地域であるから、よそから持ち込まれたことは明らかである。
また、さらに遠方へ持ち込まれたこともわかっている。ダマスカス周辺地域(テル・アスワド、Helmer in press)はもとより、
海を越えてキプロス島(シルロカンボス、Vigne et al. 2000, 2003, in prep.)にまで至った。
PPNB後期末(前7,000年頃)に入ると、家畜は地中海沿岸からザグロス山脈まで、あるいはタウルス山脈からネゲヴ地方に至るあらゆる地域でみられるようになる。

 ただし、こうした見方とは別に、家畜化の中心地が複数存在したという説もある。
例えば、ヤギの家畜化の中心地としてザグロス山脈西部(Zeder 2005)が、ウシに関してインダス川下流域(Meadow 1989)が想定されている。
しかし、そうした地域における家畜出現年代はやや新しく、それぞれ前8千年紀前半と前7千年紀という年代が得られている。
家畜化の開始という点では、やはり、南東アナトリアが初現と考えておいてよいだろう。

 新石器化過程は、定住や植物栽培、動物家畜化などがからみあった現象であるが、動物の家畜化はその中ではかなり遅い段階で始まった(図4)。
部分的に定住が始まったナトゥーフ期からは3,000年、さらに、原初的な穀物栽培の出現よりも1,000年から1,500年ほど遅れて始まった。
つまり、動物の家畜化というのは、土器出現以前の新石器化現象のなかでは、最後の重大な技術経済的変化とみることができる(図4)。

770 :世界@名無史さん:2014/01/22(水) 09:47:26.37 0
雌が本来無角で扱いやすそうな鹿より、両性ともに角があるウシ科を家畜化の対象に選んだのが不思議

771 :世界@名無史さん:2014/01/22(水) 10:21:50.46 0
鹿は乳が出ないだろう。しかも不味い

772 :世界@名無史さん:2014/01/22(水) 11:56:45.54 0
動画 You Tube ドイツ/移民政策の限界 
            
@YouTube



動画 You Tube ノルウェー/多発する移民による強姦事件 
              
@YouTube



773 :世界@名無史さん:2014/01/22(水) 22:48:27.13 0
>>770
牛の利用はちょっと遅れたみたいだけど
結局のとこヤギ飼ってるからその説は厳しいんじゃないだろうか?

774 :世界@名無史さん:2014/01/22(水) 23:12:52.55 0
>>762
Tのグループがなんでインドのベンガルにいっぱい居るんでしょうか、、、

特にこれが気になる、、、
http://en.wikipedia.org/wiki/Bauris

775 :世界@名無史さん:2014/01/23(木) 22:57:23.94 0
>>762

Origins of the Etruscans: Was Herodotus right?
By Nicholas Wade
Published: Tuesday, April 3, 2007

http://www.nytimes.com/2007/04/03/health/03iht-snetrus.1.5127788.html?_r=1&


2007年 03月 16日
エトルリア人の起源ー牛のDNAにより解明?
http://jamarte.exblog.jp/4866896

エトルリア人の起源の新説についてのやや苦笑を誘う記事を読んだ。
エトルリア人がどこから来たのかを解明するのにあたり、
トスカーナ地方に特有の白いキアニーナ牛(かのビステッカ・アラ・フィオレンティーナの牛)のDNAが
いわゆるアナトリア半島や中近東の牛のDNAと一番近いというのが調査で明らかになったことから、
トスカーナ地方近辺に栄えたエトルリア文明の起源はここにあり、というのである。
500頭にわたるこの牛種を検査したところこのキアニーナ牛と一番近いDNAを持つのは地理的に近いヨーロッパの他の地域や北アフリカの牛ではなく、
アナトリア、中近東の牛であり、また牛に限らずトスカーナ地方の住民の5%のDNAが遺伝子学上中近東の人々のDNAに近いこともわかった。
特にそれが顕著なののはエトルリア人の街として有名なムルロ(Murlo)やカゼンティーノ(Casentino)の住民であるそうだ。

牛のDNAの類似点だけであるなら、当時商業的にかの地から持ち込まれたのではないか、という疑問も残ったのであるが、
人間のDNAもしかり、ということで、この時代にアナトリア地方から移住してきた民族がエトルリアの先祖であるという説が堅くなってきた。
それも陸地移住ではなく海から渡ってきたらしい。

陸地つたいであるなら必ず通るはずのトリエステやアルプス山脈沿いの街にこの遺伝子の種子の跡が全く発見されていないことがその理由である。


DNA Boosts Herodotus’ Account of Etruscans as Migrants to Italy
http://www.nytimes.com/2007/04/03/science/03etruscan.html?pagewanted=all

776 :世界@名無史さん:2014/01/23(木) 23:24:51.16 0
>>775

Mitochondrial DNA Variation of Modern Tuscans Supports the Near Eastern Origin of Etruscans
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0002929707611069

777 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 02:59:27.12 0
ヨーロッパの牛は全て中東のオーロックスから家畜化されたはずなんだが。ヨーロッパにいたオーロックスは家畜の牛の遺伝子プールに殆ど寄与していないらしい
何波も家畜を伴った農耕民の移住があって、キアニーナ牛とその飼い主は後発組ってことか?

778 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 10:01:36.25 0
>>775これはこっちだった>>750


>>777

http://en.wikipedia.org/wiki/Aurochs

The aurochs, which ranged throughout much of Eurasia and Northern Africa during the late Pleistocene and early Holocene, is widely accepted as the wild ancestor of modern cattle.

Archaeological evidence shows that domestication occurred
independently in the Near East and the Indian subcontinent between 10,000?8,000 years ago,
giving rise to the two major domestic taxa observed today: humpless Bos taurus (taurine) and humped Bos indicus (zebu), respectively.

This is confirmed by genetic analyses of matrilineal mitochondrial DNA sequences, which reveal a marked differentiation between modern Bos taurus and Bos indicus haplotypes,
demonstrating their derivation from two geographically and genetically divergent wild populations.[11]

It is possible that there was a third domestication event from another form of the Aurochs in Africa.


この辺りは記憶と一致

779 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 10:05:09.66 0
>>778続き

The Sanga cattle, a not-humped zebu like cattle type, is commonly believed to originate from crosses between humped-zebus with taurine cattle breeds.
However, there is archaeological evidence that these cattle were domesticated independently in Africa and that bloodlines of taurine and zebu cattle were introduced only within the last few hundreds years.[24]

Domestication of the aurochs began in the southern Caucasus and northern Mesopotamia from about the 6th millennium BC.

Genetic evidence suggests that aurochs were independently domesticated in India and possibly also in northern Africa.[25]
Domesticated cattle and aurochs are so different in size that they have been regarded as separate species;

however, large ancient cattle and aurochs "are difficult to classify because morphological traits have overlapping distributions in cattle and aurochs and diagnostic features are identified only in horn and some cranial element."[8][26]

A DNA study suggests that all domesticated taurine cattle originated from about 80 wild aurochs. Those animals lived in Iran 10,500 years ago.[27]

これも何処かでみかけた


でも、知ってる有名な遺跡ですぐに思いつくのは「チャタル・ヒュユク」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%A6%E3%82%AF

780 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 10:52:00.25 0
Modern Taurine Cattle Descended from Small Number of Near-Eastern Founders
http://mbe.oxfordjournals.org/content/29/9/2101.full

The earliest signs of wild aurochs domestication are seen at Dja'de in the Middle Euphrates Valley, dating to the Early Pre-Pottery Neolithic (EPPNB; 10,800?10,300 cal. BP, Helmer et al. 2005)
and at Cayonu in the High Tigris Valley, between the Early and Middle PPNB (around 10,200 cal. BP, Hongo et al. 2009).

After an initial breeding phase lasting some 1.5 millennia in an area between the Levant, central Anatolia and western Iran,
domestic cattle started to appear in western Anatolia and southeastern Europe by 8,800 cal. BP,
southern Italy by 8,500 cal. BP, and Central Europe by 8,000 cal. BP.

Archaeozoological (Helmer and Vigne 2007; Vigne 2008) residual lipid (Craig et al. 2005; Evershed et al. 2008)
and lactase persistence data (Itan et al. 2009) point to an increasing economic importance of cattle for meat and milk production.


ということみたいなので>>777そうなんじゃなかろうか

781 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 22:09:44.92 0
>>780
Dja'de Early Pre-Pottery Neolithic (EPPNB; 10,800?10,300 cal. BP, Helmer et al. 2005)
Cayonu Early and Middle PPNB (around 10,200 cal. BP, Hongo et al. 2009).
western Anatolia 8,800 cal. BP,
southeastern Europe 8,800 cal. BP,
southern Italy by 8,500 cal. BP
Central Europe by 8,000 cal. BP

>>757
ポーランド ボグスキは新石器時代 紀元前5,500 7,500BP
たしかデンマークもかなり早かった

782 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 22:16:53.80 0
寒いところでチーズ?とかいう人がいるけど、当時のポーランドは今よりかなり温暖だった
日本だと縄文海進の時期だし

783 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 22:18:59.51 0
つまり完新世気候最温暖期
暖かいポーランドでいまのギリシャのフェタチーズのような白チーズを山羊乳で作って食べていた

784 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 22:21:03.43 0
イタリア人はR1bの比率が意外と低い。
印欧語族の先住民の子孫が今でもかなりの割合になると言う意味だね。

785 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 22:28:49.28 0
ヨーロッパ北部(アルプス~カルパチア以北)の先住民つまり狩猟採集民はウラル系だろう。Iなど。
そこへやってきて互いに嫌いあっていた農耕民はプレ印欧語族の言語の話し手でこれはR1b。
その後も何度か小さな移民の波があり、その時代に東方でR1bとR1aの分化が進んだ。
R1aはステップ地帯に進出し移牧ないし遊牧の技術を身に着けた。
彼らは牧畜民として父系社会も形成する。また階層分化も大きくなり墳墓(クルガン)の文化を作る。
プロト印欧語の人々だ。
そして彼らが最初に大規模に欧州に侵入した形跡である考古文化が「球状アンフォラ文化」。

786 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 22:31:49.99 0
イタリアなど欧州南部は地中海を行き来できるため地中海世界に面した人々が混在していく。
そのためアルプス~カルパチア以南の諸国(南部諸国)の地域は北部よりもハプロタイプのバラエティが多い。
アルプス~カルパチア以北の諸国(北部諸国)の地域ではせいぜいウラル系とプレ印欧語系とプロト印欧語系と印欧語のインド・イラン系の影響しか受けていない。

787 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 22:48:17.26 0
>>785

ウラル系は難し過ぎるだろww
>>745

788 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 23:03:51.26 0
>>787
難しくないと思うが?
自分の英語力が低いのかな?
サルディーニャとバルカンもウラル系の(父系子孫の)一部集団が南下したとも考えられる

789 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 23:25:28.29 0
>>788
俺の英語力が低いのは事実だし
好きにやってもらっても構わないぞ

790 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 23:37:36.36 0
もともと欧州全域にプロト・ウラル語の人々が狩猟採集民として広く薄く住んでいたんじゃないのか?

791 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 23:42:08.64 0
とりあえず俺の見立てとして落ちるのはレムノス島

>>750

沿革[編集]

ヘロドトスによれば、エトルリア人は小アジアのリディアからこの地にやってきたと言う。
一方、ハリカルナッソスのディオニュシオスは、エトルリア人はイタリア古来の民族だと述べている。
現在の調査では正式には、エトルリア人が小アジアの出自である事を直接結び付ける証拠はない。
しかしながら、ある調査ではエーゲ海のレムノス島では紀元前6世紀までインド・ヨーロッパ語ではない民族が居住していた跡が見られ、その民族の言語がエトルリア人と似ている事が指摘されている。

また、エトルリア人は海を往来する民族でもあり、古代地中海世界の至るところからその存在が記述されている。一説には古代エジプト第20王朝に記述のある「海の民」はエトルリア人ではなかったかとも言われている。
>>616

792 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 23:47:03.81 0
>>710

ヌラーゲの中の人はほぼ>>762の人なんだろうな

793 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 23:57:36.99 0
エトルリア語、ハンガリー語、トルコ語、似ている

794 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 23:58:44.15 0
バスク語とウラル語派諸語も似てるっちゃ似てるんだよな

795 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 23:59:35.73 0
>>792
わー、ごめん
かなりアホなこと書きました

796 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 00:09:47.18 0
>>793>>794
言語はさっぱり分からないのでどーんとやって下さいな

飲み過ぎはあかんね

797 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 00:27:40.03 0
>>790
俺も最初の頃はそうかも知れないと思ってたけど
スカンジナビア先住民やルクセンブルク狩猟採取民が説明付かないんで厳しいと思う

798 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 07:24:02.20 0
遺伝子研究のおかげで欧州古代史がより鮮明になってきている。
少なくともクロマニヨン人の子孫という主張は影をひそめた。
印欧語族と遺伝子と酪農と人種のほぼ四身一体が公認されるまでもう少しだな。

799 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 10:01:59.23 0
ウラル系っていうか、先ウラル系(プロトウラリック)からの系譜だろうよIは
その現存子孫がウラル語派諸民族やバルカン西部諸民族など

バスクは先印欧語だろうよR1b
プレプロトインドヨーロピアン
この農耕民が、先ウラル系狩猟民が広く薄く住んでいた欧州全体に広まった
互いに嫌いあっていたようだが(人種差別)Iの容貌はコミ人のように白く薄く丸い顔金髪碧眼だろう
R1bになると鋭角的で精悍な、ただし少し浅黒い金髪碧眼で食糧事情が良い事で背が高い
R1bからするとIはドワーフに見えただろう

印欧語が成立したのはこの最初の農耕民が定住した後はるか東方の地で
この時代東方でR1bのほかR1aが成立
R1aはヤームナヤ文化やドニエプル・ドネツ文化の地で発生しただろう
ヤームナヤ文化はスキタイなどイラン系の文化に似ているが当時はまだケントゥム語だったろう

800 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 10:04:49.92 0
要はクルガン仮説に沿った説明だがね

801 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 12:04:44.35 0
そういえばこれの中身を確認するの忘れてた


【生物】家畜馬の祖先16万年前に急増、北米からアジア東部へ移動後 英など国際研究
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1336663217/1

1 名前:一般人φ ★[] 投稿日:2012/05/11(金) 00:20:17.62 ID:???
 家畜の馬の祖先種は約16万年前にアジア東部で急増し、約5500年前までにカザフスタンやロシア南西部、
ウクライナ付近で家畜化された可能性が高いことが分かった。英ケンブリッジ大などの国際研究チームが
ユーラシア大陸各地の約300頭の馬から採取された細胞核DNAを解析した成果で、9日までに米科学アカデミー
紀要電子版に発表した。 これまでの研究によると、祖先種はもともと北米大陸で出現し、昔は陸続きだった
ベーリング海峡を経由して20万年前までにアジアに移動したとされていた。カザフスタン北部の遺跡で見つかった
約5500年前の馬の歯にはくつわをかませた跡があったり、陶器に馬乳のかすが付着したりしており、
今回の解析結果と一致するという。


▽PNAS
「Reconstructing the origin and spread of horse domestication in the Eurasian steppe」
http://www.pnas.org/content/early/2012/05/02/1111122109.abstract

802 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 16:06:37.44 0
>カザフスタンやロシア南西部、ウクライナ付近

まぎれもなくスレドニ・ストグ文化とフヴァリンスク文化だ…

803 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 18:34:54.92 0
>>781

上の二つのPPNBの真ん中がギョベクリ・テペ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%9A


そんでLBKとは年代が合わない気がするんだよな

Linear Pottery culture
http://en.wikipedia.org/wiki/Linear_Pottery_culture

The Linear Pottery culture is a major archaeological horizon of the European Neolithic, flourishing circa 5500?4500 BC.
It is abbreviated as LBK (from German: Linearbandkeramik),
and is also known as the Linear Band Ware, Linear Ware, Linear Ceramics or Incised Ware culture,
and falls within the Danubian I culture of V. Gordon Childe.

804 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 18:41:12.68 0
>>781

Cardium Pottery
http://en.wikipedia.org/wiki/Cardium_Pottery

Preboreal (10.3 ka ? 9 ka),
Boreal (9 ka ? 7.5 ka),
Atlantic (7.5 ka ? 5 ka),
Subboreal (5 ka ? 2.5 ka)
Subatlantic (2.5 ka ? present)
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚


The Mediterranean Neolithic[edit]

This pottery style gives its name to the main culture of the Mediterranean Neolithic: Cardium Pottery Culture or Cardial Culture, or Impressed Ware Culture,
which eventually extended from the Adriatic sea to the Atlantic coasts of Portugal and south to Morocco.[4]

The earliest Impressed Ware sites, dating to 6400-6200 BC, are in Epirus and Corfu.
Settlements then appear in Albania and Dalmatia on the eastern Adriatic coast dating to between 6100 and 5900 BC.[5]
The earliest date in Italy comes from Coppa Nevigata on the Adriatic coast of southern Italy, perhaps as early as 6000 cal B.C.
Also during Su Carroppu civilization in Sardinia, already in its early stages (low strata into Su Coloru cave, c. 6000 BC) early examples of cardial pottery appear.[6]
Northward and westward all secure radiocarbon dates are identical to those for Iberia c. 5500 cal B.C.,
which indicates a rapid spread of Cardial and related cultures: 2,000 km from the gulf of Genoa to the estuary of the Mondego in probably no more than 100?200 years. This suggests a seafaring expansion by planting colonies along the coast. [7]

805 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 20:16:30.34 0
>>769

 3) 無陶器・新石器文化/シロウロカンボス居住地遺跡
http://hp1.cyberstation.ne.jp/legend-ej/p-civil1997cyp-khir.html

パレクリシア村の北西1.5km、標高180mのポイントで1991年~2004年までミッションを行ったフランス考古学チームは、
紀元前8500年~前7000年頃に属する無陶器・新石器文化のシロウロカンボス居住地遺跡 Shillourokambos を発掘した。遺跡は海岸から約4kmの距離である。
この継続的な発掘ミッションでは、細い編み枝と粘土を使った泥漆喰で表層仕上げした「輪切りダイコン」のような形容の円筒形の家屋群、集落の中心には井戸も確認された。
また、出土品では黒曜石のフリント石器を初め、顔をモチーフにした石製像、装飾の小石、そして色々な動物の骨、埋葬人骨などが確認された。家屋構造や出土品に関しては、キロキティアの新石器文化と連動しているとされる。

2004年、フランス考古学チームの発表した発掘レポートでは、石器以外に大量のヒツジ、野生のロバやウシ、さらにイヌの仲間やイノシシ(ブタ)の骨まで出土したことから、このうち幾らかの動物は食料にするために家畜化されていたとされる。
これらの出土品はシロウロカンボスの人々が、野生動物の家畜化や種を蒔く定住した初期農業を営み、この地方の新石器文化のセンターであったキロキティア居住地と同様に、豊かで発達した生活を営んでいたことを暗示させている。

装飾石や磨製石斧、黒曜石のフリント石器類などが一緒に副葬されていたことから、かなり「地位」の高い人物であったことを推量させる30歳前後の屈葬人骨が見つかった。
興味深いことに、その屈葬人骨から40cm離れた地中から「埋葬された」と判断できるネコの完全骨格も見つかっている。
ネコの骨格発掘に関してフランス・チームの担当者は、紀元前7500年頃、今から約9,500年前の新石器文化の時代、シロウロカンボス居住地ではすでにネコを家庭内で飼う、いわゆる「飼いネコ/ペット」が行われていた、と判断している。
なお、シロウロカンボス居住地の「ある家族」が可愛がって飼っていた後、死亡したことから手厚く「埋葬した」と推測されるこのネコの骨格は、アフリカン・キャットの仲間で生後8か月~9か月と推測されている。

806 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 23:07:21.76 0
>>801

これは見れる
A High Density SNP Array for the Domestic Horse and Extant Perissodactyla: Utility for Association Mapping, Genetic Diversity, and Phylogeny Studies
http://www.plosgenetics.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pgen.1002451

これは見れない
Evidence of Positive Selection for a Glycogen Synthase (GYS1) Mutation in Domestic Horse Populations
http://jhered.oxfordjournals.org/content/early/2013/11/07/jhered.est075.abstract

807 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 23:10:42.05 0
>>665
おそらくこれは家畜化を含む初期農耕民の流れだろうね
ただしサルディーニャとの伝承ともリンクもなくはないけど>>709

808 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 00:48:51.93 0
imgur.com/Hr4vyL7


ロリコンネットストーカーで有名なおっさん  HN IGZYゆたんぽ
1963年1月21日生 相模高校1981年卒五十嵐良裕 




この画像を見る限り 土人にしか見えない

809 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 11:33:07.46 0
南欧における初期農耕民とその他北部全体における初期農耕民は出自の異なる集団では?

810 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 11:56:52.52 0
>>809
それは全く違う
スカンジナビアの初期農耕民は南欧出身系列

811 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 12:43:15.74 0
2000年ぐらい前までは、北欧でも南欧系遺伝子の割合が高かったそうだ。
Iはともかく、R系遺伝子が欧州を覆うようになったのは意外と最近のことかもね。

812 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 12:51:57.65 0
北部欧州の初期農耕民というのは考古文化区分で言うと何?
南欧出身だとしたらどこから?

