>>1
お疲れ様です!
信長公は過大評価なんてされてません。 むしろ司馬が広めた破天荒キャラが是正されてる段階だろ
実際はかなりの常識人でプレイボーイ
特に軍事も内政も際立って普通か旧来のものと変わらないって言うね。
未だにヤフー知恵袋みたいなところだと信長は革新的な政策で〜みたいなこと言う人多いよな
と言うかそう言う信長アゲし過ぎてる人は他の大名がどんな政策してたか答えられないだろうな
と言うかそう言う信長アゲし過ぎてる人は他の大名がどんな政策してたか答えられないだろうな
同じ文章二度投稿してまでの信長sageお疲れ様です。
むしろやってる事が保守的なのに、特に上洛後の快進撃は何故なのかという疑問が出てくる
>>11
前スレから何度も出ているように軍事的天才だから
どこかの誰かが織田軍は寄せ集めで全然革新的じゃないとか言っていて
なら寄せ集めで勝ちまくった信長はハンニバル級の天才ということになる
まあそこまで行かなくとも信長が戦の天才なのは間違いない センゴク外伝で宮下センセが提示した気候変動による社会構造の変化にノブサマが最も上手く適応したと言う説が真実に近いと思うぞ
宮下センセは漫画家で専門外の人だが故に変な先入観やしがらみに縛られずモノが言えるし
元より信長は優秀
ただ信長の評価が高すぎるのは家臣の評価がプラスαされているだけ
初期の信長の将の中で評価が低すぎるのが森三左衛門可成だと思う
まず子供の森蘭丸と事なり現代ではほぼ無名
しかし信長公記の中で森三左衛門は少なくとも一度は信長の命を救っている
それは弟との戦いの中で700対1700の圧倒的不利な状況での戦いだった
まず織田信長ははじめは尾張の大うつけと呼ばれるくらいバカにされて柴田勝家も敵に回るくらいバカにされていた
身内以外で味方になったのは佐久間と森と丹羽長秀くらいで
俗に言う「木綿藤吉、米五郎左、掛かれ柴田に、退き佐久間、攻めの三左」
当時の表現でいえば「攻めの三左に、退き佐久間、掛かれ柴田、米五郎左、木綿藤吉」
この中で一番はじめに信長を支えていたのが森三左こと森可成と佐久間信盛と丹羽 長秀
特に稲生の戦いでは信長の軍は総勢700人で
柴田勝家の軍に攻められてあわや打ち取られる寸前までいったが(この時の信長の周りには40人しかいなかった)
織田信房・森可成の奮闘でようやく切り抜けた
その後に時間をおいて柴田勝家は許されて信長の軍に復帰する
桶狭間の戦いでもやはり主力は森三左で常に信長の側にいた
時には単独で今川の領内に入り込みスパイ活動もした
スパイ工作で戦わずに敵の将を倒す
追放されていた前田利家の復帰にも手を貸した
後は柴田が完全に復帰して柴田勝家と共に攻撃部隊の主力と成る
その後は今あるTVドラマやアニメや小説や漫画などで展開されるようなストーリーだけれども
どうも明智光秀関連の物語を際立たせるために森三左衛門可成が極めて軽視される傾向があるので書いてみた
ともかく稲生の戦いで信長の元にいた700人の中にいたのは佐久間と森と丹羽長秀で
その中でも森三左衛門可成がいなければ信長は柴田軍にやられていたのでもう少し評価を上げて欲しいと感じている
>>13
それは「研究ごっこ」で言うところの「素人ゆえに先入観に囚われず考えることができる、と言う素人考え」みたいなもののような気もするが >>14
稲生は敵が身内だったからびびって逃げただけの合戦
信長の軍才と全く関係ない勝因 他の大名とやってることはかわらないが、濃尾平野平定後は「天下」(京≒中央政権)に関与しようという野心と結果的にそれをおさえたことによる政治的経済的アドバンテージが他の大名を圧倒していった理由でしょう。
「天下」に関与し続けようとしたことと、義昭追放後も「天下」を担おうとしたことが他の大名より革新的だったといえないこともない。
元々信秀のころから道三を籠城させ今川と戦える力があった
それでいて周りに1573年頃の武田、毛利、大友クラスの敵がいない
そりゃ勢力拡大するわ
>>22
メチャクチャ言ってる。
信秀の頃にどこに1573年当時の武田、毛利、大友クラスの大名がいるんだ。
全国的に見てもいないだろ。 >>23
読解力ないな
信秀の頃にそんだけの力あって信長があとついだあとにそういうのがまわりにいなかったっていってんだよ 元々ってわざわざ書いてるのにアスペってほんとめんどくさいな
めんどくせーアスペがいるからつけくわえるけど信秀が1573年の武田、毛利クラスなんて書いてないからな
>>18
>稲生は敵が身内だったからびびって逃げただけの合戦
またどこかの漫画を読んだような感想文だな
ちゃんと信長公記でも読め
稲生の戦いでは信長軍700は柴田軍に押されて信長の家臣は次々と打ち取られていた
あともう少しで信長が討ち取られるという所で、織田信房・森可成の両名が前線に立って戦い、清洲衆の土田の大原という武将を返り討ちにするなど奮戦した。
それなしで信長が怒鳴っても効果はほとんどないのだが
>信長の軍才と全く関係ない勝因
んなわけあるか
ちゃんと柴田勝家に対抗できるように美濃の森三左衛門を自軍に率いれているだろうが
林美作守を信長自らが討ち取ることが出来たのも黒田半平が自分の手を犠牲にするまで激しく戦い抜いたからだ >>27
ちなみにこの時の柴田勝家は既に猛将として知られて武勇に秀でていた
数も1000人で信長軍より多い
身内だからということで柴田も手加減はしないし織田軍の将を血祭りに上げていた
当然柴田勝家も信長を殺す気でいた
身内だからただ怒鳴られて逃げたというのはないからな
あくまで織田信房・森可成が奮闘して敵将を殺して攻めてきたところに信長の罵声が加わり浮き足立ち織田軍に追撃された
織田信房・森可成の奮闘がなければ信長は殺られていた そもそも1550年辺りじゃ100万石クラスの大名自体が少ない上に、いても大名の権力が弱かったり守護代が強かったりで、
無意味な仮定じゃね?
運の良さだけが一流で能力は三流の男だな。
司馬遼太郎の小説と大河ドラマ等の影響で革新的なイメージが付いたんじゃないかな?