813 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:10:11.23 0
スタルチェヴォ文化(バルカン)→線帯文土器文化(LBK、北部欧州)
当時は東部でククテニ・トリポリエ文化も並立

814 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:11:16.89 0
>>656
のリンク先に載ってるんだから読みなよ
というかここにコピペしたもので全部確認できるけどね

815 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:16:07.25 0
アトキンソン等はこれを初期印欧語文化だと決めつけたが、実際は違うな
このオッサンは考古遺物を無視しすぎ

816 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:18:26.09 0
>>813 >>815
なるほど
とすると初期印欧語ないし先印欧語の集団は後にウクライナのほうから来たわけか

スタルチェヴォ系統はYハプロタイプFがあるね
確かに印欧語系とは関係ないだろうな

817 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:26:21.65 0
>>816
ウクライナ方面から来てカルパチア山脈を境に二手に分かれた
北部方向は球状アンフォラ文化(北部欧州方面)
南部方向はヴィンチャ文化(南部欧州方面)
ヴィンチャ文化は俗に原ギリシャ人と呼ばれ、まずドーリア人がギリシャに入った

818 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:29:11.10 0
表現が正しくなかった
南部方向はヴィンチャ文化の地域に侵入した、とするのが正しい

819 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:34:34.26 0
おまいら好きかってに言ってるなww

>>812
時代区分は TRB ファンネルビーカー文化>>697
確定的な情報はないけどご先祖の出身地はサルデーニャと近くて
アイスマンと良く似た構成だよ

820 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:39:44.64 0
>>817-818
LBKはエンマ小麦やエンドウマメなどをもって欧州に農耕をもたらしていますね
ヴィンチャ文化というのをもっと調べてみます

821 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:40:38.08 0
すみません
ヴィンチャ文化じゃなくてスタルチェヴォ文化でしたね

822 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:44:23.06 0
>>815
スタルチェヴォ文化は謎だー
アナトリア仮説が示すように印欧語なのか
それともクルガン仮説が示すように非印欧語なのか

アナトリア仮説はかなり無理があるようにみえる
考古遺物の無視とはそういうことですね
個人的にはクルガン仮説を支持

823 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:44:46.23 0
>>660
ちなみに北欧とは言わないと思うが

ドイツの個体はLBKで、これも南欧系列

“Stuttgart”, a ~7,500 year old individual
found in Stuttgart in southern Germany who was buried in the context of artifacts from the first
widespread Neolithic farming culture of central and northern Europe, the Linearbandkeramik (LBK).


そんでもって俺は歴史区分も詳しくない

824 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:51:40.30 0
余談だが>>817で言及した原ギリシャ人はヴチェドル文化(Vucedol)の後継のヴァテイン文化(vatin)
ここからドーリア人がまずギリシャに入った

825 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 13:54:15.14 0
>>822
考古遺物の変遷を丁寧に追いかけていくとクルガン仮説を支持しないわけにはいかない
マロリーは細かい点ではギンブタスと意見が異なるが、基本的な立場としてクルガン仮説を支持

826 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 14:33:11.94 0
ゲルマン=スラヴ=バルト連続体

827 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 15:53:34.55 0
そろそろ次の引越し先を探していたりするけど
朝鮮系ばっかりでうんざりする

828 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 17:02:29.57 0
まあ、クルガン仮説が当たらずといえども遠からずだろうね。

829 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 22:59:50.96 0
>>804
6400-6200 BC, are in Epirus and Corfu
6100-5900 BC, Albania and Dalmatia on the eastern Adriatic coast
6000 cal B.C(as early as ) Italy comes from Coppa Nevigata on the Adriatic coast of southern Italy
c. 6000 BC Su Carroppu civilization in Sardinia,
c. 5500 cal B.C Iberia

>>781
500年ぐらいづつこっちのが早いけど、これも海上の道だろうな

830 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 23:21:38.06 0
>>762
おもしろかったです

ちなみに、これはどうしてだと思います?
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_T-M184

Estonians Estonian (Uralic) Estonia 11/207 5.3%

ノイズではありえない数値に見えますが、、、

831 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 23:49:39.19 0
>>830

Migration Waves to the Baltic Sea Region
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1469-1809.2007.00429.x/full

ちと古い、、、

832 :世界@名無史さん:2014/01/27(月) 07:44:29.07 0
>>825
初期農耕民が一旦バルカンで滞留して散発的に北と南に別れて西進しているうちに
東方からバルカンに向かって原インド・ヨーロッパ語族の牧畜民が移動していますね

833 :世界@名無史さん:2014/01/27(月) 19:21:48.25 0
>>829
この連中がE・J2かな。

834 :世界@名無史さん:2014/01/27(月) 21:57:14.90 0
ヒトラー改宗ユダヤ人子孫説が誤りかも知れないってことか。その時代にEがヨーロッパに入ってたとすると

835 :世界@名無史さん:2014/01/27(月) 23:07:13.70 0
>>833
どーでしょ?

とりあえず、>>804>>829
Cardium PotteryがY-DNAのTとリンクするのは
他のデータと矛盾しなそうですけどね

836 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 01:57:01.73 0
7000年前頃のヨーロッパ人のゲノム

 この研究では、スペインのレオンにあるラブラナアリンテーロ(La Brana-Arintero)遺跡で発見された7000年前頃の中石器時代の男性の歯からDNAが抽出・解析され、
アルプスで発見された5300年前頃の通称「アイスマン」など新石器時代のヨーロッパ人、
スウェーデン・フィンランド・シベリアの狩猟採集民の墓から入手した部分的な遺伝子標本、
現代ヨーロッパ人35名のDNAなどと比較されました。

 その結果、上部旧石器時代から中石器時代の西部・中央部ユーラシアにわたる共通の古代ゲノムが識別されました。
また、現代ヨーロッパ人の遺伝子において病原体抵抗と関連する多くの派生的・適応的異型が、
すでに中石器時代のヨーロッパの狩猟採集民に存在していたことも明らかになりました。

このことから、ヨーロッパにおける旧石器時代からの遺伝的連続性が推測されます。もちろん、新石器時代以降も、ヨーロッパへの人々の移住はありましたが。

 また、中石器時代ラブラナアリンテーロ人男性のいくつかの肌の色素形成遺伝子には、古代から継承されていた肌の色を濃くするような対立遺伝子が確認されました。
このことから、中石器時代のヨーロッパにおいて、薄い色の肌はまだ広まっていなかったのではないか、とこの研究は示唆しています。
ヨーロッパで薄い色の肌が広まったのは、農耕への依存度が強くなっていったことと関係があるのかもしれません。
高緯度地帯において穀物への依存を強めていく(生肉の消費量が減る)と、肌の色が薄い方がビタミンD不足に陥りにくくなります。
もっとも、それは関係なく、性選択か単なる偶然だった可能性も考えられますが。


参考文献:
Olalde I. et al.(2014): Derived immune and ancestral pigmentation alleles in a 7,000-year-old Mesolithic European. Nature.
http://dx.doi.org/10.1038/nature12960

837 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 01:59:07.37 0
ほいきた

>>836
http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/fig_tab/nature12960_F1.html

そんで
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2735096/figure/F2/

838 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 02:19:49.37 0
>>837
とりあえずフィンランド人だけ別もの

解析は、5体の古人骨と、La Brana1を分離するもの
結果は、初期農耕民と狩猟採取民の対比を示す



図をアバウトに見る限り>>819

>>697の 'Gok4' はテッサリアと関係があり
>>764>>767  Iceman はイタリアと関係が深い

839 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 02:42:03.37 0
>>836失敬
http://sicambre.at.webry.info/201401/article_35.html

Malt'aが非常にめんどくさい

840 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 02:54:22.88 0
>>837
今のところ、あんまり見るべきものがない


アイルランドが最も左よりなのは
農耕の進入が遅れたからなのかどうかってぐらいっすか


スコットランドとデンマーク
それとスカンジナビアの少数民族に
焦点を当てたらいいかとおもうんだけど
こっちの>>656の本番の方に期待ですかね

あ、それとおんなじ図に>>693のLoschbourは載っけるべき

841 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 03:03:21.38 0
とりあえずこれ>>837の結果は
>>714を支持しているように見える

これだと何にも面白くなさそうなんで
>>830のジェファーソンのTは海路はるばる北方へ入植したとしたかったが
>>838この結果だと微妙

842 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 04:31:33.41 0
>>836
SLC24A5の変異は7000年前には普及していなかったということか。
欧州人が今のように白くなったのは、歴史的にごく最近のことだな。

843 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 07:18:02.30 0
>>559
>>703

>>842
そういう話ですけど、もうひとひねり有るかもしれないです

844 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 16:25:11.05 0
ロシア帝国最後の皇帝、ニコライ2世の5人の子供達

オリガ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%83%8A_(%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A42%E4%B8%96%E7%9A%87%E5%A5%B3)
タチアナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%83%8A
マリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%83%8A_(%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A42%E4%B8%96%E7%9A%87%E5%A5%B3)
アナスタシア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%83%8A
アレクセイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81_(%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%9A%87%E5%A4%AA%E5%AD%90)

マリアとタチアナが美人、アレクセイは男前
アナスタシアは少し残念な感じだけど

845 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 18:32:16.87 0
ゲノムからのアプローチは方法論的に非常にまずいらしい。

846 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 20:00:25.56 0
>>838
なぜフィン人だけが分離されるのか?

>>837
横軸はほぼ農耕牧畜としてよいだろう
その上で縦のラインを何と考えるか?

847 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 22:32:24.65 0
>>829>>838>>841>>846


というかここ>>697にほとんど載ってるね

April 26, 2012
なんだが、、、ワロス

Ancient DNA from Neolithic Sweden (Skoglund et al. 2012)

【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚


The Neolithic hunter-gatherers shared most alleles with Northern Europeans, and the lowest allele sharing was with populations from Southeastern Europe (Fig. 3A).
In contrast, the Neolithic farmer shared the greatest fraction of alleles with Southeastern European populations (Cypriots and Greeks),
and showed a pattern of decreasing genetic similarity for populations from the Northwest and Northeast extremes of Europe (Fig. 3B).
Individuals from Turkey stand out by low levels of allele sharing with both Neolithic groups, possibly due to gene flow from outside of Europe


元はこれらしい
Science 27 April 2012: Vol. 336 no. 6080 pp. 466-469 DOI: 10.1126/science.1216304
Origins and Genetic Legacy of Neolithic Farmers and Hunter-Gatherers in Europe

848 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 23:06:47.83 0
>>847
のんびりと検証してきたものがあっさり書いてあってワラタ
まぁ、新しいデータで検証してもほとんど変わらんからいいや

これもあっさり書いてあるけど、>>832
A strong hint for this can also be found in the quite unexpectedly low "TRB" allele sharing of groups from the Northwestern Balkans.
This is quite unexpected, as the area is widely believed to be a conduit through which agriculture spread into Central Europe.

まぁ、これもおいらの結論はあんまり変わらないからいいけどね

849 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 23:40:25.13 0
>>727>>726>>730

これとかもワロス
超古代文明


http://dienekes.blogspot.jp/2014/01/6500-year-old-tin-bronzes-from-serbia.html

6,500-year old tin bronze from Serbia
Antiquity Volume: 87 Number: 338 Page: 1030?1045

Tainted ores and the rise of tin bronzes in Eurasia, c. 6500 years ago

Miljana Radivojevi? et al.

The earliest tin bronze artefacts in Eurasia are generally believed to have appeared in the Near East in the early third millennium BC.
Here we present tin bronze artefacts that occur far from the Near East, and in a significantly earlier period. Excavations at Plo?nik, a Vin?a culture site in Serbia,
recovered a piece of tin bronze foil from an occupation layer dated to the mid fifth millennium BC.

The discovery prompted a reassessment of 14 insufficiently contextualised early tin bronze artefacts from the Balkans.
They too were found to derive from the smelting of copper-tin ores.
These tin bronzes extend the record of bronze making by c. 1500 years, and challenge the conventional narrative of Eurasian metallurgical development.

850 :世界@名無史さん:2014/01/28(火) 23:57:13.23 0
>>682>>683

Ancient Y chromosomes from the Canary Islands
http://dienekes.blogspot.jp/2009/08/ancient-y-chromosomes-from-canary.html

On the aboriginal remains (ABO):

Aboriginal remains were clearly pre-conquest for all the analyzed islands:

Tenerife (2210 ± 60 to 1720 ± 60 BP),
Gomera (1743 ± 40 to 1493 ± 40 BP),
Hierro (1740 ± 50 to 970 ± 50 BP) and
Gran Canaria (1410 ± 60 to 750 ± 60 BP) [33].


It is clear that the aboriginal population was dominated by haplogroups E-M81, E-M78, J-M267.
In the historical period (a few centuries ago) new haplogroups make their appearance (e.g., R1a) and a massive increase in the frequency of R1b is observed.

>>833

851 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 00:15:41.71 0
Y-chromosome, mtDNA, and autosomal DNA from Treilles (5,000 years ago, Neolithic France)
http://dienekes.blogspot.jp/2011/05/y-chromosome-mtdna-and-autosomal-dna.html


The paper is behind a paywall, but there is plentiful raw genetic data in the online supplement.
I'll probably have much more to say on this when I read it, but here's the groundbreaking part:


Most of this sample belonged to haplogroup G2a-P15 with some I2a-P37.2 also represented.
>>767


UPDATE IV:
Table S4 lists (in %) shared mtDNA lineages between Treilles and modern populations.
The top ones are:

Welsh (17.391),
Cornish (16.667),
Central Greeks (14.286),
Bulgarians (12.5).
Several Italian groups as well as South Tyrol Ladins and Germans are also greater than 10%.

【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚 (たぶん、、、)

852 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 00:28:48.99 0
>>851
アドレス見たらG2aですね

Welsh
ウェールズ語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E8%AA%9E

なはっはww
北コーカサスに進入する西地中海人
北中央ヨーロッパ人が中東に侵入

853 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 01:38:38.54 0
>>851

コーンウォール語
http://en.wikipedia.org/wiki/Cornish_language

7 H*
6 J
4 U5
3 HV0
3 X
2 U5 or K2b1
2 T2b
2 K
1 H
1 I
1 U5b1c
1 H?
1 X2
34 総計

なんか失敗した気がしないでもないけど、まぁいいや

854 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 07:58:27.98 0
>>845
ゲノムコンピューティングとコンピューティング言語学からの結論は価値がない。
今月それについて専門家の本が出るよ。ケンブリッジ大学出版会から。

855 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 09:42:46.63 0
>>847 トルコ人はやはりモンゴロイドの末裔だったか。あるいは gene flow from outside of Europe は中東からか

856 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 12:43:59.07 0
スラブ人は2つの系統があるな
遺伝子から見るとポーランドはゲルマン人、ロシア人はフィン人だね

857 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 19:37:54.37 0
>>855

その図は情報足りてないから>>745のやつの方が見通しがいいよ。
トルコは完全に中東系で、むしろ中央アジアの血筋が殆んど入ってないのが不思議なレベル

858 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 20:07:59.76 0
>>849
けっこうしんどい
http://antiquity.ac.uk/ant/087/ant0871030.htm

859 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 21:50:46.93 0
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140127006

日本語でも紹介されている。
青い目と白い肌とはもたらす遺伝子が違うことはわかっているが、
青い目の方が先に欧州人に普及していたようだ。

860 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 22:25:26.25 0
>>857
ちなみに俺の口から言うとカドが立つので
長いことほったらかしてあるけど

コーカサス人とイラン人と、
あともう一つの地域を較べてみれば
ある推測が出来ると思うけどね

861 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 23:04:42.21 0
>>745>>838>>841

フィンランド→エストニア、ラトビア

フィンランドの地理
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E5%9C%B0%E7%90%86

フィンランドの地理は他の北欧諸国とは違っている。
スウェーデンとの間はバルト海のボスニア湾で境を分かち、ロシアとの間にはフィンランド湾がある。
フィンランドは欧州大陸最北の国である。

フィンランドの地理においてもっとも顕著な傾向は大陸的氷河の痕跡である。
氷河は国土の表面に溝をつくり、磨きあげた。氷河は1万年前に後退したと考えられ、このときモレーン、氷堆丘、エスカーなどを残した。
他にも氷河の存在の兆候として、南部地帯の多数の湖がある。分厚い氷の膜の動く力は、氷床をえぐり、氷が解けるとその穴に水がたまった。
この湖や河川が氷河による形成の痕跡と考えられている。氷河の後退は地学的規模からみればそう遠くない過去のことであり、現代も流域の状況は未完成で、確立したものではない。
氷河の進行と後退の方向はフィンランドの河川や湖の向きを広範囲で北東から南西の向きへ調整した。
サルパウセルッカ分水嶺と呼ばれる二本の峰が25kmの間隔で平行に伸びており、これが氷堆石の終点である。
フィンランド南部にある分水嶺の最高点は標高200mにおよぶ。

3.1 フィンランド多島海域
3.2 フィンランド沿岸部
3.3 湖水地方
3.4 フィンランド高地

862 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 23:46:16.71 0
>>861
http://en.wikipedia.org/wiki/Baltic_ice_lake

Eemian Sea, 130,000?115,000 (years ago)
(Baltic ice lake), 12,600?10,300)
Yoldia Sea, 10,300?9500
Ancylus Lake, 9,500?8,000
Mastogloia Sea 8,000?7,500
Littorina Sea, 7,500?4,000
Post-littorina Baltic Sea, 4,000?present

863 :世界@名無史さん:2014/01/30(木) 00:35:31.77 0
>>838
http://fennoscandia.blogspot.jp/2013/08/ajv52-and-european-variation.html

The Ajv52 like Ajv70 and Ire8 individual belonged to a 2800-2000 BC Pitted Ware Culture complex found in Ajvide, Gotland, Sweden.
Ajv52 belonged to mtDNA hg V. The PWC was a hunter gatherer culture.

864 :世界@名無史さん:2014/01/30(木) 01:06:48.04 0
>>660>>863

実はいまいちmotalaがわかって無い
この精度だと結構ロキもあると思うんだけど

865 :世界@名無史さん:2014/01/30(木) 03:06:42.45 0
寝るタイミングを逸してしまった、、、

>>846>>863
ウラル系の民族の侵入を受けたのが4800年以降で
これらの先住民が居た地域には地中海人が農業を持ち込んだが
フィンランドだけは馴染まなかったという説明だと
シンプルなんだけど、まぁ違和感が残るんだよな

866 :世界@名無史さん:2014/01/30(木) 21:27:42.44 0
>>850

航海者ハンノ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AA%E6%B5%B7%E8%80%85%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8E


航海者ハンノ(こうかいしゃハンノ、英: Hanno the Navigator, Hanno II of Carthage)は、
紀元前450年頃のカルタゴ出身の人物。地中海を越えてアフリカ大陸西岸部にまでの大航海を遂行した。
この功績により後世では他の「ハンノ」たちと区別して『航海者』と名づけられている。

「ハンノ」という意味はフェニキア語で「慈悲深い」という意味である。

867 :世界@名無史さん:2014/01/30(木) 23:09:27.20 0
242 :優しい名無しさん:2014/01/30(木) 10:56:00.88 ID:1NDUICd1
>>230

実際にテレ朝系のビーイングのロックユニット
なんか盗作裁判になってもおかしくないレベルだぜ??w

それが『オマージュ』『リスペクト』。


243 :優しい名無しさん:2014/01/30(木) 10:58:23.33 ID:1NDUICd1
異常な外国文化崇拝。

洋服まで。

こりゃ精神文化的にも珍しい部類じゃないか??


244 :優しい名無しさん:2014/01/30(木) 15:57:02.88 ID:vfvMFGAH
ムーディ勝山のチャラチャッチャラチャーと
桂三度の12 サンっ
でみんな爆笑している時 日本の知性を感じた
良い国だなぁ

868 :世界@名無史さん:2014/01/31(金) 03:19:29.56 0
Lactase persistence
乳糖分解酵素(ラクターゼ)活性持続症
http://www.eps1.comlink.ne.jp/~mayus/eating1-10/lactase.html

なお、馬乳の乳糖濃度は6.3%と高いので、これを発酵させて馬乳酒(アイラグ)を作った。

>>656>>757

http://en.wikipedia.org/wiki/Lactase_persistence

Evolutionary history

Several genetic markers for lactase persistence have been identified,
and these show that the allele has Multiple Origins in Different Parts of the World (i.e. it is an example of convergent evolution).[54]
The version of the allele most common amongst Europeans is estimated to have risen to significant frequencies
about 7,500 years ago in the central Balkans and Central Europe, a place and time approximately corresponding to the archaeological Linearbandkeramik and Star?evo cultures.


From there, it most probably spread eastwards as far as India.

Likewise, one of the four alleles associated with lactase persistence in African population, is also probably of European origin.[55]

Since North Africans also possess this version of the allele it is probable that it actually originated earlier, in the Near East,
but that the earliest farmers did not have high levels of lactase persistence and, subsequently, did not consume significant amounts of unprocessed milk.[56]

Lactase persistence in Sub-Saharan Africa almost certainly had a separate origin, probably more than one,[57]
and it is also likely that there was a separate origin associated with the domestication of the Arabian camel.[58]
None of the mutations so far identified have been shown to be causal for the lactase persistence allele, and it is thought that there are several more yet to be discovered.[59]

869 :世界@名無史さん:2014/01/31(金) 03:32:47.16 0
>>868

Direct estimates of natural selection in Iberia indicate calcium absorption was not the only driver of lactase persistence in Europe
http://mbe.oxfordjournals.org/content/early/2014/01/20/molbev.msu049

Abstract(から抜粋) 

In this study we examine one of the most widely cited hypotheses for selection on LP ? that fresh milk consumption supplements the poor vitamin D and calcium status of northern Europe's early farmers (the calcium assimilation hypothesis).

We do this by testing for natural selection on -13,910*T using ancient DNA data from the skeletal remains of eight late Neolithic Iberian individuals,
whom we would not expect to have poor vitamin D and calcium status because of relatively high incident UVB-light levels.
None of the 8 samples successfully typed in the study had the derived T-allele.