実際にしていることは全て後から周辺大名のマネしてるだけだよ。
晩年はもう狂ってたしな。
だから家臣愛想つかされたのだろうな。
>>31
いつも同じ内容で飽きた
強運の持ち主ならば本能寺はなかったはず
嫡男まで死んだのだから強運とは言いがたし
運が良かったのはラッキーモンキーだろ >>28
身内だから逃げたとはっきり書いてあるのに勝手に妄想で奮戦してたからとこじ付けてて吹いた >>29
1550年頃に全盛期の武田や大友、毛利て、当時は大内くらいだろうな。大内は貿易と高い文化があるから石高だけでは測れないし。 むしろ劣勢の時にちゃんと戦える部隊を率いてたなら統率力が高いと言える
首巻だから云々はあっても天王寺砦の戦いでも統率力は発揮してるし
兵が全然集まらなくてむしろ統率力が発揮できてないことが露呈されてるんですがそれは
>>36
アホかw
兵は時間掛けりゃ集まるし、どこの国も同じ
他の大名は信長より早く兵を集められたって証拠は?
天王寺砦は兵が集まらないじゃくて、明智らを救うために、むしろ兵が集まる前に馬廻り衆引き連れて迅速に動くのが信長だって話だろうに どこも変わらないということだね
信長の統率力だから云々は関係ないというお話でした
>>38
各地から兵が集まる前に馬廻り率いて前線で戦い劣勢でも勝てる統率力と
家臣らが既に討ち取られ各地から兵が集まってから出陣する統率力が同じとな? 何でも信長スゲーの方向に持っていこうとするからなあ
そもそも他の大名とやってることが変わらないのなら、なぜ他の大名は信長と同じことをやらなかったんだ?
よく「信長のやったことなんか当たり前で大したことなんかない」って言う奴がいるけど、その当たり前すらできない奴が多かったんだろ。現在の停滞した政治見たらわかるだろ。当たり前のことすらできない政治家ばかり。
信長はそれができた時点で他と違うと思うぞ。
そんな事は指摘されてないな
単に立地条件が良かったからだけの違いでしかない
立地的にいったら朝倉義景とかも天下静謐に動こうと思えばできたはず
一向宗に食いつかれてるから無理
動けるようになったのは本願寺と和睦以降で一向宗に足引っ張られなければ京まで一直線で行ける実力はあったのは志賀の陣が証明してる
>>43
信長の立地が良かったというなら、斯波高経や義将、土岐頼遠らが天下をなぜ取れなかったんだろうな。立地立地言う奴は歴史を知らんのか。 >>45
朝倉宗滴のときに何回上洛しているのかを知らんのか? それに信長も伊勢に一向宗がいるだろ食いつきの差こそあれ。 尾張、美濃、伊勢と狭い地域で180万石ほどある。
さらに伊勢湾の交通も押さえて莫大な収入がある。
それで浅井や朝倉など遥かに弱小な大名とばかり戦っているわけだから馬鹿でも勝てる。
桶狭間は恐らく騙し討ちだと思う。
余りにも都合よく敵対者が次々と死んで行くのは不自然だ。
信長は暗殺を多用したものと思われる。
当に戦国のプーチン。
そんな重要な地域なら競争率高いだろうにあっさり押さえて
さらに他国の大名クラスまで暗殺で証拠も残さず始末
めちゃくちゃ有能じゃん
重要地域が軒並み内ゲバでボロボロだっただけ
そこを掠め取ったのが信長
>>48
伊勢を支配したのは1569年からだろ。
北伊勢に限定しても1568年。
さらっといれてるんじゃねーよ。
しかも三ヶ国で180万ってどんな計算だよ。
明らかに20万石は多いわ。 >>51
内ゲバ起こす方にも問題があるわ。
内ゲバ起こしたほうに問題ないなら、信長にも何の問題もないわ。 >>47
一向宗が居れば何でも同じわけじゃないやろ何を言いたいか知らんが 都合よくだと?
具体的にあげてみろよ。
いつのこと言ってんの?
内ゲバに外部との抗争は戦国時代どこもやってた
その中で勝ち抜いたってことなのでやはり凄いんじゃ
いや別に他と比べてずば抜けて有能とか天才とか
言う気はないけど否定派の人の話を素直に
受け取ると逆に凄いことに・・・
ID:iGedUwQA
信忠スレで暴れてる基地外の可能性あり。
注意。
>>33
お前の見た漫画の感想などいらんわ
造酒丞と三左衛門の二人が奮闘して敵将の首を取った所で信長が大きな声を出して怒った
そこで初めて恐れて逃げたとある
信長の声だけで逃げるわけなかろう?
>身内だから逃げた
アホか
それならはじめから信長の軍と敵対はしないぞ
まじでお前はバカだな
造酒丞と三左衛門の二人が奮闘して形勢が逆転して
さらに身内の者だからこそ本当に信長が怒っているのがわかって恐れて逃げただけだ >>14
> 稲生は敵が身内だったからびびって逃げただけの合戦
>信長の軍才と全く関係ない勝因
あのな
その時期になると
信長はもう何度も戦に参加してお得意の鉄砲を何度も使っている
軍才があるのも知っていた者も多かった
そこで造酒丞と三左衛門の二人が奮闘して敵将の首を取った所で信長が大きな声を出して怒った
ここで初めて敵である柴田勝家軍は信長を恐れて逃げたのだ
ただ身内だから逃げたのではなく形勢が逆転して信長が怒ったのを見計らい逃げたのだぞ
身内だから信長の用意周到さを恐れ鉄砲もあるかもしれんと思い逃げたのだ 身内でもあっさり殺されることあるのに
信長はうつけと言われながらもよほど愛されてたか
思わず逃げるほどのカリスマがあったと言う主張か
>>59
形勢が逆転したなんて全くも書いてなく単なる妄想でわろた
全く書いてない鉄砲を恐れたかと妄想全開でくそわろた >>61
身内だから逃げたとか言うのではわかりずらいだろうから
補足したまでだろうが 信長の統率力が他と変わらないという反論に対して>>39が出ると、>>41で苦し紛れに信長スゲーに持っていこうとするの捨て台詞にワロタw
いやいや君が統率力が他と変わらないというゴリ押ししてるんだよ?w >>41
実際数倍の敵を何度も打ち破っているから凄いよ >>41
実際数倍の敵を何度も打ち破っているから凄いよ まあ信長への憎しみから実績もまともに評価できんのだろう
他と変わらないというゴリ押しをしたいがためにw
兵力が劣勢で勝つとなると国力関係なく将としての力量になるからな
>>63
逆に言葉たらずで捏造しているのはお前
完全に正確ではないが本当は
柴田軍は勝家が信長の将の一人を討ち取ったものの負傷し撤退
しかし柴田軍はその後も織田軍を押してついには信長の周りに40人しかいない所まで肉薄した
そこで造酒丞と三左衛門の二人が前線に出て奮闘して敵将の首を取った所で信長が大きな声を出して怒った
ここで身内であった敵は信長の威光を恐れて動きが止まり逃げたのだ
これをお前は全文省略して
身内だから逃げ出したに変更 >>61
信長公記を読んでいない人のためにわかりやすく説明しただけだ
完全に正確ではないが本当の大筋は
柴田軍は勝家が信長の将の一人を討ち取ったものの負傷し撤退
しかし柴田軍はその後も織田軍を押してついには信長の周りに40人しかいない所まで肉薄した
そこで造酒丞と三左衛門の二人が前線に出て奮闘して敵将の首を取った所で信長が大きな声を出して怒った
ここで身内であった敵は信長の威光を恐れて動きが止まり逃げたのだ つまり真実は相当なカリスマを発揮してるということなのか
会社でも親戚でも怖い人って一人くらいいるだろ?
信長はそれ
>>36
統率力って一団を率いて作戦を遂行する能力とか
一団を好き勝手バラバラに行動させずに一丸となって行動させる事を統率するだと思うんだが
兵を集めるのは動員力とかじゃね?
統率が動員兼ねるのは信長の野望とかの話かな? 昭和中頃くらいから、織田信長が他の同時代人を超越した思考や能力の
持ち主かのように語られてきた(例えば、織田軍だけ兵農分離を行っていた、とか)
けれど、検証してみるとそれらの主張は学術的根拠を伴っていないことが分かってきて、
金子拓とかが、そういうスタンスで一般書を書くまでになってきた。
スレタイの「過大評価」ってのはそういう部分を指してるのであって、
「信長は有能だったのか、無能だったのか」とかの頭の悪い話ではない
>>75
厄介な信者が多いからな信長は…。
天下布武は畿内を指すみたいな昨今の定説さえ、信長を馬鹿にしてると頓珍漢ないちゃもんつけてくるやつもいる というか時代を超越とか小説やドラマの話でしょ
お話しはお話しであって鵜呑みにするのも
それを過大評価というのもなぁ
秀吉こそ歴史番組でもイノベーターやら革新的と言われるが
信長は結局凡夫の域を出ていないんだよね
>>76
「天下布武は畿内を指すみたいな昨今の定説さえ」
誰の定説やねん。
だとしたら、天下布武に自分の本領地ともいうべき尾張や美濃は入らないってことになるだろうが。 >>76
さっそく厄介な信者がすっ飛んできましたねw >>77
東大の史料編纂所教授がこういうスピリチュアルな本を量産してる以上、「小説やドラマの話」でないな。
信長: 「歴史的人間」とは何か (日本語) 単行本 ?本郷 和人 (著)
信長が時代をつくったのではなく、時代が信長を要請した
残虐、勤王、革新、そしてその否定……。時代によって移り変わる信長の評価だが、<<歴史学が示すべきは「なぜ、信長によって戦国時代は終焉を迎えたのか」という問いへの答えだ。>>
そう考えるのは、信長を英雄視することでも、普通の大名であると単に旧説を否定することでもない。後に江戸幕府となっていく、ひとつの大きな権力が準備される過程で、信長という存在が生まれてきた。それは、<<信長の個性が時代をつくったのではなく、時代が彼を要請したのだと捉えられる。>>本書はそうした<<歴史の構造を明らかにする>>ものである。
宗教、土地、軍事、国家、社会から見た「歴史的人間」としての信長の姿を日本史の中に位置付ける。
(<<>>加筆引用者)
・・・さっさとクビにしろ 統率力がずば抜けていたからこそ無茶な強行軍出来たわけでな
ナポレオンとかその典型だが兵力の劣勢を覆すにはスピードが大事
信長の異常なまでの速度は他の大名には見られない
>>82
ナポレオンもだけど、常人が真似すれば普通に負けるからね。
わざと隙見せて敵が弱点つこうと動いた瞬間にカウンタ―とかがナポレオンの得意わざ。
アウステルリッツとか、普通に相手の動きは間違ってない。ただナポレオンの動きが変態なだけで。
小牧長久手だって、指揮官が池田勝入じゃ無くて織田信長なら家康が追尾しても手遅れで
岡崎落とされてるだろう。 信長は信玄や謙信には這いつくばって油断させ、隙を見てパンツから取り出した凶器を握って襲いかかる。
まさに戦国の悪役レスラーだな。
それでも負ける情けなさ。
戦国の朝鮮人と言い替えてもいいかな?
>>85
アウステルリッツに関しては
ダヴ―がチート能力なのもあるけど >>86
手切れしたのはどっちが悪いとも言えん上(やや信玄謙信都合)実際に戦って負けたのは家康と勝家やけどな 言うて会社や親戚に信長がおるとか言ってるアンチが一番ヤバいけどな
信長sageしてる奴って、研究研究言うだけ、周りと変わらんというだけで、具体的なこと言わないね。桶狭間すら同勢力の戦いとか言い出すしさ。
信長の政策等が他の大名と大差ないってのは、わりともう史学界隈だと常識だから
学術的にサイコパスと認定されてる!
とか言い出すひともいるからだな
サイコパス云々は本郷和人のお友達の心理学者だかなんだかの素人が言ってることやね。
そもそも本郷和人が戦国時代研究の専門家じゃないし。
本郷和人も信長好きだから信長のサイコパス認定は不服みたいだけどw
信長信者から見て本郷和人はお仲間扱いなのか気になるわ
学術的学術的とかいわずに、どう言う風に言われてるから学術的なのか説明しろよ。
>>79
天下=室町将軍(幕府)、天下=畿内
天下布武というのは畿内に足利将軍家の統治を確立させるということ >>96
他の大名とは違うという方が例を出すべきだろう >>98
学術的って専門家の意見なんでしょ?
こちらが出していつものように「素人が〜」とか「自称専門家が〜」なんて言われたらたまらないから、まずは専門家の学術的な御説をお聞きしたいね。 学術的専門家の池上裕子さんは確か、信長は検地すらしてないとか、軍役がないとか素晴らしい学術的な御説を言われていたね、織田信長「人物叢書)で。
>>74
逆に言葉たらずで捏造しているのはお前
> 身内だから逃げ出した
これだけで何がわかる?