In addition, we reanalyse published data from French Neolithic remains to both test for population continuity and further examine the evolution of LP in the region.

Using simulations that accommodate genetic drift, natural selection, uncertainty in calibrated radiocarbon dates, and sampling error,
we find that natural selection is still required to explain the observed increase in allele frequency.
We conclude that the calcium assimilation hypothesis is insufficient to explain the spread of lactase persistence in Europe.


これは結構おもしろいな
the skeletal remains of eight late Neolithic Iberian individuals
French Neolithic remains はたぶん?と思って書き間違いに気が付いた

870 :世界@名無史さん:2014/01/31(金) 03:50:46.83 0
Ancient DNA reveals male diffusion through the Neolithic Mediterranean route
http://www.pnas.org/content/early/2011/05/24/1100723108

Abstract

The Neolithic is a key period in the history of the European settlement.
Although archaeological and present-day genetic data suggest several hypotheses regarding the human migration patterns at this period,
validation of these hypotheses with the use of ancient genetic data has been limited.

In this context, we studied DNA extracted from 53 individuals buried in a necropolis used by a French local community 5,000 y ago.
The relatively good DNA preservation of the samples allowed us to obtain autosomal, Y-chromosomal, and/or mtDNA data for 29 of the 53 samples studied.

From these datasets, we established close parental relationships within the necropolis and determined maternal and paternal lineages
as well as the absence of an allele associated with lactase persistence, probably carried by Neolithic cultures of central Europe.

Our study provides an integrative view of the genetic past in southern France at the end of the Neolithic period.
Furthermore, the Y-haplotype lineages characterized and the study of their current repartition in European populations
confirm a greater influence of the Mediterranean than the Central European route in the peopling of southern Europe during the Neolithic transition.

53体の人骨、29体のY-chromosomal, and/or mtDNA

>>853
>>869たぶんじゃなくてそうだった

871 :世界@名無史さん:2014/01/31(金) 22:31:21.77 0
SLC24A5が変化するのは5000~6000年前ぐらいに始まったということだね。
白色化はまだ続いているのかなあ。

872 :世界@名無史さん:2014/01/31(金) 23:28:20.47 0
>>871
色白好きだなww

>>868
ちなみに7500年前のドイツ農耕民もルクセンブルク狩猟民もラクターゼ活性持続症は持ってない。
だけど現在の北欧では支配的な変異となってる。

しばらく前はアナトリア起源となってたけど、もうちょっと複雑な話になるかもね

873 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 03:42:38.52 0
バルカンと中欧起源で、インドのラクターゼ活性持続症と同じタイプらしいな。同じものはアフリカの一部でも見られるらしい
あとはアフリカ起源のが複数と中東のラクダ牧畜民由来のが。インドとヨーロッパの間の地域で見られるものがヨーロッパ起源のものか、中東由来のものかが気になる
ともかく多系統らしい。ヨーロッパ以外のは、牛乳を沸かすための薪が欠乏してやむなく生で飲むうちに...ってのが自然選択のきっかけとして考えられるな。
でも非加熱乳のままでも発酵食品や加工食品は作れるか。

874 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 09:14:14.75 0
>>656
あとこれがあれば大体が出揃うかな

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20110708002
イギリスで新石器時代の人骨を大量発見

James Owen for National Geographic News
July 8, 2011

イギリス、スコットランド北部にあるオークニー諸島のサウス・ロナルドセー島で、約5000年前の墓が発見された。内部には新石器時代の大量の人骨が納められていた。


 6月に発表されたギブソン氏の報告によると、「バンクス墓(Banks Tomb)」と命名されたこの遺跡は、部分的な発掘調査により、新石器時代にまで遡ると確認された。
荒らされていない新石器時代の墓がスコットランドで見つかったのは約30年ぶりだという。

「これほど保存状態が良い遺跡が見つかるのは珍しい。多数の遺骨が納められており、それぞれ別の年代と考えられる」と同氏は述べている。


 墓は、幅0.75メートル、奥行き4メートルの中央の部屋と、周囲の砂岩を切り出して造られた4つの小部屋からなる。
中央の部屋は風雨で傷んだ大きな厚板で蓋をされ、石壁と石柱が支えている。

 発掘された頭蓋骨の破片は1000個以上。性別、年齢ともにばらばらで、乳児も含まれていた。
人骨はそれぞれ異なるシルト(細かい泥)の層から出土しており、何世代にもわたって使用されていた可能性があるという。

 また最初の調査で、人骨の中から先史時代のカワウソの骨と糞が見つかっており、「カワウソの墓(Tomb of the Otters)」とも呼ばれている。

 どうも当時の人々は、それほど頻繁に墓を訪れていなかったらしい。
「墓は密閉されておらず、カワウソが出入りを繰り返していた。つまり、1~2年おきにしか墓参りや埋葬に来ていなかったと考えられる」とギブソン氏は指摘する。

875 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 09:15:45.37 0
>>874

 オークニー考古学研究センター(Orkney Research Centre for Archaeology)が率いる発掘調査はまだ始まったばかりだが、
「新石器時代の埋葬習慣を解明する重要な手掛かりが得られることは間違いない」とギブソン氏は自信の程をうかがわせる。

 例えば、人骨のDNA分析や同位体分析により、血縁関係の有無のほか、
島で緊密な関係を構築していた共同体なのか、外部から来た人間の遺骨も含まれているのかなどを明らかにできるという。

 また、儀式的な目的で墓から人骨が取り除かれていないかも調べられる予定だ。
「この墓には非常に多くの遺骨が眠っている。他の石器時代の墓では、これほど多いことは珍しい」。

「カワウソの墓」から1.5キロほど離れた場所には、約5000年前の墓地遺跡「ワシの墓(Tomb of the Eagles)」がある。
最近の調査によると、新石器時代にオークニー諸島で営まれていた酪農集落の生活はあまり平和ではなかったようだ。

 ワシの墓から出土した頭蓋骨の20%以上に、鋭利な武器や鈍器で激しく殴打されたとみられる傷跡があった。
カワウソの墓の頭蓋骨にも同じような傷跡がないか、調査が進められている。

「新石器時代の暮らしは、愛と平和をうたうヒッピーのようなイメージがあったが、
実際には暴力的な儀式が行われていた証拠が出てくるかもしれない」とギブソン氏はコメントしている。

876 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 09:21:43.70 0
>>698

サハラの砂漠化には数千年かかっているという新説
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=18230993

James Owenfor National Geographic News
May 8, 2008

 有史以前には緑豊かな草原だったサハラが世界最大の砂漠へと変貌していったペースは、
これまで考えられていたより緩やかだったとする研究報告が発表された。

 有史以前の地下水によって維持されているサハラ最大の湖であるヨア湖の湖水には「少なくとも6000年前の気候記録が破壊されずに存在する」と語るのは、
この研究報告の筆者であるケルン大学考古学研究所のシュテファン・クレペリン氏だ。
湖の堆積物から発見された花粉や昆虫、藻などの古代化石は、砂漠化が緩やかに進行したことを示しているという。

 この研究報告は、サハラは数百年以内に干上がったとするこれまでの研究を覆すものだ。
従来の研究結果は、大西洋の堆積物から発見された、サハラから風で運ばれたちりに基づくものだった。
「そうした仮説は、サハラで自ら調査したことがない気候学者や科学者が唱えたものであり、
私たちの研究によってサハラの急激な砂漠化は神話だったことがほぼ明らかになった」とクレペリン氏は述べている。

 確認されている唯一の急激な変化は、湖そのものが4200年~3900年前の間に淡水湖から塩湖に変わったことだ。
クレペリン氏によれば、この変化はモンスーンの雨が南へ移動し始めた時期と完全に重なるという。その結果、地表水の流入が止まり、水の蒸発によって塩分が濃くなった。
「この研究報告は、サハラの人口がモンスーンの雨を追って数千年かけて南へ移動したとする従来の考古学上の知見を裏付ける」とクレペリン氏は語る。

877 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 09:23:42.08 0
>>876

 また「サハラの気候変動はアフリカ大陸全域、さらには世界の気候変動へとつながる」とクレペリン氏は付け加える。
同氏によれば、ヨア湖での今後の研究から、地球温暖化の進行によるサハラの再緑化の可能性が明らかになるだろうという。

「この可能性に関する確かな情報が得られるものと期待している」とクレペリン氏は語る。
最後の緑地期間が始まったのは1万2000年ほど前で、海洋水の蒸発の増加が原因とみられている。
「これによってもたらされたモンスーンの雨が熱帯地域の地中深く浸透した」という。
「そしていま、人類は同じ状況を生み出そうとしている」とクレペリン氏は語る。

ほぼ30年間サハラ砂漠を研究してきたクレペリン氏によれば、1998年以来、東サハラでは「雨量が増加に転じる強い兆しが見られる」という。
さらに、地域によってはすでに「植生のわずかな変化が観察できる」とも加えた。



あと、こっちも
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=6667009
サハラ砂漠で古代の墓地を発見 よみがえる緑豊かな時代

878 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 09:27:24.90 0
>>656
これは当時は興味なかったけど今では重要なんだろうな
というか、もうDNA解析してる


最古の“核家族”の墓、ドイツで発見
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2008111802

Carolyn Barryfor National Geographic News
November 17, 2008

 母親と父親と2人の男子から成る“核家族”の最古の墓がドイツで発見された。
身を寄せ合うように埋葬されていた4600年前の家族は暴力的な襲撃を受けて亡くなったらしい。
今回の研究から、石器時代後期(紀元前1万年以降)の社会組織を解明する手掛かりも得られそうだ。

 この遺骨は2005年にドイツ北東部のユーローの発掘地で複数の墓が集合している場所から出土した。
4つの別々の墓に大人5人、子ども8人の計13人の遺骨が含まれており、
今回のDNA解析の結果から、このグループの中に4~5歳と8~9歳の2人の子どもを含む4人家族がいることが分かった。

 研究責任者でオーストラリアのアデレード大学のウォルフガング・ハーク氏は、
「このような場所を発見できて運がよかった。通常、家族全員の命が一度に失われることはないし、同時に埋葬されることもない」と話す。
新石器時代に1カ所に複数の墓が作られることはあったが、1人ずつ別々の時期に、場合によっては数年の間隔で埋葬されるのが普通だった。

 放射性炭素年代測定で調べた結果、この家族は紀元前2600年頃に生存し、縄目文土器文化に属することが分かった。
縄目文土器(Corded Ware)という名前は当時の土器が特徴的なねじれ模様の圧痕で装飾されていたことに由来している。
ただし、縄目文土器文化の集落が見つかることはめったにないため、考古学者たちは埋葬地から得られる情報に頼ってこの古代文化を解明するしかなかった。

879 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 09:28:50.10 0
>>878

 今回の新発見は、当時の社会で家族関係が重要な役割を担っていたことを示唆するものだ。

 大部分の遺骨は男性たちが一方向を向き、女性たちが別の一方向を向いて埋葬されていたが、
この家族の墓では2人の男子が両親の方を向いて埋葬されており、珍しい配置だという。
「論理的な関係を表すことで、この人たちが家族だったことを示したかったのだろう」とハーク氏は言う。

 近くの別の墓には男子と女子の遺骨があったが、一緒に埋葬されている大人の女性の方を向いてはいなかった。
遺伝子検査の結果、子どもたちの両親は同じ人だったが、大人の女性は母親ではないことが分かった。ハーク氏は、「彼女は叔母さんか継母だったのかもしれない」と話す。

 ロンドン自然史博物館の古生物学者ルイーズ・ハンフリー氏は、「今回の研究は小さな核家族が同時に埋葬されていたことを裏付ける決定的な遺伝子的証拠を提示している。
家族の絆が強く、死に際しても尊重されていたことが分かる」と述べている。

 遺骨には新石器時代によく見られる残虐行為の痕跡があった。
ハーク氏によると、ある大人の遺骨の脊椎には矢が刺さっており、頭蓋骨の割れ目や防御的な負傷の跡は「突然の暴力的な最後」を示しているという。

 放射性炭素年代測定の結果によると、墓地の埋葬はほぼ同時期に行われ、中には同じ日に埋葬された遺骨もあったようだ。
つまり、この村は襲撃を受けた可能性があり、遺骨を調べたところでは、30歳以上の何人かの大人と10歳未満の子どもたちが襲撃中に殺されたと推測できる。
強靭なメンバーは襲撃を生き延びたか、あるいは狩猟のために外出していたとハーク氏は推測している。

「何が起こったにせよ、生存者が戻ってきて、死者を手厚く埋葬したことは確かだ。だれかが事実を知っていて、それを守り伝えようとしたのだろう」。

880 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 11:16:00.93 0
どうもこのスレはたった一人の方が自作自演しているように見えますが、
横から鼻を突っ込ませてもらいますと、縄目紋土器文化の時代は、
のちのゲルマン・ケルト・スラブ・バルト・ラテンがまだ同じひとつの集団だった時代ですね。
この後の文化区分の時代にゲルマン・スラブ・バルトの元になる集団から、
ケルトやラテンの元になる集団が分離していきます。

881 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 13:11:18.90 0
いろいろいなことが個別にわかってくるね。
これを統合すると欧州古代史の全体像がはっきりする。
もう少しか。

882 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 20:58:41.89 0
>>849>>858


>>730>>739

Chronology[edit]

The origins of the Vin?a culture are debated.

Before the advent of radiocarbon dating it was thought, on the basis of typological similarities,
that Vin?a and other Neolithic cultures belonging to the 'Dark Burnished Ware' complex were the product of migrations from Anatolia to the Balkans.
This had to be reassessed in light of radiocarbon dates which showed that the Dark Burnished Ware complex appeared at least a millennium before Troy I,
the putative starting point of the westward migration.

An alternative hypothesis where the Vin?a culture developed locally from the preceding Star?evo culture?first proposed by Colin Renfrew in 1969?
is now accepted by many scholars, but the evidence is not conclusive.[3][4]

The Vin?a culture can be divided into two phases, closely linked with those of its type site Vin?a-Belo Brdo:[5]

883 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 21:16:06.80 0
>>882
>>822

Star?evo culture
http://en.wikipedia.org/wiki/Star%C4%8Devo_culture

The Star?evo culture, sometimes included within a larger grouping known as the Star?evo?K?ros?Cri? culture,[1]
is an archaeological culture of Southeastern Europe, dating to the Neolithic period between c. 5500 and 4500 BCE[2]
(according to other source, between 6200 and 5200 BCE).[3]

Star?evo, the type site, is located on the north bank of the Danube in Serbia (Vojvodina province), opposite Belgrade.
It represents the earliest settled farming society in the area, although hunting and gathering still provided a significant portion of the inhabitants' diet.


【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

884 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 21:31:30.06 0
>>880
このレスも含めて全部おいらの自演

885 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 08:04:17.66 0
>>880
分化的統一体であることと、血統的に現在の民族のルーツであることは別だからね。

886 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 12:37:48.40 0
>>885
まぁ、そういうことっすね

>>878

Y-chromosomes and mtDNA from Eulau (Corded Ware Culture, Germany)
http://dienekes.blogspot.jp/2008/11/y-chromosomes-and-mtdna-from-eulau.html

Three male individuals, a 40-60 year-old male and two young boys (4-5 and 8-9 years old) from grave 99 belonged to Y-haplogroup R1a. The boys were related to their parent:

Additionally, the Y chromosome haplogroup R1a of the boys corresponds with the man’s (ind. 3).


The mtDNA results included haplogroups:

K1b (three from grave 99) 16093C, 16224C, 16311C, 16319A
U5b (one from grave 99) 16189C, 16192T, 16270T
I (one from grave 90) 16129A, 16223T, 16391A
H (one from grave 98) 16093C, 16221T
X2 (two from grave 98) 16189C, 16223T, 16278T 73G, 153G, 195C, 225A, 226C, 263G
K1a2 (one from grave 93) 16145A, 16224C, 16311C


たぶんこれ
Ancient DNA, Strontium isotopes, and osteological analyses shed light on social and kinship organization of the Later Stone Age
http://www.pnas.org/content/105/47/18226.short

887 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 12:43:11.35 0
>>886
気になる部分なので残り全部もコピペ

The occurrence of X2 and K1b suggests changes in frequency to the present-day:

The detection of mtDNA haplotypes X2 and K1b, both being very rare in modern-day European populations,
is unlikely to be based on the occurrence of independent contamination events.


For the X2 sequence:

At present, three exact matches were found among individuals from Iran, Syria, and Estonia showing HVS I and HVS II patterns identical with the two Eulau individuals,
but differing from each other by further coding region polymorphisms.


Regarding the present-day distribution of X2:

Overall, it appears that the populations of the Near East, the Caucasus, and Mediterranean Europe harbor subhaplogroup X2
at higher frequencies than those of northern and northeastern Europe (P less than .05) and that X2 is rare in Eastern European
as well as Central Asian, Siberian, and Indian populations and is virtually absent in the Finno-Ugric and Turkic-speaking people of the Volga-Ural region.


For the K1b sequences:

Today, haplogroup K has a frequency of around 6% in Europe (6, 39).
The identical sequence haplotype of individuals 1, 2, and 4 has previously been observed (4, 5).

...

So far this haplotype has uniquely been reported in two modern Shugnans of Tadzhikistan (5)

888 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 12:45:00.08 0
>>887

The haplogroup I is also interesting, since it was found at a high frequency in Vikings and Iron Age Danes but has a lower frequency in modern times.

So, in general, these results once again point towards a change in the mtDNA gene pool across the millennia, explained by the authors:

However, we are aware of the fact that the modern distribution might not reflect the haplotype distribution during the Late Neolithic.
The mitochondrial haplogroup distribution of a population is likely to have changed throughout time by factors like genetic drift or events like migration or genetic palimpsest (40).

As we recently showed, the frequencies of haplogroups could have been significantly different between Neolithic and present populations (41),
although a similar study (from a different region in Europe) provides evidence of genetic continuity throughout the millennia (42).

Study (41) also by Haak et al. was about Linearbandkeramik farmers from Central Europe. Study (42) by Sampietro et al. was about Neolithic Iberians.

889 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 13:01:45.44 0
>>888
だいたい追いついたかと思ったがまだ足りてないらしい
Iron Age Danes

890 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 14:59:31.76 0
ここ1~2年いろいろな研究成果が発表されてはっきりしてきたね。

ここ5000~6000年内にかなりの変化があったということ。
取って代わったのが東方からの酪農をもたらした農耕民であること。
(騎馬民族とか遊牧民族とはちょっと異なる)
青い目はその前に普及し始めていたこと。
白い肌はたぶん東方からの侵入者がもたらしたということ。
当然印欧語も東方からの侵入者がもたらしたということ。

もう少し私見を入れると、R1bの欧州への侵入は数次にわたるものであり、
欧州へ侵入した印欧語族はR1bの後からの侵入者+R1aということかな。

891 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 17:00:23.07 0
Iを金髪碧眼薄肌の白人だとする先入観がそうさせている。
実はIは黒人に近く浅黒い、レスピューグのビーナスの作者のハプロタイプ。

金髪碧眼薄肌はハプロタイプR1で決定。

892 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 17:32:55.10 0
>>889
これも当時まったく興味なかったやつだね

デンマークで鉄器時代の墓地遺跡から「アラブ系DNA」を確認
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=14651408

James Owenfor National Geographic News
June 24, 2008


 デンマークで発掘された古代デーン人のDNAからアラビア系の遺伝子が発見された。
2000年前のスカンジナビア地方には、いまより遺伝子的に多様な人々が生活していたと考えられる。
このデーン人は鉄器時代の男性で、ローマ帝国の北の国境付近を守る兵士、
または中東から連れてこられた女性奴隷の子孫であった可能性がある。

この遺体は、デンマーク東部のシェラン島の南側にあるベゲブヤゴーデという鉄器時代の遺跡で見つかったものだ。
「この遺跡から発掘された遺体は貧しい農民階級に属していた可能性もある」とコペンハーゲン大学法医学研究所のリネア・ネルキオール氏が率いる研究チームは報告している。
また、「今回の分析ではほかにも珍しいハプログループ(遺伝的集団)が発見され、
中には現在デンマークに住む人々にはわずか2%しか見られない有史以前の欧州系統の特徴を示すものもあった。
後にスカンジナビア半島やドイツからの移民によって特徴が薄められた古代北欧人の一種とも考えられる」と同氏は説明する。

 一方、デンマーク東部の墓地遺跡で発掘された遺体には、現在、スカンジナビア地方に暮らす人々に共通して見られる遺伝的特徴が備わっていたという。
「こちらの墓地遺跡で見つかった遺体は、主に北欧人型の1種類の遺伝的特徴でまとまっており、多様性はあまり見られない。
彼らは埋葬される前に美しい宝石で装飾されているため、この付近には上流階級の社会が存在したと考えられる。
おそらくはスカンジナビア地方の別の場所からやってきた人々だろう」と同氏は述べている。

研究の結果、古代のデンマークには現在よりもかなり遺伝的に多様な人々が暮らしていたことが示唆された。

893 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 17:42:11.83 0
>>892

 ネルキオール氏の説明によると「信頼できるDNA分析結果としては、これまでに石器時代後期から中世にわたる56人分の結果が得られている」という。
「私たちが調査したデンマークの墳墓すべてで、いまのヨーロッパでは見られない珍しい遺伝子タイプを発見している。
それにも関わらず、デーン人の子孫にあたる人々の遺伝子に多様性があまり見られないのは不思議だ」と同氏は分析する。

 この理由として、同研究チームでは、中世に黒死病として名高い腺ペストが大流行したときに、ほかの人々よりもこの病気にかかりやすいグループが存在したのではないかと推測している。
1347~51年の大流行は欧州の人口の約3分の1の人々を死に追いやっている。
また、中世のイングランドでも同様に、ある特定のハプログループが広がり、遺伝的多様性が狭まったことも分かっている。
「これは、ある遺伝子を持つ家系がペストの大流行から生き残ったという事実を裏付けるものかもしれない」と専門家は話している。

894 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 19:04:48.26 0
>>892
>>893

青い目が劣性であるにもかかわらず、
欧州人にここまで普及したのも何らかの優位性があったのではないかと説明されている。
例えば疫病に強い等の理由かもしれないね。

895 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 21:07:45.29 0
>>892

シェラン島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%B3%B6

シェラン島(デンマーク語:Sjalland)は、デンマークの島。ユトランド半島の東、バルト海に位置する。
面積は7,031 km2でグリーンランドとその属島を除くとデンマークで最も広い。
人口は約210万人。デンマーク王国の東部にあり、東端には首都コペンハーゲンがある。
西にあるフュン島との間には大ベルト海峡を跨ぎ大ベルト橋が架かる。
スウェーデンとの間はエーレスンド海峡を跨ぐエーレスンド橋で結ばれている。
ファルスター島との間はファローブローン橋(デンマーク語版)で結ばれている。

メーラレン湖 - 北欧神話においてシェラン島は女神ゲフィオンがスウェーデンの土地を削り取って作ったと言われ、その跡がこの湖だとされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%83%B3%E6%B9%96

神話[編集]
北欧神話ではメーラレン湖は女神ゲフィオン(Gefjun)がスウェーデンの王ギュルヴィ(Gylfi)をだまして土地を引いた跡地であるとされている[3]。
これは別名ゲフィオンの国引きと言われているが、デンマークでは湖と島の形の相似から首都のあるシェラン島がメーラレン湖から引かれて来た土地と考え、
この伝承を国作り神話と捉えている[4]。


>>862

896 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 21:26:53.93 0
>>892
コメントの無さが凄い

Ancient mtDNA from Iron Age Denmark
http://dienekes.blogspot.jp/2007/12/ancient-mtdna-from-iron-age-denmark.html

The Roman Iron-Age (0-400 AD) in Southern Scandinavia was a formative period, where the society changed from archaic chiefdoms to a true state formation,
and the population composition has likely changed in this period due to immigrants from Middle Scandinavia.