完全に正確ではないが本当は
柴田軍は勝家が信長の将の一人を討ち取ったものの負傷し撤退
しかし柴田軍はその後も織田軍を押してついには信長の周りに40人しかいない所まで肉薄した
そこで造酒丞と三左衛門の二人が前線に出て奮闘して敵将の首を取った所で信長が大きな声を出して怒った
ここで身内であった敵は信長の威光を恐れて動きが止まり逃げたのだ
ここまで書かないと何もわからない まぁ普通にどの研究家がどう言ってると答えたところで「信長を馬鹿にするなっ!」と怒り狂い
「そんな研究家はあてにならん!!」とハナから突っぱねるだけなのである
>>102
ちなみにこの戦は信長にとっても重要な戦だった
柴田と林が弟側に回り敵として戦いあったのだから
しかも信長の軍勢はわずか700名
敵は柴田1000名林700名でかなりの接戦だった
森三左衛門可成が初期の武将ではかなり重要な位置にいた
まさに攻めの三左であった
そして美濃の武将の三左を側において高く評価することで美濃の将も武功次第では三左のようになれるとわかり
信長側に回り忠誠を尽くした
例え死んでも森蘭丸のように子を引き立ててくれるのでますます信長の回りには優秀な人材が集まった
木下藤吉郎こと豊臣秀吉もその一人だろう 信長の最大の過失は明智光秀を評価しすぎで信用しすぎたこと
明智光秀の所領は大きすぎ
佐久間を追い出さずに明智の監視役として側において重用していればなんとかなったと思う
>>102
奮闘して形勢が逆転した、鉄砲を恐れたと全く書いてないことを捏造したのはキミなんだよなあ >>103
といって学説を決して出さないのは、学説を知らずにネットでかじった程度だからである。 >>107
どこが捏造なんだよ、ただの推測だろうが
大丈夫か?お前?
形勢逆転はただの表現だ
柴田軍は勝家が信長の将の一人を討ち取ったものの負傷し撤退
しかし柴田軍はその後も織田軍を押してついには信長の周りに40人しかいない所まで肉薄した
ここまでは柴田郡が優勢で信長が危うい
そこで造酒丞と三左衛門の二人が前線に出て奮闘して敵将の首を取った所で信長が大きな声を出して怒った
これで形勢逆転しているだろうが
鉄砲は恐れられて当然だし信長は稲生の戦の前の戦でも何回か自ら鉄砲使い戦を有利にしている
むしろ鉄砲を恐れない奴なんておらんわ >>110
また書いてもない鉄砲を捏造してて草
言い訳ばっかで草
書いてもないことを断定して言ってるどこが推測なんですかねえ >>111
信長公記には鉄砲の記事はたくさんあるんだけどな >>75
桶狭間や天王寺砦の戦いみたいに少数で大軍を撃破した例があるのに
なぜか信長が他と変わらなかったと言い出すアホがいるだけだな ラッキーだっただけとかな
ラッキーならばもっと勝率は良いだろ
ここぞという大事な戦ではほとんど勝ってるんだよな
武田信玄はそういや勝率が他の誰よりもいい割にはあの程度しか拡大できてない不思議。
>>118
弱いものイジメしていただけだから
謙信相手だとズタボロにされるか陣地に引き籠るしかなかったし
たぶん謙信にとっては信玄より一向一揆の方がよっぽど強敵だったろう >>118
その勝率とやらも菅沼が昔コピペしてたのを見たら
金ヶ崎の戦いは、織田軍が金ヶ崎城を落とした後に撤退開始し、追撃も受けずに味方に損害無く撤退に成功 → 信長の敗北
三増峠の戦いは、小田原城攻めに失敗して撤退開始し、北条軍に追撃されて浅利信種が討ち死 → なぜか信玄が勝利もしくは引き分け
というガバガバっぷりだったし >>118
最大4カ国に渡るぐらい領土拡張してたら十分やろ周りも強国やし
信長のバイタリティとそれを支える濃尾の財力が異常なんや >>116
桶狭間は幸運でしかなく天王寺も戦果が誇張されまくってるのでダメです 桶狭間こ幸運も天王寺の戦果の誇張も専門家に指摘されてるんで終了
>>123
天王寺は敵を一万討ち取って下間頼廉と鈴木孫一討ち取ったというとんでもない大本営発表やっとるからね 実際は武将1人討ち取れてないのに鈴木孫一の偽首用意してまで誇張してて人数といい酷すぎる
>>118
信玄の領地は太閤検地とか見る意外としょぼい。
甲斐22万、でこれが親から継いだもの、信濃が40〜60くらい、駿河17万、遠江26万、そして
上野の西半分ですね。
信濃は川中島以北は上杉だし、遠江も南部は徳川。
全部あわせてどうにか100万石くらいしかないんだよな。
これで同盟結んでるの北条のみだから、兵力集中しても20000くらいでしかない。
意外としょぼい。強兵の噂有ったとしても。 >>130
そもそも武田兵が織田兵より強いとは何の資料なんだろうか? 軍鑑や公記にそんな記録はない。でも、織田兵3人を武田兵1人で相手にできるとか言ってたとか、誰かの小説で見た。
織田兵て肉弾的にはそんなに弱かったのかな?
だから鉄砲に比重を織田は特に置いた? >>131
中国なんかだと、漢族は極め付きの弱兵で女真族やモンゴル系民族に野戦で勝った事など
数えるほどですね。
銃器が発達するまで、兵員の素質の差は大きかったみたい。
長篠の戦いでも兵力差は二倍以上って言われてるし。 >>132
モンゴルや金も、泰平に慣れて役立たずになると漢人相手に野戦で負けてる。だから、覇権が成立した後に弱体化したならまだわかる。
ただ織田は当時、武田に決して負けないくらい戦い続けた軍隊だよ。武田が強いのはわかる長尾や北条、徳川とやりあって鍛え上げた精鋭だから。
でも織田も畿内やあちこちで戦い続けた軍隊。
多少の差こそあれ、そこまで隔絶するほど素質に差があったのだろうか。 >>131
軍監にあるのは三方が原のとこに書いてある三河兵5千は上方勢二万に匹敵するだな。 もしそれが事実なら、武田と徳川が組んだら織田を倒して天下取りだな。
尾張兵美濃兵は上方勢じゃないんで
徳川と織田が組んだから丈だが瞬殺されたわけで
三河兵1は尾張兵3は三河物語だったかもしれない、
軍監と違いこっちは自信ない。
>>127
戦績誇張なんていくらでもあるのにド素人丸出しだな
小牧長久手でも秀次と池田輝政も討ち取ったという書状がある
小牧長久手もノーカンなのか?w その弱い兵士でよく中央に出られたり、武田と戦えたな信長。
中央は内ゲバでボロボロ
武田は立地条件による数的有利だっただけだからなあ
信玄が尾張に生まれてたら、信長みたいに飛躍できたのかなあ……。
やはり運と立地?
それがない信玄は最初から無理だった?
>>139
長久手は森と池田って大物2人討ち取ってるし偽首なんか用意してないからね
天王寺の誇張は異常レベル 公記だったかな?
確か下間頼廉の偽首も用意させてたはず。
ただ何であんな誇張したのか不思議ではある。
天王寺は少数で本願寺軍追い散らしているんだから、自分らが勝ってるのに。
大した首が取れなかったのが不満だったのかなあ……。
まあ、勝頼の誇張よりはマシだろ。
長篠の敗戦後に出した手紙で「まあ少々敗戦した程度だから心配するな」なんて出してるんだぞ。勝頼に比べたら天王寺なんてまだ可愛すぎるわ。
『信長公記』も後世に編纂された二次史料だからね
いわゆる『甫庵信長記』とか『甲陽軍鑑』とかと、その点一緒だから
二次史料だけにしかない記述とか、学術的には眉唾も良いところだから
なんか、公記や軍艦の記載についてあーだこーだ
やってるっぽいレスがあるみたいから念のためね
実際は戦果が、はかばかしくなかったからやったのであろうと指摘されてる
実際にそんだけ大本営発表やってるわけで、信長公記の記述も疑うべきだろうな
>>146
甫庵信長記は信長公記を脚色した物
甲陽軍鑑は口伝による創作だらけ
信長公記は歴史のベースになってるのを知らないのか
一緒にしている時点で君が無知だと分かる 甲陽軍鑑なかったら武田の歴史もほとんど消える
歴史のベースとは一体
×信長公記だから信用できる
〇信長公記は史料批判が進んでおり、信用できる部分とそうでない部分が比較的はっきりしている
信長公記と一次史料で整合性が取れれば合ってるしな
長篠なんて信長公記と一次史料で十分把握できる
甲陽軍鑑は不可解な記述と嘘だらけだから整合性が取れない
>>149
二次史料という点で一緒だ、と書いてあるでしょ?日本語わかるかな?
一次史料と二次史料の違いが判らないとか言わないでね >>154
菅沼降臨
信長公記に難癖つけてるだけのガイジ >>152
信長公記の史料批判は首巻だけな
あれは原本に存在してないから
>>154
>『信長公記』も後世に編纂された二次史料だからね
>いわゆる『甫庵信長記』とか『甲陽軍鑑』とかと、その点一緒だから
>二次史料だけにしかない記述とか、学術的には眉唾も良いところだから
>なんか、公記や軍艦の記載についてあーだこーだ
>やってるっぽいレスがあるみたいから念のためね
甫庵信長記の名前だして同列に語るやつが言っても遅いよ
一次史料でさえ噂や戦の損害や勝ち負けは誇張 や嘘がある
信用できる一級史料との違いが分かってないから突っ込まれるだよ(笑) 確かに、>>146は「二次史料というただ一点のみにおいて一緒」と言ってるだけで、
史料批判の進んだものとそうでないものの史料的価値が一緒なんて一言も言って無いから、間違ったことは言って無いな >>145
信長公記にはそんな記述ないと思うが、
少なくとも天王寺のとこには載っていない。 学者が甲陽軍鑑の記述を取り上げたら、一級史料になると思ってる勘違い君の事は前々から指摘されてるよね
だからその学者の論説は何を根拠(出典)にしてるのか説明しろと言っても答えない
今度は二次史料だからと甫庵信長記や甲陽軍鑑と同列にしようとする(笑)
信長公記の史料批判が首巻のみということはないよ
史料批判は別に史料の信憑性を否定する行為でなくて
どの部分がが信用できてどの部分ができないのかを
一次史料等と照らし合わせて明らかにする行為なのね
その意味では信長公記はかなり研究が進んでる史料
>>154
二次史料であっても信長公記を参考に脚色した
甫庵の著作と参考にされた史料なら
参考にされた方が信憑性高いの当たり前やろ?
信長公記に間違いがあった場合甫庵が
それを参考にした部分は間違った上に
さらに脚色入れてるわけだから 『信長公記』も『甫庵信長記』も『甲陽軍鑑』も二次史料
その点では、繰り返すが、その点では、一緒だよ
>>162
全くもってその通り。「二次史料であるというただその一点のみ」では同じ その点「だけは」一緒なだけで
だけど二次史料を脚色した史料に
元の二次史料以上の信憑性はあり得ないわな
>>162,164
信憑性がある一級史料との違いが分からず、二次史料云々や甫庵信長記の名を出して
赤っ恥で後から取り繕っててワロタ
相変わらず中身がない主張だな菅沼 >>161
長篠合戦における史料の照らし合わせ
・信長公記基準+その他史料
信長公記「信長は武田側から見えないように窪地に兵を隠した」
勝頼書状「敵が手立ての失い、一段逼迫してるから乗り込んで信長・家康に本意(討ち取る?)を遂げてやるわ」
信長が兵を隠したことにより、兵力誤認&逼迫しているように見えた勝頼は陣城に突撃し続けた
信長公記基準だとまあ当時の武将の判断(兵力誤認)では有り得る
・甲陽軍鑑基準+その他史料
甲陽軍鑑「織田は10万の大軍だけど決戦するわ」(敵の兵力を過大評価)
勝頼書状「敵が手立ての失い、一段逼迫してるから乗り込んで信長・家康に本意(討ち取る?)を遂げてやるわ」
甲陽軍鑑基準だと勝頼は信長10万(過大評価)の大軍だと知ってるのに、織田が手立てを失い&逼迫しているように見えたと勝頼はガイジになってしまい
後方に10万の大軍が待ち構えてる中、陣城に突撃し続けるという当時の武将として有り得ないガイジ判断になってしまう
他にも穴山は駿河を任せられる大任、信豊はNo.2になってる史実に反して、甲陽軍鑑では穴山と信豊に切腹させるような落ち度があったと不可解な記述があり、内容に信憑性が無い 何が言いたいのかはわからんけど
まさにその手順こそが史料批判
>>167
勝頼が書いている手立てを失って、というのは医王寺山に勝頼が陣取って節所を固めてたら信長は手立てを失ったという意味だろう
実際、信長が攻撃は諦めて後方の設楽が原に陣を構えたという経緯があるのは一次史料からも少し確認できる
信長本人が来ているのを勝頼は知っていたのにその兵力が少ないと誤認するとは思えないな >>169
信長と家康が後詰めとして来たが何もしてこなく対陣している