We have analyzed mtDNA from 22 individuals from two different types of settlements, Bogebjerggard and Skovgaarde, in Southern Denmark.

Bogebjerggard (ca. 0 AD) represents the lowest level of free, but poor farmers, whereas Skovgaarde 8 km to the east (ca. 200-270 AD) represents the highest level of the society.
Reproducible results were obtained for 18 subjects harboring 17 different haplotypes all compatible (in their character states) with the phylogenetic tree drawn from present day populations of Europe.
This indicates that the South Scandinavian Roman Iron-Age population was as diverse as Europeans are today.

Several of the haplogroups (R0a, U2, I) observed in Bogebjerggard are rare in present day Scandinavians.
Most significantly, R0a, harbored by a male, is a haplogroup frequent in East Africa and Arabia but virtually absent among modern Northern Europeans.
We suggest that this subject was a soldier or a slave, or a descendant of a female slave, from Roman Legions stationed a few hundred kilometers to the south.

In contrast, the haplotype distribution in the rich Skovgaarde shows similarity to that observed for modern Scandinavians, and the Bogebjerggard and Skovgaarde population samples differ significantly (P approximately 0.01).
Skovgaarde may represent a new upper-class formed by migrants from Middle Scandinavia bringing with them Scandinavian haplogroups.


>>892
N1aのことかと思った

897 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 22:13:33.22 0
>>896
これ意外とわかんないね

【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed?tmpl=NoSidebarfile&cmd=Retrieve&list_uids=18046774&dopt=AbstractPlus


やる気がでたらみる
http://dienekes.blogspot.jp/2010/07/nordicdb-paper-on-finns-danes-and.html
http://dienekes.blogspot.jp/2008/05/ancient-viking-mtdna-from-denmark.html
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚


これは?>>616

European hunter-gatherers acquired pigs with Near Eastern and European mtDNA
http://dienekes.blogspot.jp/2013/08/european-hunter-gatherers-acquired-pigs.html

898 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 00:44:56.05 0
>>897
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

This is a nice demonstration of transfer of domesticated animals from Neolithic farmers to European hunter-gatherers. (Red=European, Yellow=Near Eastern).



The comings and goings of Near Eastern and European domestic pigs (Ottoni et al. 2012)
http://dienekes.blogspot.jp/2012/11/the-comings-and-goings-of-near-eastern.html

【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

The left-right arrangement of the columns corresponds to a west-east longitude across West Asia.
It can be easily seen that some of the early domestic samples (yellow, bottom row)
are concentrated in the west (Y1 haplotype), while others (blue, Arm1T) in the east.

899 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 00:51:35.96 0
>>898
http://www.nature.com/ncomms/2013/130827/ncomms3348/fig_tab/ncomms3348_F1.html

Samples were recovered from Neolithic LBK, post-LBK and Mesolithic Ertebolle sites dated between 5500 and 4000 cal BC.
Each symbol corresponds to a single sample (triangle, square and circle).
Domestic (triangle) and wild (square) pigs discussed in the text are labelled; circles represent Sus specimens of unknown domestication status.
The red colour indicates the European haplotypes C and A, and yellow the Near Eastern haplotypes Y1 and Y2.

900 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 01:20:57.46 0
>>614
ごめんこっちだ

>>898

これだと豚ちゃんは北から持ち込まれてエルベ川沿いに伝播したっていう話でいいのかなww
それともライン川沿いに南から持ち込まれたとか?

901 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 13:41:56.45 0
白人は顔が悪いヤツの方が多いぞ
白人が容姿端麗て言うヤツはハリウッド映画しか見てないんだろうな

902 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 14:48:46.69 0
19世紀に日本を訪ねたイギリス人
イザベラ・バード「日本奥地紀行」を読むと、
「日本人の容姿は醜い」という文章が何回も出てくる。
当時のイギリス人の美意識とは全く反していたのだろう>アジアン。

903 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 19:07:03.98 0
ルーニーとか凄い不細工だ

904 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 20:09:02.21 0
ゲルマン
http://www47.atwiki.jp/wikirace/pages/17.html

こいつらのどこが容姿が優れてるんだよ。
こんなのに容姿を批判されるいわれはないぞ

905 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 22:46:31.15 0
さて、900超えたらそろそろ終わるの?
突然落ちたりするんだっけ?

906 :イタクァを作らなイカ?:2014/02/04(火) 21:39:48.35 0
この時誰もイカ娘の侵略の影に気づくものはイなカった

907 :世界@名無史さん:2014/02/04(火) 23:00:55.94 0
とりあえず、シリーズじゃない


世界の古代民族シリーズ
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA83939846

関連文献: 1件.書誌事項
世界の古代民族シリーズ

フェニキア人
グレン・E・マーコウ著 ; 片山陽子訳

創元社 2007.11 世界の古代民族シリーズ


所蔵館118館

908 :世界@名無史さん:2014/02/04(火) 23:19:06.32 0
カルタゴの母都市はテュロス


>>907 P68

カルタゴが政治・軍事勢力として浮上するのは、これまでのところ前6世紀の半ばとされる。
そのころからマゴ将軍とその子孫である後継者たち(マゴ家と呼ばれる)の指導で
征服と植民地拡大をねらった侵略的な軍事行動が開始されている。

サルディニア島やシチリア島のフェニキア人の植民地を守るために、
初めてそれらの島に軍事介入したのもだいたいそのころか、その少し前になる。
カルタゴの軍事力のまぎれもない証となるのが前535年の出来事である。

エトルリアの海軍と組んで、コルシカ島沖の海鮮でポカイアのギリシア人を破っている。
エトルリアはそのころティレニア同盟(トスカナ、ラティウム、カンパニアが参加していた)の先頭に立っていた国だったが、
カルタゴと商業的・政治的に密接に繋がりがあったというドラマティックな証拠品がある。

エトルリア語とフェニキア語で同じ内容が記された3枚の金製の奉納板が、
エトルリアの都市カエレの商港ピュルジで見つかっているのである。
カルタゴでエトルリアからの輸入品が多く見られることにも、二つの海上勢力の間の密接な通商関係が裏づけられるだろう。

実際この時代の地中海中部には、カルタゴの支配力がきわめて広範に及んでいたことが考古学調査で明らかにされている。
シチリア島のモティア、サルディニア島、それにカルタゴの最も古い海外植民地だったイビサ島などには、
文化の伝播と影響が色濃くみられることが発掘調査で裏づけられている。

909 :世界@名無史さん:2014/02/05(水) 20:24:17.15 0
Q1. デーン人とは何か
Q2. エトルリア人とは何か
Q3. ピクト人とは何か
Q4. アーリア人とは何か
Q5. シュメール人とは何か

910 :世界@名無史さん:2014/02/05(水) 21:15:16.14 0
なんかアレなのキタかも
http://dienekes.blogspot.jp/search?updated-min=2014-01-01T00:00:00%2B02:00&updated-max=2015-01-01T00:00:00%2B02:00&max-results=15
http://www.pnas.org/content/early/2014/01/29/1313787111.abstract

Ancient west Eurasian ancestry in southern and eastern Africa
Joseph K. Pickrell et al.

The history of southern Africa involved interactions between indigenous hunter?gatherers and a range of populations that moved into the region.
Here we use genome-wide genetic data to show that there are at least two admixture events
in the history of Khoisan populations (southern African hunter?gatherers and pastoralists who speak non-Bantu languages with click consonants).

One involved populations related to Niger?Congo-speaking African populations,
and the other introduced ancestry most closely related to west Eurasian (European or Middle Eastern) populations.

We date this latter admixture event to ?900?1,800 y ago and show that it had the largest demographic impact in Khoisan populations that speak Khoe?Kwadi languages.

A similar signal of west Eurasian ancestry is present throughout eastern Africa.
In particular, we also find evidence for two admixture events in the history of Kenyan, Tanzanian, and Ethiopian populations,
the earlier of which involved populations related to west Eurasians and which we date to ?2,700?3,300 y ago.

We reconstruct the allele frequencies of the putative west Eurasian population in eastern Africa and show that this population is a good proxy for the west Eurasian ancestry in southern Africa.
The most parsimonious explanation for these findings is that west Eurasian ancestry entered southern Africa indirectly through eastern Africa.


もしかして↓なのか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B32%E4%B8%96

はたまた↓なのか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%88

911 :世界@名無史さん:2014/02/05(水) 22:40:46.14 0
マサイ族のY-DNAは50%がE1b1bで、Mt-DNAでも12.5%がMだけど、さらに南下してコイサンにまで中東?ヨーロッパ?の影響は大航海時代より前に及んでたのか。
コイコイ、いわゆるホッテントットに牧畜を教えて家畜を与えたのがこの時の混交かな?900~1800年前のどこかと言うと相当幅があるけど。更にそれ以前にニジェール・コンゴ語族と混血か
これらの混血と牧畜を身に着けてからアフリカ南部に行ったのかな?狩猟採集民のままだったサン(ブッシュマン)にはこの混血の影響は及んだのかどうか。

912 :世界@名無史さん:2014/02/05(水) 23:28:24.79 0
>>911

→E. Africa
Afar
Amhara
Anuanak
AriBlacksmith
AriCultivator
ESomali
Gumuz
Hadza
Luhya
Maasai
Oromo
Sandawe
Somali
Tygray
Wolayta

→S. Africa
!Xuun
GuiGana
Juhoansi
Khomani
Khwe
Nama

だけど詳しくわからんww

Westユーラシアは、むしろ地中海人で、
サルディニア、キプロス、トスカーナあたりが想定されてそう

913 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 00:18:59.35 0
>>91>>912
これ以外で重要そうなのは、イエメンのユダヤ教徒なんだけど
全般にエチオピア周辺に強いマーカーが


さて、プントは何処にあったんだろうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%88%E5%9B%BD

914 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 03:06:21.24 0
プント=バントゥー説は否定されているようだが、それではプントとはなんだったのか

【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚  プント女王の肖像画
筋ジストロフィーや象皮病とも言われるが、これを連想した
realhistoryww.com/world_history/ancient/Misc/Prehistoric_Art/Steatopygia_Female.jpg
コイコイ女性に多く見られると言うが

アフリカの角に謎のコイサン国家が存在したのか?文明レベルでないにしても定住社会が存在したのか

915 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 19:13:54.87 0
>>914
俺も真っ先にそれを思い浮かべたから気持ちはわかるww


>>630>>631
オシリ派とオッパイ派がいるようにもみえる

916 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 21:00:25.77 0
白人の頭身、手足のバランスは黄金比によってなりたってるに違いないため美しいのであろう

917 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 22:13:51.85 0
>>604>>698
>>876>>911
>>910

アフリカにおける農耕民と採集狩猟民との関係
http://sicambre.at.webry.info/201402/article_6.html

アフリカ中西部では5000年前頃に農業が始まり、サハラ砂漠以南のアフリカ全体で農耕型生活様式が拡大していきました。
しかし、採集狩猟民として生活し続けた集団も存在します。
この研究によると、農耕民と採集狩猟民との間の遺伝子流動は過去1000年間に限られていたことが判明したそうです。

以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。

【進化】熱帯雨林の狩猟採集民に対する農業の影響
 アフリカにおいて農耕民と農耕民が持ち込んだ農業が熱帯雨林の狩猟採集民に与えた影響を調べた研究の結果を報告する論文が掲載される。
今回の研究は、農業が熱帯雨林の狩猟採集民と農耕民の集団に与えた影響を明らかにし、この2つの集団の間で最近起こった遺伝的交換を明確に示している。

 アフリカ中西部では、今からおよそ5000年前に農業が出現し、それによって、サハラ以南のアフリカ全体で、運動量の少ない農耕型生活様式の拡大が始まった。
しかし、一部の熱帯雨林の狩猟採集民集団は、移動集団の生活を続けた。
農業文化と技術の拡散が熱帯雨林の狩猟採集民の人口統計学的歴史に及ぼした影響の全容は、ほとんど解明されないままになっている。

 今回、Lluis Quintana-Murciたちは、サハラ以南のアフリカにおいて、現代の熱帯雨林の狩猟採集民と農耕民のゲノム規模の一塩基多型データを生成し、
この2つの集団について、遺伝的多様性と集団間の進化的関係を調べた。
その結果、この2集団間の遺伝子流動が、過去1000年間に限られていたことが判明した。

このことは、2集団間での当初の相互作用が、社会経済的発想(例えば、道具や植物栽培技術)の交換に限定されていたことを示唆している。
さらに、今回明らかになったゲノムの特徴は、アフリカでの農耕民集団の増加が農業の出現の前から起こっており、
従って、農耕民の増加は農業の出現によるものとはいえないことを示唆している。


参考文献:
http://dx.doi.org/10.1038/ncomms4163

918 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 22:22:58.27 0
>>917

http://www.nature.com/ncomms/2014/140204/ncomms4163/fig_tab/ncomms4163_ft.html
これは完全にアフリカ話なのでやりすぎちゃったかもね

Figure 1: Genome-wide structure of RHG and AGR populations.
http://www.nature.com/ncomms/2014/140204/ncomms4163/fig_tab/ncomms4163_F1.html
ここに地図が載ってるけど

919 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 23:54:22.19 0
ピグミーと他の集団との遺伝的関係か。少なくとも10世紀ころまではピグミー独自の言語が保たれてたってことか

>アフリカでの農耕民集団の増加が農業の出現の前から起こっており、従って、農耕民の増加は農業の出現によるものとはいえないことを示唆している。
農業を始めたから人口が増えたんじゃなく、人口が増えたから農業を始めざるを得なくなったってことか?しばらくは増える人口を狩猟採集でも養えたけど。つまりは世界の農耕の起源地の1つってこと?
アフリカイネの栽培化はたしかにそうだな。でもその最初の狩猟民時代の人口増加のきっかけってなんだろう

なんかどんどんヨーロッパから離れてってるw

920 :世界@名無史さん:2014/02/07(金) 00:03:27.11 0
>>863>>892>>909


Genetic Diversity among Ancient Nordic Populations
http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0011898

Using established criteria for work with fossil DNA we have analysed mitochondrial DNA from 92 individuals from 18 locations in Denmark ranging in time from the Mesolithic to the Medieval Age.
Unequivocal assignment of mtDNA haplotypes was possible for 56 of the ancient individuals;
however, the success rate varied substantially between sites; the highest rates were obtained with untouched, freshly excavated material,
whereas heavy handling, archeological preservation and storage for many years influenced the ability to obtain authentic endogenic DNA.
While the nucleotide diversity at two locations was similar to that among extant Danes, the diversity at four sites was considerably higher.

This supports previous observations for ancient Britons. The overall occurrence of haplogroups did not deviate from extant Scandinavians,
however, haplogroup I was significantly more frequent among the ancient Danes (average 13%) than among extant Danes and Scandinavians (~2.5%) as well as among other ancient population samples reported.
Haplogroup I could therefore have been an ancient Southern Scandinavian type “diluted” by later immigration events.

Interestingly, the two Neolithic samples (4,200 YBP, Bell Beaker culture) that were typed were haplogroup U4 and U5a, respectively, and the single Bronze Age sample (3,300?3,500 YBP) was haplogroup U4.
These two haplogroups have been associated with the Mesolithic populations of Central and Northern Europe.
Therefore, at least for Southern Scandinavia, our findings do not support a possible replacement of a haplogroup U dominated hunter-gatherer population by a more haplogroup diverse Neolithic Culture.

http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0011898

921 :世界@名無史さん:2014/02/07(金) 00:03:54.78 0
>>910 アフリカ中部に見られるこの傾向は、アフリカ大陸の南部で起きたことと全く異なっていると論文は述べている。
南部では、影響力の強い農耕民族と狩猟採集民族サン(San)との遭遇が「遺伝子の速やかな交換をもたらした」という。
-少数民族ピグミーの歴史、遺伝子で解明 仏研究 AFPBPニュース 2014/2/5 より

サンにもコイコイ同様外部由来の遺伝子が受け継がれたか。それが比較的後世のバントゥ系の南部アフリカ進入時か、まだサンの祖先が東アフリカにいた頃かはわからないけど。
でも長く分離を保ったのに結局は言語が失われたピグミーと、速やかに混血しても言語を保ったコイサンとは、皮肉な展開だな

922 :世界@名無史さん:2014/02/07(金) 00:29:35.41 0
>>919>>921
アフリカはよくわからんww
気候変動が農耕をもたらした説は古くからあるけど

>>877
サハラ砂漠で古代の墓地を発見 よみがえる緑豊かな時代
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=6667009

サハラ砂漠で石器時代の最大最古の墓地を発見したのは現代の恐竜探検家だった。

 ナショナル ジオグラフィック協会付き探検家であるシカゴ大学の古生物学者、ポール・セレノ氏の調査チームは、2000年にニジェール北部の荒々しい砂丘で恐竜の骨を探していた。
かつては湖の岸辺だったその場所で岩を調べていたところ、思いがけず墓地に遭遇したのだった。
最終的に調査チームは、5000年の期間にまたがり大きく異なる2つの文明に属する200個の墓を発掘した。このような墓地が発見されるのは初めてのことだ。

 セレノ氏が最近発表した研究結果によると、ゴベロと呼ばれるこの地域は、
キフィアン文明(紀元前7700~6200年)とテネリアン文明(紀元前5200~2500年)の居住地と墓が保存された貴重な場所だという。

 緑豊かなサハラが乾燥して世界最大の砂漠となった完新世時代に、人々がどのように生活し、死者をどのように埋葬していたのかを解明する上で新たな扉が開かれた。

 セレノ氏のチームによると、約1万2000年前に地球の軌道の傾きやそのほかの環境的要因が重なって、サハラに強烈なモンスーンが吹き荒れた。
その結果、砂漠が緑化し、居住地を求めて人間が移動してきたという。

 湿潤な時期に狩猟採集民のキフィアン人がこの地域を占有していたことは既に分かっていた。
紀元前6200~5200年頃には、その時代で最も激しい気候変動が起きて土地が乾燥し、居住民は移動を余儀なくされた。
間もなくして2番目のグループのテネリアン人がこの地に到着した。

923 :世界@名無史さん:2014/02/07(金) 00:30:34.32 0
>>922

 以前はこうした人口移動の証拠としては道具などの人工物しか存在せず、分析の対象となる人骨が見つかっていなかった。
しかし、その状況を今回の発見が変えてくれた。出土した骨を放射性炭素年代測定で調べた結果、古代サハラの「顕著な記録」がもたらされたとセレノ氏は話す。
「人々がかつて暮らしていた緑豊かなサハラの記録が砂丘に刻まれていたのだ」。

 出土品の中には、現在もアフリカ南部に生息するイボイノシシやクロコダイル、カバなどの野生動物の骨や牙、
陶器、象牙や貝殻の装飾品といった副葬品もあり、葬儀の様子を解明する手掛かりとなっている。

 おそらく最も印象的なのは、2006年に発見された「石器時代の抱擁」と呼ばれる遺骨だろう。テネリアン人の女性と2人の子どもが向き合って腕でポーズを取り、手を握り合っている。
骨格の下にある花粉の残留物は、死者が花のベッドの上に横たわっていたことを示している。
セレノ氏は「ここは画期的な墓地だ。先史時代のこのような場所はほかには見つかっていない」と話している。

 この遺跡から、ほとんど研究が進んでいない文明についてさまざまな洞察を進めることができるが、それでも残る謎があるとセレノ氏は言う。
最大の謎は、テネリアン人はどうやってキフィアン人の遺体を傷つけずに隣りに新しい墓を掘ることができたのかということだ。これは「驚くべき離れ技」だという。