その続きに手立てを失い、一段逼迫だから、兵を隠して何もして来ない事に対して手立てを失い逼迫しているように勝頼は見えた、だろう
軍鑑の10万は有り得ないけどね >>170
>>>169
>信長と家康が後詰めとして来たが何もしてこなく対陣している
何もしてないわけではない
先鋒を派遣したが進軍もままならず、うまく行かなかったとはっきり細川に書いている
そういう地形だから攻撃は諦めて後方に陣を構えた
勝頼は長篠城一つとるだけでは本意ではないので川を渡って攻撃する決意をした >>171
ガチのアスペかよw
なんで信長の書状を勝頼が見てる前提なんだよ
勝頼側から見たら何もしてこないから手立てを失い一段逼迫してるように見えただろうw >>167
>甲陽軍鑑基準だと勝頼は信長10万(過大評価)の大軍だと知ってるのに、織田が手立てを失い&逼迫しているように見えたと勝頼はガイジになってしまい
差別的用語使うような人には理解できないのかもしれないが、軍鑑にはその理由は勝頼の性格が強すぎる大将だからと書いてあるんだが
>他にも穴山は駿河を任せられる大任、信豊はNo.2になってる史実に反して、甲陽軍鑑では穴山と信豊に切腹させるような落ち度があったと不可解な記述があり
背景を知らない人が読んだら不可解でもなんでもない
落ち度があったとするのはあくまで高坂の視点であって勝頼はどう考えてたかは軍鑑に書いてないから
勝頼は穴山は決戦に反対で早々に撤退した、でも駿河に縁があって実力的にも適任と考えた
対して高坂は無断撤退は許せないと進言した、と想像するくらい
何が不可解なのか >>172
その先鋒の攻撃を受けたのは節所にいる武田軍なんだが 勝頼からみたら
武田は医王寺山を本陣として寒狭川付近に要害を構えていた
↓
織田の先鋒が攻撃してきたが難なく撃退
↓
信長が手立てを失ってずっと後方に陣構えた
↓
長篠城一つとるだけでは本意ではないので寒狭川渡って攻撃する決意をした
攻撃を決意したのは長篠合戦前日ではなく、寒狭川渡った時
>>173
軍鑑にはその理由は勝頼の性格が強すぎる大将だからと書いてあるんだが
論点反らしてるけど10万の大軍が控えてる陣城に突撃する事自体有り得ないからな
>落ち度があったとするのはあくまで高坂の視点であって勝頼はどう考えてたかは軍鑑に書いてないから
その高坂は長篠にいないしw
高坂の献策は木曽にまで及ぶ未来予知だしw
創作の度が過ぎる >>175
>織田の先鋒が攻撃してきたが難なく撃退
細川の書状だと攻撃するのを断念だけど、難なく撃退?
勝頼の書状にも何もしてこないと書かれてるから両軍照らし合わせは出来てる
勝手に作るんじゃないw
>長篠城一つとるだけでは本意ではないので寒狭川渡って攻撃する決意をした
いや敵が手立てを失い一段逼迫としか書かれてないよ >長篠城一つとるだけでは本意ではないので
そもそも長篠城さえ取ってないよねw
仮に馬防柵無し、陣城無しでの正面衝突の野戦やったら、武田軍は織田・徳川連合軍に勝利できた? 織田の兵士はそれだけ弱兵?
>>173
四番手としてちゃんと戦った武田信豊の切腹させられるような落ち度は何ですか? 織田は普通に精兵だぞ
自分たちの地元を守る戦では無いから士気はどの程度か不明だが
信長は付城をよく築くからその陣夫の比率が高いだけじゃね?
武田は金堀衆を用いるけど信長みたいに大規模な付城なんて作ったことないから
それに荷物運び等の陣夫は期間すぎたら帰れと命じてたんだったか?
陣地構築を甘くみてたんだろう
>>181
織田兵は相当の弱兵だから武田も挑んだんじゃないの? 後詰決戦を敵地でやるくらいだから、織田兵は相当弱く武田側に認識されていたとしか思えないが。 まあ信長公記素直に読むと織田方が塀を隠して配置し
武田は気が付かず渡河前進して窮地に陥った
甲州軍学売りたいのにそれじゃ都合が悪いので
武田はめちゃくちゃ強くて正面から戦えば負けない
と無理のあるフォローに切り替えたのが軍鑑
現実問題として上方に本願寺と言う爆弾抱えて、自分の領地でもない三河の山奥の小城を救援する為にガチで攻めて来るなんて勝頼からしたら理解出来なかっただろ
ノブは武田絶許、武田絶56マンと化していた訳だが
>>176
>論点反らしてるけど10万の大軍が控えてる陣城に突撃する事自体有り得ないからな
逸らしてないよ
勝頼が強すぎる大将だから無謀な戦に挑んだと書いてある
>その高坂は長篠にいないしw
>高坂の献策は木曽にまで及ぶ未来予知だしw
>創作の度が過ぎる
君、軍鑑読んでないだろ
高坂は参戦した他の武将から聞き回ったと書いてあるんだけど
木曽の領替の件は創作の可能性が高いが、一方で長篠後から木曽が警戒されてるのは実は史実なので完全な創作とは限らない >>177
>細川の書状だと攻撃するのを断念だけど、難なく撃退?
武田が節所にいるので攻撃はうまく行かなかったと書いてある
>いや敵が手立てを失い一段逼迫としか書かれてないよ
その書状にその後、こちらから突撃して本意を遂げると書いてある 前提として軍鑑は歴史書ではないからね
諫言書という性格も踏まえず、取り敢えず軍鑑だから否定するというのは否定のための否定でしかないわな
>>187
だから10万の大軍が控えてる陣城に突撃するのは当時の武将の正常な判断なのか聞いてる
武田家臣は悪くない、勝頼がキチガイだった、勝頼にすべての責任を負わせたいって筆者の創作なのではって話な
聞きまわった?
他にも穴山、信豊が悪いと言ってた奴がいたってことか?
なのに処罰無しで大任
信豊なんて何の落ち度があったんだ?
伝聞の伝聞を筆者が書いてるわけだから
高坂が自分が凄く有能だったと誇張創作してるのを聞いた書に信憑性はないよ
会話形式の長ったらしい軍記物語な >>188
>>175の君の主張
>織田の先鋒が攻撃してきたが難なく撃退
細川書状には、「進撃させたが通路が険しくうまく行かなかった所、かえって生捕りにできた。根切は眼前である。」
攻撃したとも撃退されたとも書いてないぞ?
進軍したが通路が険しいと書いてあり、かえって生け捕り(武田を設楽原に誘引)にできた。根切りは目前と喜んでいる
そして、勝頼の書状と照らし合わせても勝頼の書状には「信長・家康が後詰めとして来たが何もしてこない」と書かれてる
>長篠城一つとるだけでは本意ではないので
本意の前が抜けとるぞw
「信長・家康の両敵ともにこの度、本意(討ち取る?倒す?)を遂げることも、案之内に候(思いのまま、計画通りと楽観的)
長篠城一つ取るだけでは本意ではないとどこに書かれてるんだ?
むしろ長篠城さえ取ってないだろw
文全体で読まずに都合の悪い部分を消して部分で抜き出し、そこを拡大解釈する癖なんとかして貰えないかな?w >>191
>細川書状には、「進撃させたが通路が険しくうまく行かなかった所、かえって生捕りにできた。根切は眼前である。」
それ前と後が別の日付
寒狭川渡る前の攻撃はうまくいかなかった
勝頼が寒狭川渡った後にかえって包囲殲滅できるようになった
>長篠城一つ取るだけでは本意ではないとどこに書かれてるんだ?
織田徳川は長篠城から離れた設楽が原に陣取り攻撃を仕掛けるのを止めた時点で、勝頼は長篠城を力攻めか兵糧攻めするか寒狭川渡って織田徳川に攻撃するかの選択肢を与えられた
寒狭川渡るのを選んだ時点で勝頼が長篠城一つより決戦を志向していたのは明らか >>190
甲陽軍鑑の信憑性を語る以前に君は軍鑑読んでないじゃないか
頭から疑う前にしっかり読んでから書き込んだらどうだ? >>192
別の日付じゃないよ
通路が険しいと、かえって生け捕りにできた。根切りは眼前は同じ日付
その前後に攻撃云々も撃退も書かれてない
もちろん勝頼の書状にもな
>長篠城一つとるだけでは本意ではないので寒狭川渡って攻撃する決意をした
勝頼書状の全体の文な
信長・家康が後詰めに来たが何もしてこない。
敵が手立てを失い、一段と逼迫してる有り様ななので、こちらから敵陣に乗り込み
信長・家康の両敵ともにこの度、本意(討ち取る?倒す?)を遂げることも、案之内に候(思いのまま、計画通りと楽観的)
長篠城もまだ落ちてない状況はスルーか?w
「敵が何もして来なくて手立てを失い、一段と逼迫してる有り様だから」
こちらから乗り込んでやると進軍理由は書かれてる
どこに長篠城一つ云々は書かれてるんだ?w >>193
10万の大軍が待ち構える陣城に突撃し続けることが当時の武将の判断でまともなのか何回も聞いてるんだけど?
なんて論点を逸らし続けるんだ? 信長公記の作者・太田牛一は主君の信長を悪く書くことができないし口伝で書いた部分もあるから信長公記は手放しに信用できるものではないと呉座勇一氏は指摘してるな
んで今問題になってる記述の何がどう間違ってるとあなたは考えてる訳?
>>194
>>>192
>別の日付じゃないよ
>通路が険しいと、かえって生け捕りにできた。根切りは眼前は同じ日付
>その前後に攻撃云々も撃退も書かれてない
>もちろん勝頼の書状にもな
酷いな、長篠関連の本一冊でも読んでたらそんな間違いはしないぞ
細川書状には5/18に先鋒を派遣したが、敵が節所にいて成功しなかった
合戦前日5/20(勝頼が寒狭川渡った後)にかえって包囲殲滅できるようになったと書いている(=酒井別働隊動かすのも決まっていた)
君は理解してないみたいだが、信長はしっかり状況判断できてるわけだ
>信長・家康が後詰めに来たが何もしてこない。
何もしてないわけではなく、上記の通り勝頼が寒狭川渡る前は先鋒を派遣したがうまくいかなかった
勝頼からみたら織田が本気で長篠救うつもりなら後方の設楽が原に陣取る必要はなく、全軍でさっさと攻撃すればいい話
そうしなかったのは武田方に地の利があったから
>長篠城もまだ落ちてない状況はスルーか?w
スルーしてないよ
長篠城を犠牲出して落とすより織田徳川との決戦を志向したと書いてるだろ >>195
軍鑑に書いてあるだろ
勝頼は強すぎる大将だから無謀な戦に臨んだと
それに勝頼が10万を把握できていたかは軍鑑にも書いていない >>198
18日に派遣したと書かれてるが攻撃したとも撃退されたとも書いてない
通路が険しくうまく行かなかったと書かれてるだけ
君の主張はこれだろ?
>織田の先鋒が攻撃してきたが難なく撃退
前哨戦があったかのように書いてるのが始まりな
・細川の書状には通路が険しくうまくいかなかった所、かえって生捕り(武田の設楽原誘引)にできた
・信長公記にも前哨戦の記載無し
・敵側の勝頼の書状にも信長・家康が何もしてこないと前哨戦否定
信憑性がある一級史料の照らし合わせすりゃ答えは出るだろうに
>>175の君の主張
>長篠城一つとるだけでは本意ではないので寒狭川渡って攻撃する決意をした
↓
>長篠城を犠牲出して落とすより織田徳川との決戦を志向したと書いてるだろ
あら、こっちも主張が変わってるね >>199
10万が後付けと言うなら強すぎる大将も勝頼に全部責任負わすだけの後付けって言われても仕方ないよねw
10万と通説の三倍近い出鱈目な上に、穴山・信豊の切腹の件といい、高坂の献策という未来予知といい軍鑑の内容は出鱈目創作だらけだよね >>200
>>>198
>18日に派遣したと書かれてるが攻撃したとも撃退されたとも書いてない
>通路が険しくうまく行かなかったと書かれてるだけ
うまくいかなかった=撃退された、で変じゃないだろ
衝突があったのも確かだし
つまらない揚げ足取りやめたら?
>前哨戦があったかのように書いてるのが始まりな
>・細川の書状には通路が険しくうまくいかなかった所、
ちゃんと細川の書状全文書いてみなよ
平山氏の本にでも書いてあるから簡単だろ
前後切り取りでデタラメなこと書くのやめたら?
>・信長公記にも前哨戦の記載無し
>・敵側の勝頼の書状にも信長・家康が何もしてこないと前哨戦否定
勝頼は織田徳川が何もしてこないといつどこで書いてる?