 しかし、なぜこの2つの文明がガベロで死者の埋葬をしたのかは明らかである。
それは、現代で言えばデイトナビーチのように、完新世には魚と動物が集まる理想的な場所である湖畔に位置した最も望ましい土地だったと、セレノ氏は語っている。

924 :世界@名無史さん:2014/02/07(金) 22:58:13.45 0
>>829>>803>>781

これを巨石文明群としていいのだろうか、、、
共通の言語はあったんだろうか?
プロト・ハッティ人は移民したんだろうか

925 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 11:38:06.72 0
トカラ語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%A9%E8%AA%9E

トカラ語(トカラご、トハラ語、英:Tocharian languages)は、
現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)のタリム盆地北縁(天山南路)にあたる地域で8世紀頃まで話され、
ブラーフミー文字に似たトカラ文字(英語版)で書いた写本が残っている言語。
インド・ヨーロッパ語族に属し、独立した語派「トカラ語派」を形成する。膠着語的な性格を有していたことが分かっている。

概説[編集]
ブラーフミー文字で書かれた西暦500~700年頃の文献が見つかっている。
8世紀頃までに古テュルク語(英語版)の話者集団に吸収され、死滅したと考えられている。

なお、かつて紀元前後にストラボンが記した「トカロイ」、
中国史書が伝える「吐呼羅国」[1]、「吐火羅国」[2]、7世紀に玄奘が記した「覩貨邏国」[3]といった、
いわゆる「トハラ人」および「トハリスタン」とは区別する[4]立場もある。

音声面ではインド・ヨーロッパ祖語の *? 音を k として保持している、いわゆるケントゥム語群の特性を有し、
同語群の他の言語から地理的に大きく離れていることから特異視されることもある。


起源[編集]

楼蘭などでは紀元後にカロシュティー文字で書かれるガンダーリ語(英語版)(インド語派。ヴェーダ語や近縁の他のプラークリットから派生したと考えられている)が用いられていたが、
その中にもトカラ語に類似した単語が散見されるため、古くはタリム盆地の多くの地域でトカラ語派の言語を話していたと思われる。

トカラ語派を話す人たちはミイラのDNA調査の結果、後述のアファナシェヴォ文化を担った集団と非常に近く、
個体の7割が南シベリアに特徴的なミトコンドリアDNAを持っていたため、北方から南下して来たことが明らかになった。
タリム盆地では紀元前2千年前後といわれる遺跡(「楼蘭の美女」などのミイラで有名)が発見されており、
これらは上述の検査や葬制の類似から、紀元前3千年紀の青銅器時代初期に北方のアルタイ山脈方面に栄えたアファナシェヴォ文化人が
西からインド系集団に征服されながら南下してタリム盆地へ移り住んだことが判明しており、アファナシェヴォ文化はトカラ語と強い関連があると考えられている。

926 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 11:39:29.58 0
アファナシェヴォ文化

アファナシェヴォ文化(-ぶんか、Afanasevo culture)は、紀元前3500年から2500年頃、中央アジア北東部からシベリア南部にかけて栄えた文化で、
銅器時代後期ないし青銅器時代前期に当たる。シベリア・ミヌシンスク盆地のアファナシェヴォで最初に発掘調査されたが、
現在のモンゴル西部、新疆ウイグル自治区北部、カザフスタン中東部にまで広がっていた。
さらにタジキスタン・アラル海方面の文化も関連があるとされる。

生活様式は半遊牧的牧畜と考えられる。牛、羊または山羊、馬を飼育したが、野生動物の狩猟も行ったようであり、ともに出土する例が多い。
葬制に特徴があり、墓槨は円錐形または矩形、多くは仰臥位に埋葬されて赤土がかけられ、環状列石が立てられた。集落遺跡も多数発見され、金属製品と車が発見されている。

人種的にはコーカソイドであり、葬制には西方ポンティック・ステップ地帯のヤムナ文化(竪穴墓文化)などとの類似点が多い。
ギンブタスによって提唱されたクルガン仮説(ヤムナ文化をクルガンIV期とする)によれば、これらは原印欧民族あるいはその後継者によるものとされる。
アファナシェヴォ文化が印欧語族によるものとすれば、その中で非常に古い時代に最も北東に位置した民族ということになる。

以上に関連して、トカラ語派(紀元後まで南方のタリム盆地などで話され文字に書かれた)の源流であるとする説も有力である。
これについては、紀元前1800年頃のタリム盆地における葬制(「楼蘭の美女」などのミイラで有名)や、
家畜と野生動物の骨がともに出土するなどの共通点が指摘されているが、直接的には証明されていない。

アファナシェヴォ文化の後、南シベリアではモンゴロイドを主体とするオクネフ文化が続く。
さらに西方の南ウラル方面に現れたアンドロノヴォ文化(インド・イラン語派に関係があるとする説が有力)がこの地域にまで広がる。

927 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 11:46:21.88 0
ケントゥム語派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%A0%E8%AA%9E%E6%B4%BE

ケントゥム語派に属するのはイタリック語派、ケルト語派、ゲルマン語派、ギリシャ語、アルバニア語のみで、
インド・ヨーロッパ語族の分布の中で西側に位置しているとされ、ケントゥム語派とサテム語派の間には断絶があるとされてきた。
ところが20世紀に入って新たに発見された死語であるアナトリア語派とトカラ語派は、インド・ヨーロッパ語族の分布の中で東に位置していた。
とくにトカラ語派は間にサテム語派の分布域を挟んではるかかなたの東方に位置している。
外部リンクによれば、印欧語族はもとはケントゥム語派の発音を用いており
後の時代にその分布の中央部(おそらくコーカサス地方)で現在のサテム語派が用いる発音の流行が発生し、
その新しい音声の流行が周囲の各言語集団へと次々に伝播していった。

この発音上の流行を「サテム化(satemization)」という。
このためケントゥム語派の用いる古い発音が印欧語族の分布の東と西にそれぞれまとまって残ったとされる。

とくにスラヴ語派とバルト語派はどちらもサテム語派に属するものの、
同時にケントゥム語派の音声的特徴も残しており(スラヴ語派はバルト語派よりもケントゥム語群の名残が強い)、
またこのスラヴ語派とバルト語派は文法的にはゲルマン語派(ケントゥム語派に属する)との間で明確な共通性があるため、
スラヴ語派、バルト語派、ゲルマン語派の3つの言語の共通祖語(インド・ヨーロッパ祖語の北西語群)を想定する学説も有力となってきている[1][2]。

928 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 11:55:47.61 0
インド・ヨーロッパ古文献に関する覚え書き
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/report/2-pdf/4_bungaku1/4_02.pdf


この点に注目するなら、従来の系統樹モデルとは異なる言語の分岐モデルが考えられる。
それは共通祖語からアナトリア語派がまず離脱し、それに続いてトカラ語、
さらにイタリック語派、ケルト語派が離脱したが、中央ヨーロッパに残った諸言語はなお言語共同体としての
共通の特徴を持っていたという見方である。

そしてさらに後の時期に、残った諸言語のうち東側グループ
(伝統的にサタム語群)とよばれているグループ、
すなわちインド語、イラン語、スラブ語、バルト語、アルメニア語、アルバニア語)に*kからの歯擦音への変化が起こった。
この見方をとれば*kからの歯擦音への変化は早い時期に分岐した

アナトリア語派、トカラ語、イタリック語派、ケルト語派、
それに残りの中央ヨーロッパにとどまった諸言語のうち
西側のグループ(ギリシア語とゲルマン諸語)には及ばなかったことになる。

929 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 12:08:25.88 0
アナトリア語派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%AA%9E%E6%B4%BE

アナトリア語派(アナトリアごは、Anatolian languages)とは古代小アジア(アナトリア:現在のトルコ)で話されていたインド・ヨーロッパ語族の言語群で、
すべて死語である。中でもヒッタイト語の資料が多く最もよく研究されている。
その周辺で使われた言語もいくつか知られるが、これらについては資料が少ない。

起源
アナトリア語派はインド・ヨーロッパ祖語(印欧祖語)から最も早期に分かれたとの説が有力で、
一部では「インド・ヒッタイト語族」という言い方もされる。
この時期については紀元前4千年紀半ばとするクルガン仮説があるが、さらに古いとする説(レンフリュー説、また語彙統計学による報告[1])もある。

クルガン仮説によれば、初期のアナトリア語派話者が黒海の北からアナトリアに移住したルートには2つの可能性がある
:東のカフカス山脈を越えた可能性、および西のバルカン半島を経た可能性である。
マロリー[2]とスタイナー[3]によればバルカン説の方がやや優勢である。
彼らがアナトリアに入ったのは紀元前2千年頃、またはそれ以前といわれる。

ただしコリン・レンフリューにより、印欧祖語の源郷をアナトリアとする説も提唱されている。
この説をとれば移住を仮定する必要はない。
その他アルメニアを源郷とする説をとれば、すぐ東から移動しただけということになる。

930 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 12:09:48.53 0
>>929
言語[編集]

ヒッタイト語(nesili):紀元前1600年から1100年の頃使われたヒッタイト帝国の公用語。ヒッタイトの先住民が話していた原ハッティ語は、別系統である。Indo-Hittiteを参照。

ルウィ語(luwili):ヒッタイト語に近く、ヒッタイト帝国内でヒッタイト語に隣接する地域で話された。
楔形文字ルウィ語(英語版):ヒッタイト文書の中に楔形文字で書かれている。単語・短文のみ。
象形文字ルウィ語(英語版):印章・碑文に(アナトリア・ヒエログリフ(英語版))で書かれている。

リュキア語(英語版)(リュキア語Aまたは標準リュキア語)鉄器時代のリュキアで話された、ルウィ語の子孫言語。断片的。紀元前1世紀頃消えた。
ミリヤ語(英語版)(リュキア語B):リュキア語の方言で、碑文1つしか知られていない。

カリア語(英語版):カリアで話され、エジプトで見つかっている紀元前7世紀頃のカリア人傭兵の落書きで知られる。紀元前3世紀頃消えた。
ピシディア語(英語版)とシデ語(英語版)(パンフィリア語):断片的。

パラ語(英語版):アナトリア中北部で話され、紀元前13世紀頃消えた。ヒッタイト文書の中に祭文が引用されるのみ。

リュディア語(英語版):リュディアで話され、紀元前1世紀頃消えた。断片的。

他に、文字は残さなかったが、ミシア語(英語版)、カッパドキアやパンフィリアやパフラゴニア(英語版)にも同じ語派の言語があったようである。

931 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 19:49:06.05 0
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/lat.html

ラト(Lat)
 イタリア語のlatte(「乳」)は、乳を与えてくれる女神ラトから派生した。女神ラトは、ローマ以前の部族国家ラティウムの名祖だった。
この女神は、ラトナあるいはレートーとも呼ばれ、「世界卵」や太陽の母親だった[1]。ラトは、アラビア人たちにはアラート(「月」)の名で知られていた。
アラートは、のちに男神に変えられ、イスラム教のアラーになった。ラトは先王朝時代のエジプトでもよく知られており、
ヘーロドトスは彼女のことを「下エジプト王国の古代の女王」と呼んだ。

ラトの礼拝堂は、エジプト最古の神託所で、ギリシア人にはエスナ〔ラトポリス〕の名で知られていた[2]。
この神託所は、エジプト人にとっては、メンヘト(「月の家」)だった[3]。

 ラトは、「月」だった。古代世界においては、月が万物の栄養源、すなわち、「乳の道」(天の川)Milky Wayを生み出した「天界の乳房」とみなされていたからである。
水、乳、血、樹液、ならびに生命を維持してくれるそのほかさまざまな液体は、すべて月から生じた。

 ラトは、古代ラティウムにおける母権的文化の創始者だった。
latifundiaという古語は、女神ラトが自らの手で区画し、家母長たちに分配したそれぞれの土地という意味だった[4]。
Matrilineal Inheritance. マルタ島は、かつては、マー・ラタ(「母神ラト」)だった。

 1428年にキリスト教会は、住民が異端思想をいだいている疑いがあるという理由で、
イタリアにある町を完全に破壊してしまったが、奇しくもその町の名は、マグナラタ(「大いなるラト」)だった。

[1]Graves, W. G., 318.
[2]Larousse, 29.
[3]Budge, G. E. 2, 50.
[4]Cumont, M. M., 74.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)

932 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 19:57:04.83 0
このネタは入ってなかった気がするな
まぁ、テンプル騎士団の方がメインだからね。

後、年代が合わない。>>931


http://www.coara.or.jp/~sanken/beppudic/preedo.html

1315
*教皇マルティヌス5世は清貧の思想を受け継いだフラティチェリ派(後の「フランシスコ会精神派」)を破門し、
フランティチェリ派のすみかであるマグナラタの村を襲撃して住民を皆殺しせよと命じた。



キエティスム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%A0

キエティスム(英語読みは、クワイエティズム)(Quietism、静寂主義) は、様々な意味と定義を持つ用語である。

フラティチェリ(Fraticelli)の側では個人の自律に関する同様の主張が、1317年、ローマ教皇ヨハネス22世によって激しい糾弾にさらされた。
1329年、同教皇はマイスター・エックハルトの誤りの中にある、パンがキリストの肉体に変わったという秘蹟(→「化体説」の項を参照)と同様に、
我々は総合的に神へと変容するのだという主張、および、内なる行動の価値―これらは持続的に我々に与えられている神格によって造られたとされる―を法的に禁じた。

933 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 20:43:40.76 0
>>931

シャーラダー文字
http://www.chikyukotobamura.org/muse/wr_sasia_15.html

シャーラダーという名称は,カシュミールで信仰されていた女神シャーラーダー・デーヴィー(??rad? Dev?)による。
シャーラダーとはシヴァ神の妃パーラヴァティーのことで,カシュミールの住民は,シャクティ(?akti)女神の信奉者(??kta)であったことから,この名称がついた。


??rad? script
http://en.wikipedia.org/wiki/%C5%9A%C4%81rad%C4%81_script


アナーヒター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%BF%E3%83%BC

アナーヒターはアヴェスター語形で、パフラヴィー語ではアナーヒト(An?hit)といい、いずれも「清浄」を意味する。他にもナーキッドという別名もある。

姿形[編集]
アナーヒターは力強い色白の腕を持ち、四角い黄金の耳飾りと、百の星をちりばめた黄金の冠をかぶり、
黄金のマントを羽織り、首には黄金の首飾りを身に付け、帯を高く締めた美しい乙女の姿をしているといわれる。

バビロニアのイシュタルと習合し、このとき容貌、装束、性格、祭儀もバビロニア的となる。
ヘレニズム時代になるとギリシャでも崇められるようになり、アフロディーテとも習合した。
ギリシャ語でアナイティス(’Ανα?^τι?)と呼ばれる。

また、リュディアではキュベレやアルテミスと同一視された。

934 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 20:50:06.76 0
知ってるのはこっち

>>931
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E3%81%AE%E5%B7%9D

ギリシャ神話[編集]ギリシャ語では夜空の光の帯を「γαλαξ?α?(galaxias)」もしくは「kyklos galaktikos」と言う。kyklos galaktikosは「乳の環[5]」という意味。

それにまつわるギリシャ神話を紹介する。

ゼウスは、自分とアルクメネの子のヘラクレスを不死身にするために、女神ヘラの母乳をヘラクレスに飲ませようとしていた。
しかし、嫉妬深いヘラはヘラクレスを憎んでいたため母乳を飲ませようとはしなかった。
一計を案じたゼウスはヘラに眠り薬を飲ませ、ヘラが眠っているあいだにヘラクレスに母乳を飲ませた。
この時、ヘラが目覚め、ヘラクレスが自分の乳を飲んでいることに驚き、払いのけた際にヘラの母乳が流れ出した。これが天のミルクの環になった。


ヘーラー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC

ヘーラーの母乳は飲んだ人間の肉体を強化し不死身にする力があり、ヘーラクレースもこれを飲んだため乳児時代から驚異的な怪力を発揮することが出来た。
また、この時へーラクレースの母乳を吸う力があまりにも強かった為、へーラーはヘーラクレースを突き飛ばし、その際に飛び散ったへーラーの母乳が天の川になった。
なお、ヘーラクレースは、ヘーラーの子ではないが「ヘーラーの栄光」と言う意味の名を持つ[1]。

崇拝[編集]

ヘーラーはサモス島で誕生したと考えられており、サモス島は古くからヘーラー信仰の中心地となっていた。

元来は、アルゴス、ミュケーナイ、スパルタ等のペロポネーソス半島一帯に確固たる宗教的基盤を持っており、
かつてアカイア人に信仰された地母神であったとされ、北方からの征服者との和合をゼウスとの結婚で象徴させたと考えられる[2]。

二神の不和は、両者の崇拝者が敵対関係にあったことの名残とも考えられている[2]。

935 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 22:07:23.57 0
>>932

ヨハネス22世 (ローマ教皇)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B922%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)

1309年に教皇庁が南仏アヴィニョンに移るという事態が生じた(「アヴィニョン捕囚」)。
アヴィニョン教皇庁での初めての教皇となったクレメンス5世は、修道会の会則を厳格に遵守するかどうか(「清貧論争」))をめぐって
分裂傾向にあったフランシスコ会(フランチェスコ会)の問題を調査する委員会を教皇庁内に設けた[3]。


http://en.wikipedia.org/wiki/Fraticelli

>>932

Early in 1317 John XXII, pursuant to a decree of Boniface VIII, declared Angelo excommunicated and placed him in custody.
He defended himself ably in his "Epistola Excusatoria", representing himself as a zealous Franciscan, but John XXII refused to admit his plea,
Angelo being a Celestine hermit, and in the decree "Sancta Romana et universalis ecclesia" (30 December 1317) refused to authorize the congregation of which Angelo was head.

>>931

On 27 January of the same year,
Martin V permitted the Observants of Ancona to occupy the monastery of the Fraticelli at Castro l'Ermita as a first step in the campaign against the Fraticelli of that neighbourhood.

On 1 June 1428, he commanded the Bishop of Ancona to enforce his rulings strictly in Maiolati,
to put all suspects to the rack, destroy their village, separate the children from heretical parents, and disperse the elder population.

A circular letter, which the Fraticelli addressed to all Christendom, proved ineffectual and their doom was sealed.

John of Capistrano and James of the March burned thirty-six of their establishments or dispersed the members and a number were burned at the stake at Florence and Fabriano,
at the latter place in the presence of the pope.

936 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 22:29:42.21 0
>>801
馬の家畜化と搾乳は5500年前から
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=63936611

乗馬とウマの搾乳の先駆者は、いまはカザフスタンの国土となっている広大な草原に暮らしていた人々だった。
少なくとも5500年前、この地域の人々がウマを家畜として飼い慣らしていたという新しい証拠が見つかった。

「ウマを食用としただけでなく、その乳も利用していた。この地域では、非常に早い段階から乗馬と搾乳の両方が行われていた」と、
今回の研究を指揮したイギリス、エクセター大学の考古学者アラン・ウートラム氏は話す。
この発見により、ウマの家畜化の開始時期は1000年早まることになる。

ウマがいつ頃から家畜化されていたかについては長年の研究対象だった。(略)

 以前の研究では、3600~3100年前にカザフスタン北部に生きていたボタイ人の間で、ウマが家畜化されていたことを示す状況証拠が見つかっていた。
馬具の作製に使用したと考えられる革細工道具が発見されていたのである。

 今回の研究では、過去数年間にボタイ遺跡で出土した骨や陶器の調査が行われた。
「ボタイでウマが家畜化されていたことを示す、まったく異なる3つの証拠を入手できた。
どれも強力な証拠だ」とウートラム氏は言う。同氏の研究成果は、3月5日発行の「Science」誌で発表された。

 1つ目の証拠は、歯の摩耗(まもう)である。出土したウマの骨を調べたところ、数頭のウマの歯にはハミ(馬銜、銜)という馬具を噛んでいたと考えられる摩耗があった。
研究チームは、すり切れた歯の1つは紀元前3500年頃のものと推定している。
2つ目は野生種と比べて細い脚の骨で、これは家畜化されているウマの特徴である。
3つ目の証拠は、陶器のつぼの縁辺りに相当する破片から検出されたウマの脂肪と馬乳の脂肪分だ。

 ニューヨークにあるハートウィック大学の考古学者デイビッド・アンソニー氏に専門家の意見を聞いたところ、
「土器に付着した脂肪で、ウマの脂肪組織だけでなく、馬乳の脂肪も特定できたことは非常に重要なことだ。
野生のウマから搾乳はしない」と述べている。

 以上の証拠から、人類はウマを家畜化してまもなくその乳の利用を思い付いたらしい。

937 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 22:32:33.49 0
>>801

デレイフカ遺跡とボタイ遺跡/馬の騎乗はいつからか?
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=246216
(から抜粋)


「スキタイと匈奴 遊牧の文明」林俊雄 講談社より、関連箇所の要約を以下にまとめます。

同様に馬の骨が大量に発掘された遺跡に、カザフスタン北部のボタイ遺跡がある。
ボタイ遺跡は銅石器時代の集落址で、1970年代から1980年代にかけての15シーズンにわたる調査で30万点(10万トン)にのぼる骨の資料が出土し、そのうち99.9パーセントが馬の骨であった。
(この遺跡の)補正された年代は、5500~5000年前とされている。

デレイフカの年代についても、黒海北岸の他の文化との比較から5700~5150年前とし、ボタイとほぼ重なるとも付け加えている。

その後馬の骨の放射性炭素による年代測定で、馬の頭骨は前790~前520年、歯は前410~前200年とわかり、
この馬に関しては後世のスキタイ時代の埋納と訂正せざるを得なくなってしまった。

また、「銜(はみ)留め具」と称する骨角製品に関しても、ボタイの骨製品は馬の革帯を通すには孔が小さすぎ、
また孔が一つしかない製品では、銜(はみ)留め具としての役割を果たすことができないことから、6000~5000年に馬の騎乗はなかったと一般には結論づけらる。

938 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 22:47:14.31 0
>>806
http://en.wikipedia.org/wiki/Fjord_horse

History[edit]

Gloppen coat of armsThe Fjord horse is one of the world's oldest and purest breeds.
Horse were known to exist in Norway at the end of the last ice age.
It is believed that the ancestors of the modern Fjord horse migrated to Norway and were domesticated over 4,000 years ago.
Archaeological excavations at Viking burial sites indicate that the Fjord horse type has been selectively bred for at least 2,000 years.

939 :世界@名無史さん:2014/02/10(月) 01:17:43.60 0
>>926
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B4%E3%82%A9%E6%96%87%E5%8C%96


>>925
http://en.wikipedia.org/wiki/Tocharians

Tarim mummies[edit]

The Tarim Basin mummies (1800 BC) have been found in the same general geographical area as the Tocharian texts and frescoes from the Tarim Basin (3rd to 9th centuries AD),
and are both connected to an Indo-European origin and point to Caucasoid types with light eyes and hair color.
However it is unknown whether the mummies and frescoes are connected.

In 2008, the remains of another male were discovered near Turpan.
Thought by researchers to be a member of the Gushi culture, the man was buried with a number of practical and ceremonial objects,
including archery equipment and a harp, and 789 grams of cannabis.
Through genetic analysis and carbon dating, the burial has been dated to roughly 700 BC.
Only two of the 500 graves at the site contain cannabis, leading researchers to suggest shamanic roles for the two individuals.

In 2009, the remains of 30 individuals found at the Xiaohe Tomb complex were analyzed for Y-DNA and mtDNA markers.
They suggest that an admixed population of both western and eastern origin lived in the Tarim basin since the early Bronze Age.
The Xiaohe people maternal lineages were predominantly East Asian haplogroup C with smaller numbers of H and K, while the paternal lines were all West Eurasian R1a1a.
The geographic location of this admixing is unknown, although south Siberia is likely.[9]

940 :世界@名無史さん:2014/02/10(月) 01:51:47.69 0
>>939

Evidence that a West-East admixed population lived in the Tarim Basin as early as the early Bronze Age
http://www.biomedcentral.com/1741-7007/8/15#IDAH0OBH

DNA amplification, cloning, and sequencing
The nucleotide positions 16035-16409 of the mitochondrial genome was amplified by two overlapping primer pairs.
In addition, a number of coding-region mtDNA polymorphisms were typed, which are diagnostic for major branches in the

mtDNA tree: Haplogroups R(12705C), UK(12308G), HV(14766T), H(7028C), R1(4917G), R11(10031C) and C4(11969A) were identified by direct sequencing
and haplogroups M(10400T), F(3970T) and C(14318C) were examined by using amplified product-length polymorphisms method [11-13].
The B haplogroup was identified based on 9-bp deletion in np8280.

Some Y-chromosomal single nucleotide polymorphisms (Y-SNPs) were typed, which are diagnostic for major branches in the Y chromosome haplogroup tree [14,15]:
Haplogroups F(M89T), K(M9G), P(M45A), R1(M173A), and R1a1a(M198A) were identified by direct sequencing.
The primers used in HVRI and diagnostic SNP markers are shown in Table 2.


Phylogenetic tree of haplogroup C, based on HVS-I sequences in the region 16050-16391
http://www.biomedcentral.com/1741-7007/8/15/figure/F4

Map of Eurasia, showing ancient populations from the Tarim Basin and surroundings
http://www.biomedcentral.com/1741-7007/8/15/figure/F5


うーんこれどうなんかな

941 :世界@名無史さん:2014/02/10(月) 20:07:49.84 0
時代が下るほど東ユーラシア人の血統が濃くなる感じかな。
まあ、地理的な位置を考えれば当然か。

942 :世界@名無史さん:2014/02/10(月) 23:51:55.87 0
>>926>>940
コーカソイド

>>559>>703
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

タジキスタンからパキスタンの辺りでタリム盆地側では無さそう
ただミヌシンスク盆地側にはもうちょっと伸びてる

943 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 11:05:33.40 0
ソグディアナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B0%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%8A

ソグディアナ(Sogdiana)は、中央アジアのアムダリヤ川とシルダリヤ川の中間に位置し、サマルカンドを中心的な都市とするザラフシャン川流域地方の古名。
バクトリアの北、ホラズムの東、康居の南東に位置する地方。
現在のウズベキスタンのサマルカンド州とブハラ州、タジキスタンのソグド州に相当する。
イラン系の言語を話すソグド人と呼ばれる民族が居住したことからつけられたギリシャ語・ラテン語の名称で、
西からみてオクサス川(アムダリヤ川)の向こう側にあることから、トランスオクシアナとも呼ばれる。
中国の歴史書では粟特と記されている。



ソグド語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B0%E3%83%89%E8%AA%9E

ソグド語は、中世ペルシャ語(英語版)やパルティア語(英語版)と並んで、中期イラン諸語の中でも重要な言語のひとつであり、多くの言語資料が遺されている。
ソグド語は文法や形態論は中期ペルシア語と比べてより伝統的な形である。
ソグド語はイラン語派の北東語群に属する。ソグド語は中央アジア(トランスオクシアナ)における交易言語であり、中国人商人とイラン人商人との間の共通語でもあった。
ソグド語は経済的・政治的に重要な言語であったため、8世紀初頭にソグディアナがムスリムによって征服された後も数世紀にわたって使用され続けた。

表記体系[編集]
初期のソグド文字の例はソグディアナ地域において発見されている。
これらはアラム文字を元にしたものであり、表記と発音が大きく異なっていた。
ソグド文字からはウイグル文字が派生し、ウイグル文字は後にモンゴル文字の元となった。

法隆寺で見つかった650年頃のものと思われる香木に、ソグド文字が書かれていた例がある[1]。

944 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 11:13:55.39 0
バクトリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2


オアシス都市バークトリシュ

バクトリアがもっとも古く現れているのは、アケメネス朝のダレイオス1世(在位:前522年 - 前486年)によって建てられた『ベヒストゥン碑文』にバークトリシュ(Bakhtri?)とあるのが初見である。
バクトリアはヘラート、メルヴ、サマルカンドなどとともに中央アジアにおけるイラン系民族によって建設された最古のオアシス都市のひとつである。
首都のバクトラは現在のバルフに比定されている。
現在、バルフは人口数百の小さな村落にすぎないが、村の近くには城壁に囲まれた巨大な廃墟がある。
今までのところバクトラに比定すべき証拠は発見されていない。
一説には現在のバルフは古代のバクトラではなく、バクトラはもっとアム川に近いところにあったともいわれている。
しかし、バルフの付近には古代ゾロアスター教の祭壇の遺跡もあり、バクトリアの貨幣も多く出土している。


ゾロアスター教の中心地

ペルシア文明に大きな影響を与えたゾロアスター教の開祖であるゾロアスターは、古くからバクトリアの人だという伝説がある。
少なくともアケメネス朝時代にはバクトラがゾロアスター教の中心地の一つであったことは明らかである。
また、古いペルシアの伝説では、ゾロアスターはアレクサンドロスの侵入より258年前の人だとされている。


ペルシア人とサカ人の共同支配

紀元前6世紀のバクトリアの人口の主要部分、少なくともその支配階級はペルシア人とスキタイ人とによって構成されていたものと考えられるが、
スキタイ系のサカ人がこの地域にペルシア人よりも早くから住んでいたことは、ヘロドトスや、その後のストラボンなどが伝えているバクトリアの習俗によっても知られる。
サカ人に遅れてバクトリアに侵入し、これを征服したペルシア人は、サカ人やその他の先住民の支配者となったが、その数は多くはなかった。
ローマ時代の史料によると、バクトリアは7000人の貴族によって支配されていたという。
また、ヘロドトスがしばしば「バクトリア人とサカ人」と並称させているところからみても、ペルシア人と先住のサカ人が共同して支配階級を構成していたものと思われる。

945 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 12:23:18.25 0
バクトリア・マルギアナ複合
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%83%8A%E8%A4%87%E5%90%88

バクトリア・マルギアナ複合(-ふくごう;Bactria-Margiana Archeological Complex:略称BMAC)とは、
青銅器時代の紀元前2000年前後に、現在のトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、アフガニスタン北部のアムダリヤ(オクサス)川上流部などに栄えた
一連の先史文化を指す考古学用語である。

インダス文明とほぼ同時代に高度の都市文化を発展させたことから「第五の古代文明」という意味でオクサス文明とも呼ばれる。
発見は比較的新しく、研究途上にある。メソポタミアの文明やエラム文明、インダス文明など他の文化との関係、
特にアーリア人のインド・イランでの勃興に関連しても注目されている。


位置と時代

バクトリア(アフガニスタン北部)、マルギアナ(トルクメニスタン)は遺跡が集中する地域のギリシア語名である。
乾燥地帯であるが、川とオアシスを利用して古くから農業が行われた。
現在のメルヴを中心とし、アケメネス朝ペルシア以降栄えた。

BMACは、ソ連の考古学者ヴィクトル・サリアニディ(英版)が発掘調査に基づき1976年に命名した。
代表的な都市遺跡としてはナマズガ・デペ(英版)やアルティン・デペ(英語版)がある。
住民は灌漑により小麦・大麦などの栽培を行っていた。
都市や城塞の遺構のほかに、優れた金属器や、土器、宝石類、石の印章など様々な遺物が知られる。
印章に見られる図柄はイラン南東部から出土した陶器や銀器によく似ている。
マルグッシュ遺跡(英版)(ゴヌール・テペ)からはエラム文字と見られる銘文を彫った陶片が見つかっている。
これらの遺跡の上下限年代は、C14年代測定によって紀元前2200年から1500年頃と提示されている。
この発展と没落の過程はまだよくわかっていない。

BMACの遺物はこの地域だけでなくイラン東部、ペルシャ湾岸、バルチスタン、インダス川流域(ハラッパーなど)の広い範囲で見出されている。
中心地はアフガニスタン南部からバルチスタンにあったとする学者もいるが、
今のところ同地方から本格的な規模の同文化に属する遺跡は一切発見されていない。

946 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 12:33:59.83 0
>>945

他の文化との関係

イラク、イランやインダス地方とは盛んな交流が行われ交易圏を形成していたが、
別の独立した文明という説と、メソポタミアやエラム文明からの移住地として始まったという説がある。
東側では、土器などに関してガンダーラ墓葬文化(英語版)(GGC:スワート(Swat)文化ともいう)との深い関係が考えられている。

また同時期の北側では中央アジアの広い範囲に遊牧民のアンドロノヴォ文化が栄えており、これとの接触もあったようである。
サリアニディはBMAC文化の起源についてアナトリアなどに由来する説を称えているが、
イランのエラム文明に由来するとする説やイラクからインダス一帯の交易権圏の下で独自に発達したとする説、
他にほぼ同時期のタリム盆地の先史文化と結び付ける説もある。


アーリア人との関係

この時代は、アーリア人がインドやイランで勃興する直前の時期に当たり、BMACはこれとの関係でも注目されている。
アンドロノヴォ文化を原アーリア文化とする説があるが、この文化はインド・イランの考古学的文化と関連づけるのが難しい。
またアンドロノヴォ文化が原アーリア文化であれば、これがBMACを滅亡させたと想像されるが、
BMACは馬の牧畜と戦車を使用する文化により滅亡した形跡はあるものの、より北方に位置する地方の同文化の最も早い痕跡は紀元前1100年頃のものである。
またサリアニディ自身はBMAC=原アーリア説を主張し、大量の灰あるいはケシや麻黄が発見された宮殿の部屋をアーリア人の拝火儀式、ソーマ(ハオマ)儀式の証拠であるとするが、

BMACは農耕文化であって馬に関係した遺物は極めて乏しく、BMACを原アーリア人と関連づけるのは困難である。
またジェームズ・マロリー(英語版)はヴェーダにおける砦の記述と発掘された城塞とを結び付け、アンドロノヴォ文化がBMACと同化してアーリア文化になったと主張するが、
BMACとこれを滅亡させたと見られる文化は短期間かつ断絶的に入れ替わっている。

インド・イラン語派には印欧祖語やドラヴィダ語と異なる基層言語があるとの考えもあり、それがBMACの言語(単一ではない?)と考える人もいる。
現在ガンダーラ地方の近く(カシミール)に残っているブルシャスキー語も関係があるかもしれない。

947 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 12:36:49.66 0
>>945
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

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948 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 22:53:04.94 0
マジャル語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%AB%E8%AA%9E

ウラル語族のフィン・ウゴル語派に分類され、フィンランド語やエストニア語と同系統の言語であるが、意思の疎通がまったくできないほどの大きな隔たりがある。
ヨーロッパで話される諸言語の多くが属するインド・ヨーロッパ語族とは系統が異なり(ただし歴史的経緯からスラヴ諸語やドイツ語の影響をある程度受けている)、
姓名や日付などの語順もインド・ヨーロッパ語族の言語とは異なる[1]。



ハンガリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC

「ハンガリー」は俗説にあるような「フン族」が語源ではなく、「ウンガルン」(独: Ungarn)、「ウガリア」(希: Ουγγαρ?α)に見られるように元々は語頭の h がなかった。
語源として一般に認められているのは、7世紀のテュルク系の Onogur という語であり、十本の矢(十部族)を意味する。
これは初期のハンガリー人がマジャール7部族とハザール3部族の連合であったことに由来する。

949 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:06:12.64 0
>>948

ハンガリーの歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

建国まで

この地域は、1世紀にはローマ帝国が属州パンノニアを置いた。4世紀にローマ帝国が衰退し、ゲルマン人の移動が始まると、この地にゴート族が到来した。
その後、ドナウ川中流の良質の平原に着目して、5世紀にフン族、6世紀にアヴァール人などテュルク系と見られる遊牧民の勢力がそれぞれ到来し定着した。

9世紀になるとウラル山脈の中南部周辺からウゴル系遊牧民であるマジャル人が黒海北岸~ロシア南部のヴォルガ川南岸付近の広大な草原地帯に到達した。
その後、大首長(ジュラ)アールパードは共同統治者の名誉最高首長(ケンデ)クルサーンとともにバルカン半島を経由して、ハンガリー平野この地に移住してきた。
アールパードはパンノニア平原を根拠とし、アールパード家の祖となり、ドイツ南東部のバイエルンなど東・中部ヨーロッパ各地を騎馬で蹂躙し、同時期の海のヴァイキングとともに怖れられた。

しかし、955年にアールパードの孫タクショニュはレッヒフェルトの戦いでオットー1世に敗れると、
今までの部族の風習であるシャーマニズムによる自然崇拝を放棄し、カトリックによるキリスト教に改宗して、パンノニア平原に統一王国建設を開始した。
同時に現地のスラヴ族やラテン人など多くの民族と混血して、現地に同化した。


アヴァール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AB

概要
フンが姿を消してから約1世紀の後、フンと同じく現在のハンガリーの地を本拠に一大遊牧国家を築いたのがアヴァールである。
フンほどの強大さはなく、またアッティラほど傑出した指導者がいたわけでもなく、さらに周辺民族による記録が少なかったためにアヴァールの歴史はよく知られていない。
しかし、アヴァールは東ローマ帝国およびフランク王国と接触し、スラヴ諸民族の形成に大きな影響を与えた。[1]

言語系統[編集]
アヴァールの言語は「テュルク系」説、「柔然と同族なのでモンゴル系」説、の2つがあるがどちらなのかは不明である。

950 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:12:57.09 0
>>949
ハンガリー王国[編集]

聖イシュトヴァーンの王冠と宝器1000年にタクショニュの孫であるアールパード家のイシュトヴァーン1世が本格的にキリスト教に改宗すると、
ローマ教皇からハンガリー国王として聖別をうけ戴冠し、ヨーロッパ世界の一員となった。
それからのハンガリー王国は北部のスロヴァキア(モラヴィア)、南部のクロアチアのスラヴ人を支配下に入れ、さらにルーマニアトランシルヴァニアにも勢力を伸ばした。
この頃がハンガリーの絶頂期であり、中欧の強国として君臨していた。

この時代の領域は聖イシュトヴァーンの王冠の地と呼ばれ、以後ハンガリーの歴史観において重要な位置を占めた。
このためハンガリー王となるものは聖イシュトヴァーンの王冠を頂く者であるという概念が生まれた。

1240年にはモンゴル帝国のバトゥによる侵略を受け、甚大な被害をうけた(モンゴルのポーランド侵攻)。
この経験を経たことでハンガリー国王は防衛体制を整える必要に迫られ、貴族層に土地を与えて彼らの主導で堅固な城塞を築かせていった。
同じく防衛上の観点からも城壁を持つ都市の発展が求められ、従来までの都市のほか、新たにドイツ人の入植を契機とした都市も形成・発展した。
その例として、シビウ、ブラショフ、ビストリツァ、コシツェなどが挙げられる。

951 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:19:38.05 0
>>949

東ローマ帝国との同盟[編集]

アヴァールが歴史上に現れるのは558年のことで、時に東ローマ帝国ではユスティニアヌス1世(在位:518年 - 565年)の治世であった。
アヴァールは突厥に追われて北カフカスに姿を現し、アラン人の仲介で東ローマ帝国と同盟関係を結んだ。

567年、アヴァールはゲルマン系のランゴバルド人と組み、ダキアとトランシルヴァニア、東パンノニアに割拠していたゲルマン系のゲピド族を滅ぼし、
その地を奪った(アヴァール可汗国(英語版)[7]の建国)。

翌年(568年)、ランゴバルドがイタリア半島に向かいランゴバルド王国を建国すると、アヴァールはそれに代わってハンガリー平原全域を支配した。
ここにおいてアヴァールの勢力範囲は、ティサ川流域を中心にボヘミアからドナウ川流域を経て南ロシアにおよぶ広大なものとなった。
この年、突厥可汗国の室点蜜(Stembis)の使者がコンスタンティノープルに現れ、東ローマ帝国と対ペルシア同盟を組み友好関係を結んだ。

東ローマ帝国ではユスティニアヌス1世が死去し、ユスティヌス2世(在位:565年 - 578年)が即位していた。
ユスティヌス2世はアヴァールに対して強硬姿勢を執り、アヴァールの使節に対して貢納の支払いを拒否したが、
アヴァールの指導者バヤン・カガン(英語版)の怒りを買い、バルカン半島の要衝であるサヴァ川沿いの要塞シルミウムを陥落寸前までに追い込まれた。
これによって、ユスティヌス2世は574年にアヴァールへの貢納を再開することとなる。

東ローマ帝国と突厥可汗国は568年以来、使節を往来させていたが、ふたたび東ローマがアヴァールと同盟を組んだことで両者の関係が一気に崩れ、
576年に突厥は東ローマの使節を非難するとともに(突厥はかつて自分たちが打ち破ったアヴァール人と同盟を結んだことに不信感を抱いた)クリミア半島の東ローマ領を征服した。

952 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:20:48.95 0
>>949

アヴァール対スラヴ[編集]

623年頃、最初のスラヴ国家であるサモ王国(英語版)(623年-658年)が旧チェコスロヴァキアの地に形成され、その地のスラヴ人がアヴァールの支配を脱した。
サモ王国は7世紀後半にアヴァールによって滅ぼされるが、すでにアヴァールの方も衰退期に入っており、全体としてはスラヴ人が独立性を強めていった。

791年、フランクのカール大帝がアヴァールに遠征し、804年までにドナウ川中流域を征服。
一方で南のブルガールもアヴァールを追ってパンノニアまで進出したため、アヴァールはフランク,ブルガール,スラヴの3者によって分割され滅亡した。


アヴァールの国家組織[編集]

アヴァール可汗国は強力な軍事力と発達した政治機構を持つ遊牧国家であり、支配者は遊牧国家の君主号であるカガン(khagan:可汗)を称した。
カガンを中心として「イウグル」と「トゥドゥン」と呼ばれる二人の高官が補佐する体制であったとされる。
またパンノニアで発見されたアヴァールが残したと考えられる鐙・火打ち金などの出土品は東アジアや北アジアに起源があり、
アヴァールが鐙を西欧に伝えたことで西欧の戦闘法に大きな影響を与えた。
一方で、アヴァール人の進出によってカルパチア盆地やドナウ川上流域に残っていたテウルニア、ウィルーヌムといった司教区は消滅した。

953 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 00:01:22.18 0
>>745
さて、フンガリア

ウクライナ、クロアチア、チェコ の真ん中にいるかな。


トルコは クロアチア、ブルガリア辺りに枝が見える。
それにしても、シリアとトルコの間が遠すぎる。
レヴァントの回廊を通らないと繋がらない、、、

954 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 00:38:41.87 0
>>761
ところでこの年代はどこから判明したの?
まだ見逃してる遺跡があるとか?


> とにかくR1bが欧州に侵入したのは4500~5000年前だからね。
> それまでに狩猟採集民と農耕民の最低ふたつの人類の流れがあるわけだ。

955 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 05:29:37.71 0
あっちに長く住んで白人を見慣れれば美男美女ばかりじゃないことに気づくよ

956 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 19:38:46.76 0
>>954
どこにでも書いてあるよ。
とにかく新石器時代以降に本格的に西欧に進出して、
今ではかなりのウエイトを占めるまでに至った。

957 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 20:58:40.56 0
>>956
書いてあるのは見つからなかったけど
該当物はありました


http://r1b.org/?page_id=112

R1b and the Bell Beaker Phenomenon
Ancient DNA analysis of two male skeletons from the Late Neolithic Bell Beaker site of Kromsdorf, Germany showed they belonged to Y-DNA haplogroup R1b.[1]
More specifically, one skeleton belonged to R1b (M343) with the testing of R1b1a2 (marker M269) having failed and the other skeleton belonged to R1b1a2.
Both were ancestral for SNP U106. No other downstream markers were tested.
The find is important because it links the widespread Bell Beaker Phenomenon (hereafter BB) with the most frequent Y-DNA haplogroup in modern Western European males.
It is also important as R1b has not appeared in any Neolithic or pre-Neolithic ancient DNA to date.


Resources

1. Lee, E. et al. (2012), Emerging genetic patterns of the European neolithic: Perspectives from a late neolithic bell beaker burial site in Germany,
American Journal of Physical Anthropology, online 3 May 2012 ahead of print.

2. Muller J, Van Willigen S, New radiocarbon evidence for European Bell Beakers and the consequences for the diffusion of the Bell Beaker Phenomenon, in Franco Nicolis (ed.), Bell Beakers today:
Pottery, people, culture, symbols in prehistoric Europe (2001), pp. 59-75.

3. Vander Linden M, Demography and mobility in North-Western Europe during the third millennium cal.
BC, Prescott C. & Glorstad H. (reds.), Becoming European. The transformation of third millennium Europe and the trajectory into the millennium BC (2012). Oxbow Books, Oxford, p. 22.

958 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 21:18:17.91 0
>>957
ありがとう。
このくだりだね。
It is also important as R1b has not appeared in any Neolithic or pre-Neolithic ancient DNA to date.

ここ1~2年の間に古代欧州人の変遷というか血統の入れ替わりに関する記事・論文が増えたね。
最後に登場するのがR1bということなんだが。

959 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 21:23:14.67 0
ウーニェチツェ文化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%82%A7%E3%83%81%E3%83%84%E3%82%A7%E6%96%87%E5%8C%96

ウーニェチツェ文化(英語:Un?tice culture)は紀元前2300年から紀元前1600年にかけての中央ヨーロッパの青銅器時代の考古文化。
名称はプラハの北東郊外にこの文化の遺跡があるウーニェチツェ地区から採られた。中核部はチェコ、ドイツ中部と南部、ポーランド西部と中部に広がっている。
ウーニェチツェ文化は、先行する縄目文土器文化にとって代わって広がった。その後西部と東部では異なる発展段階を辿ることになる:

【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

この文化は、パウル・ライネッケ(en:Paul Reinecke)の年代区分では青銅器時代A1とA2に相当する:

A1:2300-1950 BC:三角ダガー、平斧、石製のリストガード(en:stone wrist-guards)、フリント製の鏃
A2:1950-1700 BC:金属製の柄の付いたダガー、フランジ付き斧(フランジ斧)、ハルバード、球形の頭部に穿孔のある針類、堅固なブレスレット
これらの区分年代は主にジンゲン集団墓地(放射性炭素年代測定)、およびレウビンゲン墓地とヘルムスドルフ墓地(年輪年代測定)での調査による。

マリヤ・ギンブタスによると、この文化の墓地遺跡にはバルト海産の琥珀が高い割合で埋められているという。


有名なネブラ・ディスクは、ウーニェチツェ文化のものとされる。この文化に特徴的な銅製のダガーが、この円盤とともに複数発見されたことによる。

960 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 21:26:35.98 0
>>959
死亡推定ワラタww


交易[編集]

ウーニェチツェ文化の交易相手の文化のなかには、ストーンヘンジで有名なイギリスの先史時代社会(Wessex culture)も含まれていた。
ウーニェチツェ文化の鍛冶屋たちは純粋な銅を使っていた。ヒ素・アンチモン・錫の銅合金によって青銅を作るのはこれよりもあとの時代からである。
例外もあり、たとえば先に挙げたジンゲンの集団墓地では、錫を9%混ぜた銅合金のダガーが何本か見つかっている。
このダガーはおそらくブルターニュ半島で作られたものと見られる。なお、ブルターニュ半島でもその地方の富裕層の墓が数か所見つかっている。
アイルランド産の錫は広く取引されていた。ドイツ・ヘッセン州のブツバッハ(Butzbach)では、リューニャラ(lunula)と呼ばれる三日月形ネックレスが見つかっているが、これは金製でアイルランド風の意匠となっている。
琥珀も取引されていた。世界的な大産地であるバルト海南岸産の琥珀(バルチック・アンバー)のほか、他所の小規模な産地で採られた琥珀も取引されていたようである。

このように周辺各地との人的交流は盛んで、最近ではスウェーデンのスコーネ地方から来たと思われる男性の遺骨がポーランドのヴロツワフ市で見つかっている。
この「スウェーデン人」男性は、滞在していたこの土地で地元の「ポーランド人」女性2人に同時に手を出したことが村人たちに発覚して捕えられ、女性たちと共に処刑されたものと推定される。[1]

961 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 21:36:39.04 0
>>958
年代はその続きにあるけど
元は確認してなす

>>957

Based on the radiocarbon (14C) dating of short lived material, the current prevailing view is that BB originated in Iberia (2900 BC cal.),
with an almost concurrent appearance in southern France and northern Italy.[2]
The spread of BB into Northern and Central Europe seems to have occurred somewhat later (~2500 BC).
Vander Linden (2012) questioned the use of 14C dating to find the origins of BB, mainly on the grounds that most dates fall within a very narrow time-frame.[3]
He reinforced instead the Dutch Model, which based on typology and burial data, sees BB as an evolution of the Single Grace Culture (Corded Ware) in the lower Rhine.
Limited ancient DNA has failed to provide a male genetic link however as Corded Ware skeletons
have been found to belong instead to haplogroup R1a1, haplogroup G and possibly haplogroup I. [4] [5]

Based on the homogeneity of STR variance of the three major subclades of P312 (U152, L21 and DF27), and similar modal values for U106 (65 of 67),[6]
both P312 and U106 seem to have had a great period of geographic expansion in a relatively short period of time.
A second, albeit less frequent, brother clade to L11 is defined by Y chromosome position 3263086 G>A (GRCh37/hg19 Assembly) (unpublished data).
The distribution of this group is primarily restricted to Northern Italy and France[6] and is easily spotted in academic studies by way of its off-modal value of DYS426=13.
While BB migrations seem to have impacted some areas such as Bavaria very heavily[7],
other areas such as Northern Iberia and Bohemia show very little variability from the preceding non-BB populations [8].

Understanding the dynamics of Bell Beaker population movements and how they shaped the distribution of R1b
and its phylogeny should warrant Y-DNA testing of ancient skeletal remains at the subclade level.[9]

962 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 22:32:30.24 0
英語で書き込んでくれている人、ありがとう。
今度の土日にじっくり読んで考えるわ。

フィナンシャルタイムズよりはるかに面白い。

963 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 22:33:36.72 0
>>957
http://dienekes.blogspot.jp/2012/05/bell-beakers-from-germany-y-haplogroup.html
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ajpa.22074/abstract


American Journal of Physical Anthropology DOI: 10.1002/ajpa.22074

Emerging genetic patterns of the european neolithic: Perspectives from a late neolithic bell beaker burial site in Germany†

The transition from hunting and gathering to agriculture in Europe is associated with demographic changes that may have shifted the human gene pool of the region as a result of an influx of Neolithic farmers from the Near East.
However, the genetic composition of populations after the earliest Neolithic,
when a diverse mosaic of societies that had been fully engaged in agriculture for some time appeared in central Europe, is poorly known.

At this period during the Late Neolithic (ca. 2,800?2,000 BC), regionally distinctive burial patterns associated with two different cultural groups emerge, Bell Beaker and Corded Ware,
and may reflect differences in how these societies were organized. Ancient DNA analyses of human remains from the Late Neolithic Bell Beaker site of Kromsdorf, Germany
showed distinct mitochondrial haplotypes for six individuals, which were classified under
the haplogroups I1, K1, T1, U2, U5, and W5, and two males were identified as belonging to the Y haplogroup R1b.

In contrast to other Late Neolithic societies in Europe emphasizing maintenance of biological relatedness in mortuary contexts,
the diversity of maternal haplotypes evident at Kromsdorf suggests that burial practices of Bell Beaker communities operated outside of social norms based on shared maternal lineages.
Furthermore, our data, along with those from previous studies, indicate that modern U5-lineages may have received little, if any, contribution from the Mesolithic or Neolithic mitochondrial gene pool.

964 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 22:39:27.64 0
>>962
いや、俺は英語を書くどころか読めないんだがww
全部コピペなので主の方をを拝むべし

ちなみに座右の銘は「(他)人の褌で相撲を取る」

965 :世界@名無史さん:2014/02/12(水) 22:51:01.68 0
>>959

Nebra sky disk
http://en.wikipedia.org/wiki/Nebra_sky_disk


Origin of the metals[edit]

According to an initial analysis of trace elements by x-ray fluorescence by E. Pernicka, then at the University of Freiberg,

the copper originated at Bischofshofen in Austria,
while the gold was thought to be from the Carpathian Mountains.[3]

A more recent analysis found that the gold used in the first phase was from the river Carnon in Cornwall.[4]
The tin content of the bronze was also from Cornwall.[5]

966 :世界@名無史さん:2014/02/13(木) 20:41:36.26 0
lie Teviec

http://en.wikipedia.org/wiki/Prehistory_of_Brittany

Mesolithic[edit]The best-known mesolithic sites from Brittany are the cemeteries on the islands of Hoedic (10 graves) and Teviec (9 graves) in Morbihan.
The collective graves are placed in shell middens without any particular order. Some graves show evidence of postmortal manipulations of the bones.
There are single burials and empty graves (cenotaphs) as well. The graves are covered with stones, a hearth or antlers forming a sort of dome.
Rich funeral gifts, flint tools, engraved bones, shell ornaments and ochre demonstrate the affluence of these hunter-gatherers, or rather fisher-gatherers. Certain shells are sex-specific.

In Teviec there are stone cist graves. The bones of an infant have been postmortally ornamented with striations.

The corresponding settlements consist of shell middens.
A radiocarbon date of 4625 (uncal.) for Hoedic places it in the 6th Millennium BC cal, rather late in the Mesolithic sequence,
and indeed there are some indications of contact with agricultural societies to the East.
Their economy was based on marine resources. Recently, a number of accelerator dates have been published for Hoedic.

In Beg an Dorchenn in Plomeur (Finistere), domestic dog and cattle were already present, in Dissignac, microliths were associated with pollen evidence for clearances.

Some scholars speculate that megalithic graves might go back to the Mesolithic, but this contention is difficult to prove,
as most structures have been reused. Large numbers of microliths have been found under the chambered tomb of Dissignac fr:Tumulus de Dissignac.

967 :世界@名無史さん:2014/02/13(木) 20:48:44.45 0
>>928
ヌーリスターン語派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E8%AA%9E%E6%B4%BE

ヌーリスターン語派(Nuristan, ヌーリスタン語派)、またはカーフィル語派(Kafir)とは、
パキスタンからアフガニスタンにかけて分布する言語のグループで、インド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派に属する。

比較言語学的な位置づけについては、近年ではインド・イラン語派内の独立した一グループとする見解が主流であるが、
一方で支持は少ないながらも、インド語派に含める説や、イラン語派に属するがインド語派に属するダルド語派から多大な影響を受けて変容したとする説もある。
いずれにせよ、ヌーリスターン語派の諸民族が現住地に落ち着いたのは相当の過去のことであり、またインド語派とは異なりパンジャーブ地方へは入らなかったという点に争いはない。


ヌーリスターンは1890年代までペルシア語で「不信仰者の地」を意味するカフィリスタン(英語版)と呼ばれていた。
これは当地の住民が独自の多神教(アニミズム)を信仰していたためで、言語もこれに倣ってカーフィル語派とされていた。
しかしアブドゥッラフマーン・ハーンに征服されて強制的に改宗させられ、住民の一部がイスラームを受容すると、
異教の民がイスラームの光に照らされたとしてヌーリスターン(光の地)と呼ばれるようになり、
カーフィル語派の名も差別的だとしてヌーリスターン語派に改められた。

ヌーリスターン語派に属する言語
ストランドは、ヌーリスタン語派には大別して5言語が存在し、それぞれ数種類の方言をもつとしている。
主な方言にはカタヴァリ語(英語版)、カンヴィリ語(英語版)、ヴァイアラ語(英: Vai-ala)などがあり、パキスタン側のヌーリスタンではカンヴィリ語話者が大多数である。
これら方言とはダルド語派との関連が指摘されているが、言語学的というよりは地理的な関連であろう。

Askunu (Ashkun) 2,000 speakers
Kamkata-viri (Bashgali, includes the dialects Kata-vari, Kamviri & Mumviri) 24,200 speakers
Vasi-vari (Prasuni) 2,000 speakers
Tregami (Gambiri) 1,000 speakers
Waigali (Kalasha-ala) 2,000 speakers
Zemiaki 500 speakers

968 :世界@名無史さん:2014/02/13(木) 22:21:19.40 0
ヌーリスターンの伝統宗教って、ヒンドゥー教からドラビダやムンダ由来の要素を除いたような感じなのかな

969 :世界@名無史さん:2014/02/13(木) 23:23:01.84 0
>>968どうなんっすかね

パシュトー語Pashto language
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%BC%E8%AA%9E
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

パシュトー語(パシュトーご)は、アフガニスタン、またパキスタンの西部に住むアフガン人(パシュトゥーン人)の話す言語である。
インドヨーロッパ語族のイラン語派の東語群に属す。
アフガニスタンでは、憲法によりパシュトー語が公用語と定められている。一方、パキスタンでは、国語および公用語として定められていない。


文字[編集]

アラビア文字の系統のペルシア文字に、アラビア語にもペルシア語にも存在しない音(そり舌音など)の文字を加えて改造した、パシュトー文字(英語版)と呼ばれる文字を用いる。
ナスフ体(英語版)を主に用い、ナスタアリーク体も用いられる。

北部パシュトー語 - 11,430,000人(パキスタン、アフガニスタン、アラブ首長国連邦)
ギルザイ方言 - Ghilzai (pbu-ghi)
北東パシュトー方言 - Northwestern Pakhto (pbu-nop)
Ningraharian Pashto (pbu-nin)
デュラニ方言 - Durani (pbu-dur)

中部パシュトー語 - 7,920,000人(パキスタン)
Bannuchi (pst-ban)
Waciri (pst-wac)

南部パシュトー語 - 7,590,100人(アフガニスタン、イラン、パキスタン、タジキスタン)
クエッタ・パシュトー方言 - Quetta Pashto (pbt-que)
南東パシュトー方言 - Southeastern Pashto (pbt-sou)
カンダハール・パシュトー方言 - Kandahar Pashto (pbt-kan)
南西パシュトー方言 - Southwestern Pashto (pbt-sop)

970 :世界@名無史さん:2014/02/13(木) 23:30:12.48 0
>>969
History[edit]

According to 19th-century linguist James Darmesteter and modern linguist Michael M. T. Henderson, Pashto is "descended from Avestan",[9][10][11]
but Georg Morgenstierne says they are merely closely related.[47]
The word "Pashto" derives by regular phonological processes from Parsaw?- "Persian".[48]
Nonetheless, the Pashtuns are sometimes compared with the Pakhta tribes mentioned in the Rigveda (1700?1100 BC), apparently the same as a people called Pactyans,
described by the Greek historian Herodotus as living in the Achaemenid's Arachosia Satrapy as early as the 1st millennium BC.[49]
However, this comparison appears to be due mainly to the apparent, etymologically unjustified, similarity between their names.[50]

Strabo, who lived between 64 BC and 24 CE, explains that the tribes inhabiting the lands west of the Indus River were part of Ariana and to their east was India.
Since the 3rd century CE and onward, they are mostly referred to by the name "Afghan" ("Abgan")[51][52][53] and their language as "Afghani".[7]

Scholars such as Abdul Hai Habibi and others believe that the earliest modern Pashto work dates back to Amir Kror Suri in the eighth century, and they use the writings found in Pata Khazana.
However, this is disputed by several European experts due to lack of strong evidence.
Pata Khazana is a Pashto manuscript[54] claimed to be first compiled during the Hotaki dynasty (1709?1738) in Kandahar, Afghanistan.
During the 17th century Pashto poetry was becoming very popular among the Pashtuns.
Some of those who wrote poetry in Pashto are Khushal Khan Khattak, Rahman Baba, Nazo Tokhi and Ahmad Shah Durrani, founder of the modern state of Afghanistan or the Afghan Empire.

971 :世界@名無史さん:2014/02/13(木) 23:33:05.48 0
>>969

パシュトゥーン人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%BA

アフガニスタン(アフガーニスターン (Afgh?nist?n))は、ペルシア語・ダリー語で「アフガン人(パシュトゥーン人)の国」という意味。
北パキスタンのペシャーワルと南アフガニスタンのカンダハールは、パシュトゥーン人の伝統的な主要な中心都市である。
パシュトゥーン人は、パシュトー語またはパフトー語を話し、ダリー語とともにアフガニスタンの公用語の一つである。


歴史[編集]

紀元前2世紀後半に北方からイラン高原の東部に侵入したと伝えられており、もともとの居住地は、カンダハールの東にあるクーヒ・スライマーン山脈の近くにあったと伝承されている[1]。

10世紀頃にイスラム教を受け入れ、のちにイランのサファヴィー朝やインドのムガル帝国の支配を受けた。
その一派は18世紀初頭にサファヴィー朝に対して反乱を起こし、1722年に首都イスファハーンを陥落させるが、アフシャール朝のナーディル・シャーに敗れた。

ナーディル・シャーの死後、彼に従っていたドゥッラーニー族のパシュトゥーン人アフマド・シャー・アブダーリーはカンダハールでアフシャール朝から自立し、
アフガニスタン国家の起源となるドゥッラーニー朝を建国する。
ドゥッラーニー族が支配するアフガニスタンでは、パシュトゥーン人部族の有力者(貴族)が国家のあらゆる側面で力を持ち、国家を支配してきた。

民族の居住地域が大きく分散していないにもかかわらず、2つの国家に分割されているのは、19世紀当時にアフガン戦争によってこの地域を支配下に置いていたイギリスが、
保護国アフガニスタンと植民地インドとの境界を民族分布を考慮せずに引いたためである。
1893年の国境線(デュアランド・ライン)の画定に伴い、パシュトゥーン人の居住地域は、アフガニスタンと現在のパキスタン北西部に分かれることとなった。

972 :世界@名無史さん:2014/02/13(木) 23:39:27.85 0
>>967

Kafiristan
http://en.wikipedia.org/wiki/Kafiristan
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

History 

Ancient
Further information: History of Afghanistan

Ancient Kapi?a Janapada, located south-east of the Hindukush, included and is related to Kafiristan.[5]
The Chinese pilgrim Hiuen Tsang who visited Kapisa in 644 AD calls it Kai-pi-shi(h).[6]
Hiuen Tsang describes Kai-pi-shi[7] as a flourishing kingdom ruled by a Buddhist Kshatriya king holding sway over ten neighbouring states including Lampaka, Nagarahara, Gandhara and Bannu.
Until the 9th century AD, Kapi?i remained the second capital of the Shahi dynasty of Kabul.
Kapi?a was known for goats and their skin.[8] Hiuen Tsang talks of Shen breed of horses from Kapi?a (Kai-pi-shi).
There is also a reference to Chinese emperor Tai-Tsung being presented with excellent breed of horses in 637 AD by an envoy from Chi-pin (Kapisa).[9]
Further evidence from Hiuen Tsang shows that Kai-pi-shi produced all kind of cereals, many kinds of fruits, and a scented root called Yu-kin, probably khus or vetiver.
The people used woollen and fur clothes and gold,[10][11] silver and copper coins.
Objects of merchandise from all parts were found here.[12]

973 :世界@名無史さん:2014/02/13(木) 23:58:52.79 0
>>968

ヌーリスターン人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%BA

ヌーリスターン人(ヌーリスターンじん、Nuristani)は、中央アジア・南アジアのアフガニスタンを中心に居住する民族である。ヌーリスタン人やヌリスタニ人とも呼ばれる。
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

アフガニスタン北東部のヌーリスターン州に住み、一部はパキスタンの北西辺境州 のチトラル地区にも住む。
金髪、紺碧目で色白という北ヨーロッパ人と同じような外見を持ち、特に子ども時代はその傾向が強い。
そのため、一説には当時この地を通った、ギリシャのアレキサンダー大王の軍隊の末裔であるという説もある。
言語はインドヨーロッパ語族イラン語派のヌーリスターン語派であるが、第二言語としてダリー語やペルシャ語、パシュトー語も話す。


ダリー語(ファルシー語)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%AA%9E

ダリー語はアフガニスタンの公用語の一つ。タジク語と同じく基本的にはペルシア語であるが、発音・語彙を中心にいくらかの違いがある。
発音は、ペルシア語のe, oがダリー語ではi, uになるなど、ほぼ組織的な対応関係がある。
語彙の大半はペルシア語と同じだが、ダリー語にはパシュトー語やウルドゥー語からの借用語が多い。
また、西欧語からの新しい借用語については、ペルシア語ではフランス語由来の語が多いのに対し、ダリー語では英語由来のものが多い。


うーん、なにかの遺跡が思い出せない、、、

974 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 00:48:11.32 0
さて、スレも残り少ないので雑感を

>>600 ミステリートライアングル
>>574 一部判明したが気になる部分が残ってる
>>557 不明、検証したい

>>611
どっかでNGSDの話を見かけた
そしてワスレタww

>>687 たぶん、まだ頑張れない

>>720>>724
これはやることある

>>768 家畜は継続
いつもの詳しい人に教えてもらいたい
>>801よりは>>806

>>791 レムノス島とロドス島は、クレタも含めて検証要

>>849 とりあえず落ちついて嫁>>858

>>862 ここらへんは他のも含めて年代をきっちりさせたい

>>874 結果が気になる。 たぶんドイツ、デンマークのと一緒に出てくるとみた。

>>610 そろそろ見れるかと思う

とりあえず、「海の民」だけほったらかしてる

975 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 00:54:59.84 0
>>968

るつぼですね
http://www.hansen-jp.com/208amabe.htm

 エスニック諸集団

 このような事情から、アフガニスタンでは、南東部を中心に居住する征服者パシュトゥーン人が人口の約四〇%を占めるにすぎず、
そのほかに、

バダフシャーン地方にタジク人、
ヘラート地方とスィースターン地方にファールスィー人(ペルシア人)、
バクトリア地方にウズベク人、トルクメニスタンとの国境付近にトルクメン人、
ヒンドゥークシュ山脈の東部ハザーラジャート地方にハザーラ人、
その西部ゴール地方にアイマク(チャハール)人などが存在する。

パシュトゥーン人は一八世紀以後、スィースターン北部のファラーフ、スィンダンドやバクトリア地方にも移住し、分布を複雑なものにしている。

 以上が七大エスニック集団(民族意識に乏しく、民族とはいえない)であるが、このほかに、マイノリティ集団が少なくない。


 以上のエスニック集団の中で、パシュトゥーン人が話すパシュト語はイラン系であるが、ペルシア語とは大きく異なる。

タジク人、ファールスィー人、ハザーラ人、アイマク人、キズィルバーシュ人はいずれもペルシア語(ダリー語)やその方言を話すが、
ハザーラ人のペルシア語はモンゴル語の単語を含み、
アイマク人のペルシア語は、トルコ系の単語が著しく多い。
また、ウズベク語とトルクメン語は中央アジアのトルコ系言語である。

976 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 18:56:46.19 0
クローヴィス人のゲノム
http://sicambre.at.webry.info/201402/article_15.html


 この研究では、アメリカ合衆国モンタナ州西部にあるクローヴィス文化のアンジック遺跡で発見された男児(Anzick-1)のゲノムが解析され、他のゲノムと比較されています。
その男児の年代は、放射性炭素年代測定法で10705±35年前頃(暦年代では12707~12556年前頃)となります。
この男児のゲノムが現代人や更新世シベリア人と比較されました。その結果、“Anzick-1”の属していた集団は、
現代のアメリカ大陸先住民の約8割の直接的祖先であり、残りの2割も、他のどの集団よりも“Anzick-1”集団に近い関係にあることが明らかになりました。
また、“Anzick-1”はシベリアのバイカル湖近くのマリタ遺跡で発見された24000年前頃の少年と、遺伝子の1/3を共有しており、
これは現在の全アメリカ先住民も同様です。

このことから、アメリカ先住民の祖先の一部たる東アジアの集団と、更新世のマリタの集団とが出会ったのは、
クローヴィス文化以前だろう、と推測されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。

参考文献:
Rasmussen M. et al.(2014): The genome of a Late Pleistocene human from a Clovis burial site in western Montana. Nature, 506, 7487, 225?229.
http://dx.doi.org/10.1038/nature13025

977 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 19:01:04.64 0
>>976

古代ゲノム学:モンタナ州西部にあるクローヴィス人の墓地遺跡で発掘された更新世後期のヒトのゲノム

古代ゲノム学:古代ゲノムからアメリカ先住民の祖先が明らかに
 クローヴィス文化は、約1万3000年前の北米に広く分布した古代の文化で、
クローヴィス尖頭器として知られる槍の刃など、独特な石器が特徴である。
ただ、これらの石器をどのような人々が作ったのかについては、わずかな情報しかなく、推測の域を出なかった。
今回、古代の北米にいたアメリカ先住民個体のゲノム塩基配列が初めて解読され、さらなる研究を進めるための情報が得られた。
このゲノムは米国モンタナ州にあるクローヴィス文化のアンジック遺跡の墓地で発掘された幼い男児(Anzick-1)のものである。
この部分骨格は約1万2600年前に埋葬されたもので、黄土を塗った多数の石器と一緒に出土した。
このゲノムは、現代のアメリカ先住民の祖先に当たる1つの集団に属している。
また、このゲノムと南北アメリカのさまざまな先住民集団との類縁関係は全て、他大陸のどの集団とよりも近かった。
これらの知見は、クローヴィス人がヨーロッパから移動してきたという仮説を否定するもので、クローヴィス人よりも数千年前にアメリカ大陸にヒトが居住していたという説と一致し、
現代のアメリカ先住民が、アメリカ大陸に最初にうまく定住した人々の子孫であることを示している。


http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/fig_tab/nature13025_ft.html

地図http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/fig_tab/nature13025_F1.html
分布http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/fig_tab/nature13025_F2.html
分岐http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/fig_tab/nature13025_F3.html

978 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 19:10:41.20 0
>>977

mtDNA and Y-chromosome subtrees.

http://www.nature.com/nature/journal/v506/n7487/fig_tab/nature13025_SF2.html
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

a, Schematic phylogenetic tree of mtDNA haplogroup D4h3 and its sub-branch D4h3a.

Mutations from the root of haplogroup D4h are specified only for haplogroup D4h3a lineage; diagnostic mutations are shown only for defined sub-branches on solid lines.
The haplotypes of Anzick-1, identical with the root haplotype of D4h3a,
and an ancient full sequence from the northwestern coast of North America (Ancient939), are indicated in red.
Insertions are indicated with ‘.’ followed by a number of inserted nucleotides (X if not specified), deletions are indicated with ‘d’ and back mutations to ancestral state with ‘!’.
The geographical spread of sub-branches of haplogroup D4h is shown with different colours specified in figure legend.


b, Placement of Anzick-1 within the Y-chromosome phylogeny.

Anzick-1 (circled) represents Y-chromosome haplogroup Q-L54*(xM3) (blue), which is offset by haplogroup Q-M3 (dark blue).
The lineage carried by the ancient Saqqaq Palaeo-Eskimo (light blue) constitutes an outgroup to Q-L54.
Each branch is labelled by an index and the number of transversion SNPs assigned to the branch (in brackets).
Terminal taxa (individuals) are also labelled by population, ID and haplogroup.
Branches 21 and 25 represent the most recent shared ancestry between Anzick-1 and other members of the sample.
Branch 19 is considerably shorter than neighbouring branches, which have had an additional ~12,600 years to accumulate mutations.

みれる?
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚
【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

979 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 21:58:32.53 0
>>600

なんで見てなかったんだろうww
まじワロス

Table SI 14
Pigmentation prediction in the MA-1 individual contrasted with the Tyrolean Iceman
The method is based on assessing a total 124 SNPs associated with pigmentation traits

Phenotype
MA-1 (17 SNPs)
Iceman (24 SNPs)

darker skin vs fairer skin
blue eyes vs non-blue eyes
brown eyes vs non-brown eyes
green or blue eyes vs brown or black eyes
red hair vs non-red hair
freckles vs non-freckles
blond hair vs non-blond hair
brown hair vs non-brown hair
lighter brown or blond hair vs darker brown or black hair
blond or red hair vs brown hair
lighter brown hair vs darker brown hair
blond or red hair vs non-blond or non-red hair

980 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 21:59:49.58 0
>>979

MA-1 (17 SNPs)
darker skin (6/9)
Non-blue eyes (4/4)
brown eyes (2/3)
brown or black eyes (2/2)
-
freckles (1/1)
Non-blond hair (1/1)
brown hair (5/7)
darker brown or black hair (2/3)
brown hair (7/7)
lighter brown hair (2/2)
-


Iceman (24 SNPs)
fairer skin (8/15)
blue eyes (7/9)
non-brown eyes (5/8)
brown or black eyes (3/3)
red hair (2/3)
freckles (2/3)
blond hair (2/3)
brown hair (8/11)
lighter brown or blond hair (2/3)
brown hair (11/13)
lighter brown hair (2/3)
blond or red hair (2/3)

981 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 23:34:16.61 0
>>610

Table S2

Population(X) n Language Social/ caste

Paniya 5 Dravidian Tribal
Palliyar 5 Dravidian Tribal
Kattunayakan 5 Dravidian Tribal
Palliyar^a 5 Dravidian Lower caste
Madiga 13 Dravidian Lower caste
Mala 13 Dravidian Lower caste
Adi-Dravidar 5 Dravidian Lower caste
Hakkipikki^a 4 Dravidian Tribal
Vedda 4 Indo-European Tribal
Kamsali 4 Dravidian Lower caste
Chenchu^a 4 Dravidian Tribal
Chamar^a 10 Indo-European Tribal
Chenchu 6 Dravidian Tribal
Bhil 17 Indo-European Tribal
Kallar 5 Dravidian Lower caste
Kallar^a 8 Dravidian Tribal
Vysya 14 Dravidian Middle caste
Malai Kuravar 5 Dravidian Tribal
Satnami 3 Indo-European Lower caste
Kuruchiyan 5 Dravidian Tribal
Dushadh^a 7 Indo-European Lower caste
Scheduled
caste/tribe^a 6 Dravidian Lower caste

982 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 23:34:52.29 0
>>981

Population(X) n Language Social/ caste

Mali 5 Dravidian Lower caste
Minicoy 4 Indo-European Lower caste
Gounder 5 Dravidian Middle caste
Lodi 5 Indo-European Lower caste
Naidu 4 Dravidian Upper caste
Velama 4 Dravidian Upper caste
Velama^a 9 Dravidian Upper caste
Narikkuravar 5 Dravidian Tribal
Tharu 5 Indo-European Tribal
Dharkar^a 11 Indo-European Nomadic group
Kanjar^a 8 Indo-European Nomadic group
Muslim^a 5 Indo-European Religious group
Srivastava 2 Indo-European Upper caste
Jain 5 Indo-European Religious group
Meghawal 5 Indo-European Lower caste
Kshatriya^a 7 Indo-European Upper caste
Vaish 4 Indo-European Upper caste
Brahmin^a 8 Indo-European Upper caste
Kshatriy^a 15 Indo-European Upper caste
Brahmin 10 Indo-European Upper caste
Sindhi^b 10 Indo-European Urban group
Kashmiri Pandit 15 Indo-European Upper caste
Pathan^b 15 Indo-European Urban group

983 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 23:45:15.22 0
>>982

Palliyar^a 5 Dravidian Lower caste Cypriot > Abhkasian (0.4) > Georgian (0.5)
Brahmina 8 Indo-European Upper caste Tuscan > Lezgin (0.0) > Georgian (0.1)

他はじょーじ

We compute D(Onge, X; YRI, Y) where X is an Indian group shown above and Y is a West Eurasian group chosen from a panel of 43 groups
including Europeans, Central Asians, Middle Easterners and Caucasian populations.

We display the results for the population Y with the highest D-statistic mean,
the 2nd highest D-statistic mean (Z-score for the difference between highest and 2nd highest group),
and the 3nd highest D-statistic mean (Z-score for the difference between the highest and 3nd highest). We consider

|Z| > 3 to be statistically significant. a
indicates samples from Metspalu et al (2011) and b
indicates samples from HGDP.

984 :世界@名無史さん:2014/02/15(土) 00:08:25.57 0
>>981
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Scheduled_Tribes_in_India

>>983

Palliyar people
http://www.joshuaproject.net/people-profile.php?rog3=IN&peo3=17889

Religion
Buddhism 0.00 %
Christianity 0.77 % (Evangelical: Data not available)
Ethnic Religions 0.00 %
Hinduism 99.23 %
Islam 0.00 %
Non-Religious 0.00 %
Other / Small 0.00 %
Unknown 0.00 %

http://en.wikipedia.org/wiki/Brahmin
Brahmin (/?br??m?n/; also called Brahmana; from the Sanskrit br?hma?a ????????) are traditional Hindu societies of India, Nepal and The Far East.

Brahman, Brahmin, and Brahma have different meanings.

Brahman refers to the Supreme Self. Brahmin (or Brahmana) refers to an individual belonging to the Hindu priest, artists, teachers, technicians class (varna or pillar of the society)
and also to an individual belonging to the Brahmin tribe/caste into which an individual is born; while the word Brahma refers to the creative aspect of the universal consciousness or God.
Because the priest / Acharya is knowledgeable about Brahma (the God), and is responsible for religious rituals in temples and homes and is a person authorized after rigorous training in vedas (sacred texts of knowledge)
and religious rituals to provide advice and impart knowledge of God to members of the society and assist in attainment of moksha,
the liberation from life cycle; the priest / Acharya class is called "Brahmin varna." The English word brahmin is an anglicized form of the Sanskrit word Br?hmana.

わからんww

985 :世界@名無史さん:2014/02/15(土) 00:47:31.77 0
>>983

http://en.wikipedia.org/wiki/Lezgian_people

he Lezgians (Lezgian: лезгияр, lezgiyar, Russian: лезгины, lezginy; also called Lezgins, Lezgi, Lezgis, Lezgs, Lezgin)
are an ethnic group living predominantly in southern Dagestan and northeastern Azerbaijan and who speak the Lezgian language.

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History[edit]In the 4th century BC, the numerous tribes speaking Lezgic languages, which is part of the Nakh-Dagestan family of languages,
united in a union of 26 tribes, formed in the Eastern Caucasus state of Caucasian Albania, which existed before the 8th century BC.
Under the influence of foreign invaders Caucasian Albania was divided into several areas - Lakzi, Shirvan, etc.

986 :世界@名無史さん:2014/02/15(土) 01:17:10.28 0
>>968

詳しくわかんないけど>>972

Hiuen Tsang describes Kai-pi-shi[7] as a flourishing kingdom ruled by a Buddhist Kshatriya king
holding sway over ten neighbouring states including Lampaka, Nagarahara, Gandhara and Bannu.

ってあるよ。

個人的にはゾロアスター教は色々と調べたけど、
ヒンドゥー教はあんまりなじみがない。

987 :世界@名無史さん:2014/02/15(土) 10:18:50.41 0
>>610 上の方

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【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

Indian Cline group Samples Z-score from 3 Population Test for mixture % ANI ancestry
Mala     3  -2.5  38.80%
Madiga    4  -2.7  40.60%
Chenchu  6  31.3  40.70%
Bhil     7  -10.6  42.90%
Satnami  3  -5.6  43.00%
Kurumba  6  -12.6  43.20%
Kamsali  3  -6.5  44.50%
Vysya   5  5.4  46.20%
Lodi     5  -8.9  49.90%
Naidu   4  -3.3  50.10%
Tharu    5  -20.6  51.00%
Velama    4  -3.2  54.70%
Srivastava 2  -7.5  56.40%
Meghawal  5  -13.3  60.30%
Vaish    4  -22  62.60%
Kashmiri
Pandit    5  -20.6  70.60%
Sindhi    10  -26.3  73.70%
Pathan   15  -34.3  76.90%

988 :世界@名無史さん:2014/02/15(土) 10:33:09.45 0
ヨーロッパにおけるジプシーの放浪生活は1500年前に始まった、DNA調査で明らかに

http://jp.sciencenewsline.com/articles/2012120619410008.html


Published: December 6, 2012.
Japanese text by SciecenNewsline team
based on release from Cell Press

ヨーロッパでは多くの人口を抱えるジプシー「ヨーロッパ・ロマ人」(European Romani)の放浪生活は、
1500年前のインド北西部で始まったことが学術専門誌「Current Biology」を通じて発表された論文により明らかとなった。
今回、発表された論文は、ジプシーの起源に関わる最初の遺伝子調査に基づく研究成果となるだろう。


ジプシーは1100万人の人口を抱え、ヨーロッパの少数派民族グループとしては最大の規模を持つ。
ジプシーの人口は、ギリシャ、ポルトガル、ベルギーといった国の総人口とほとんど変らない。

「私たちは、ヨーロッパの人口において重要な部分を占めているジプシーの人口史を解明することに興味があったのですが、
これまでヨーロッパ各国においてジプシーは無視された存在だったため、彼らに対する科学調査もほとんど行われてきたことはなかったのです」
とスペインのInstitut de Biologia Evolutiva at Universitat Pompeu FabraのDavid Comasは述べる。

ジプシーの起源に関わる歴史書は存在していない。失われたジプシーの歴史を埋めるため、
ComasととErasmus UniversityのManfred Kayserと欧州の国際研究チームは、
ヨーロッパ中から採集された13のジプシー集団の遺伝子情報を使うことにより、ヨーロッパ・ジプシーの起源はインドにあることを確認した。
この結果は、言語学に基づく調査によって得られた従来の学説とも一致するものとなった。

989 :世界@名無史さん:2014/02/15(土) 13:57:45.21 0
>>988
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Romani_people#Genetic_evidence

Genetic evidence[edit]


Researchers doing DNA analysis discovered that Romani populations carried large frequencies of particular Y-chr and mtDNA that otherwise exist only in populations from South Asia.

47.3% of Romani men carry Y-chr of haplogroup H-M82 which is rare outside the South Asia.[22]
mtDNA haplogroup M, most common in Indian subjects and rare outside Southern Asia, accounts for nearly 30% of Romani people.[22]

A more detailed study of Polish Roma shows this to be of the M5 lineage, which is specific to India.[23]
Moreover, a form of the inherited disorder congenital myasthenia is found in Romani subjects.
This form of the disorder, caused by the 1267delG mutation, is otherwise known only in subjects of Indian ancestry.
This is considered to be the best evidence of the Indian ancestry of the Romanies.[24]


A study from 2001 by Gresham et al. suggests "a limited number of related founders, compatible with a small group of migrants splitting from a distinct caste or tribal group".[27]
Also the study pointed out that "genetic drift and different levels and sources of admixture, appear to have played a role in the subsequent differentiation of populations".[27]
The same study found that "a single lineage ... found across Romani populations, accounts for almost one-third of Romani males.

A 2004 study by Morar et al. concluded that the Romanies are "a founder population of common origins that has subsequently split into multiple socially divergent and geographically dispersed Gypsy groups".[24]

The same study revealed that this population "was founded approximately 32?40 generations ago,
with secondary and tertiary founder events occurring approximately 16?25 generations ago".[24]

990 :世界@名無史さん:2014/02/15(土) 16:06:02.56 0
ところで次スレは?

991 :世界@名無史さん:2014/02/15(土) 20:21:12.43 0
>>990
おいらはどっかの過疎スレに移るけどね
もともとアーリア人のスレ無くなったから移住しただけだし。

あと、>>979検証中に色々と間違いを発見したんで、
みんなに謝っておきたい。
もう残りのスレ数では修正は不可能だろうな。

ゴメンなさい

992 :世界@名無史さん:2014/02/15(土) 20:33:03.45 0
お詫びのついでに
最後までお付き合い頂いた方には
これは必見というものをご紹介

>>548
http://www.sciencemag.org/content/342/6155/257/suppl/DC1
http://www.sciencemag.org/content/suppl/2013/10/10/342.6155.257.DC1/1241844s1.mov

まぁ、ちゃんと調べてる人はもう知ってるだろうけどね



ヨーロッパの話は、ほっといても誰かが説明してくれるだろう
と思ったまま3年ぐらいは経っちゃったからなぁ

993 :世界@名無史さん:2014/02/15(土) 20:43:47.46 0
こっちは流石にみんな見てるよね?
>>656のリンク先にあるやつ


原論文
Iosif Lazaridis, Nick Patterson, Alissa Mittnik, et al.
Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans
bioRxiv posted online December 23, 2013
doi: 10.1101/001552

http://biorxiv.org/content/early/2013/12/23/001552


後、落ちるまでなら質問やリクエストを受付けるよ。
まぁ、英語は読めないから訳してはあげられないけどねww

994 :世界@名無史さん:2014/02/15(土) 21:43:28.00 0
>>979
http://www.nature.com/nature/journal/v505/n7481/fig_tab/nature12736_ft.html


【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

a, Geographical locations of Mal’ta and Afontova Gora-2 in south-central Siberia. For reference,

Palaeolithic sites with individuals belonging to mtDNA haplogroup U are shown (red and black triangles):
1, Oberkassel;
2, Hohle Fels;
3, Dolni Vestonice;
4, Kostenki-14.

A Palaeolithic site with an individual belonging to mtDNA haplogroup B is represented by the square:
5, Tianyuan Cave. Notable Palaeolithic sites with Venus figurines are marked by brown circles:
6, Laussel; 7, Lespugue; 8, Grimaldi;
9, Willendorf; 10, Gargarino.

Other notable Palaeolithic sites are shown by grey circles:
11, Sungir; 12, Yana RHS.

b, PCA (PC1 versus PC2) of MA-1 and worldwide human populations for which genomic tracts from recent European admixture in American and Siberian populations have been excluded19.

c, Heat map of the statistic f3(Yoruba; MA-1, X) where X is one of 147 worldwide non-African populations (standard errors shown in Supplementary Fig. 21).
The graded heat key represents the magnitude of the computed f3 statistics.

【欧州の歴史】ヨーロッパ人がなんで容姿淡麗かYouTube動画>20本 ->画像>213枚

995 :世界@名無史さん:2014/02/16(日) 08:10:03.76 0
示された論文を読む限りでは、
欧州人の遺伝子的な歴史を整理するにはまだ時間がかかるということだね。

現代欧州人の起源が3種類の「集団」から成るというのは定説化しつつあるが、
それに遺伝子・人種形態・語族・分化・侵入経路をどう組み合わせていくかというのは、
大変労力がいるし、まだまだサンプルが必要だね。

ただ、北部欧州人とNATIVE AMERICANとの類縁性については、
かえって頭を混乱させる学説だね。

次スレでもよろしく。

mmp3nca
lud20160412013833ca
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