>>>175の君の主張
>>長篠城一つとるだけでは本意ではないので寒狭川渡って攻撃する決意をした
>↓
>>長篠城を犠牲出して落とすより織田徳川との決戦を志向したと書いてるだろ
>
>あら、こっちも主張が変わってるね
なんも変わってねーよ
訳のわからん揚げ足取りやめなよ 軍鑑読んでない馬鹿
「高坂は参戦してないのに何で穴山と信豊に落ち度があると言ってるんだよ」
「勝頼は何で無謀な戦に臨んだだよ」
軍鑑作者
「高坂は阿部加賀守から合戦の様子を聞いた」
「勝頼は老臣の言うことを聞かず、強すぎる大将だから無謀な戦に臨んだ」
馬鹿に備えてる軍鑑の作者乙だな
>>202
げき‐たい【撃退】
攻めてきた敵などを、逆に攻撃して追い払うこと。
日本語勉強しようなw
>ちゃんと細川の書状全文書いてみなよ
君が全文で書かずに、節書云々の部分抜き出しにから撃退とか書き出したのが始まりなw
>勝頼は織田徳川が何もしてこないといつどこで書いてる?
勝頼書状全文見ような
>なんも変わってねーよ
長篠城一つだけじゃ本意じゃないからと長篠城+決戦で信長家康の倒す
↓
長篠城落とすと犠牲が出るから、代わりに決戦
明らかに変わってるねw >>203-204
史料の照らし合わせはせず、都合の悪い部分は後付けといい、自分の都合の良い部分は史実というダブルスタンダードw
都合の良い部分だけの抜き出しから拡大解釈上と君の性格が良く出てるわw コラムの糖尿病の話題の記事でかなり断定的に
安土城で手足の痺れを訴えたとか
書かれてるの観たことあるけどあれ出典は
なんなのかね
>>207
糖尿はともかく高血圧はあり得る。
酒は飲まないが塩分過多で、怒りやすいし。 >>206
細川宛書状は5/20付
その書状に5/18に鉄砲衆を武田包囲陣に派遣したが進撃がままならなかったと書いてある
書状を書いた20日時点では勝頼が川を渡り要害の地から出ているからその地形がかえって包囲殲滅できるようになった、と読む
>>191の読み方は有り得ない >>210
>織田の先鋒が攻撃してきたが難なく撃退
この読み方が一番有り得ないよな
撃退だとお互いが攻撃しあう前哨戦になってるわけだけど
部隊を派遣したがうまく行かなかった
うまく行かなかったことが節所で通路が険しかったため
部隊を派遣しても戦闘には至らず睨み合いなどいくらでもある
部隊を派遣したら必ず戦闘になると思ってるのはなぁw
そして武田の攻撃により撃退されたとはどこにも書いてない
うまく行かなかっただけだと途中で諦めて帰ってきたとも取れる
武田からは偵察に来ただけに見え、勝頼の書状にも信長・家康が後詰めに来たが何もして来ないにも辻褄が合う
敵を撃退しているなら書状にも戦果だと誇張をしているはずだがその気配も勝頼書状にはない
信長公記にも前哨戦は書かれてない
他の一級史料と照らし合わせて見ても前哨戦みたいのがあったなんて書かれてないからね 勝頼はマジで何考えて突撃したんだ……。
敵地。城攻め失敗。遠征の疲労。士気。地形。
どう見ても全部武田側に不利でだれか犠牲にして逃げるのがベストだろう。
信長みたいに金ヶ崎の決断ができなかったのか。
戦果なしで帰れば只でさえ不安定な勝頼政権は崩壊する
書状見ても彼我兵力差に気がついて警戒した様子はない
要は敵が待ち構えてると気付かずに
勝てると思って前進しちゃったわけだ
でもそれだと馬鹿みたいだから
わかってたもん!重臣は有能だから止めたもん!
勝頼がバカだから気付かんかったとも言えんので
強すぎるから勝てるって聴かないんだもん!
ってことで不思議はない
>>211
そもそも18日に設楽が原到着で陣地築いて、その日に節所でと細川に書状出してるから
先遣隊が大物見する程度ならともかく前哨戦行うほどの時間的余裕はまずないと思う。 >>215
18日に到着したのはあくまで信長本人で、佐久間達の先鋒はもっと前から設楽が原近辺に来てたかと 敵の近くなのに分散して移動するなんてしないだろうし、
もし分散していたのなら武田は何で先に到着していた部隊に攻撃しかけないんだってなる。
防御布陣してたら信長逼迫してと勝頼が勘違いして攻撃してきただけな
>>217
分散じゃないよ
先鋒は先に到着して信長本陣は最後に到着するのは当たり前ということ 金ヶ崎も言うほど戦果ないけど、信長は逃げて体制を再建してから挽回した。
勝頼も逃げて挽回したらいい。
>>219
一日遅れで到着なら十分分散だよ。
仮に一日遅れでも実際の距離はそれほど離れてるわけじゃないけど。
あと信長公記信じるなら、
滝川羽柴丹羽らが有海原に陣敷いたのは織田本隊が陣をしいた次に出てるから、
前日どこにいたかはともかく設楽が原到着は織田本隊と同じで陣構築も同様だと思われる。 >>209
睡眠時間短くて朝早く起きるのは完全に高血圧症の症状
仮に本能寺がなかったとしてもそんなに長くは生きられなかったと思う >>221
織田の先鋒が設楽が原に先に着いていたとして、長篠城攻撃中の武田軍が川を渡って設楽が原へ攻撃しに行くとは思えないけどね
信長本人がいる確証もないのに 信玄は長篠城を取っているのだから既に長篠の戦いには勝利しているよ
長篠の戦場に信玄がいたら、という話じゃね?
知らんけど。
茶道=政治決着
香木=戦争決着
信長→蘭奢待要求
公家→信長が乱じや帯よこせとは・・・
帯→董 承 参照
信玄時代にも長篠城攻めてるが同族による説得開城だからな
そこから家康が取り返し城を改修
地形を知っている菅沼正貞は内通の疑いで投獄
城主には人質ころされて絶許マン奥平信昌が入ってるから開城は無理
信玄なら少なくとも、後詰が来てる段階で逃げてた、あるいは来たらしんがり犠牲にして逃げたんじゃないか?
>>220
金ヶ崎の信長
挟撃を恐れて退却を決断し追撃による重臣の死亡もなく帰還
砥石城の信玄
退却するも村上軍の追撃を受けて重臣の横田高松などが死亡
三増峠の信玄
退却中に北条軍に追撃され重臣の浅利信種などが死亡
長篠の勝頼
織田徳川軍に挟撃され追撃を受けて数多くの重臣が死ぬ大損害
信長アンチ「信長は運と立地だけで他と変わらないんだよ!」 兵力劣勢で大軍を打ち破った例
信長
桶狭間の戦い、天王寺砦の戦い
信玄
無し
勝頼
無し
信長アンチ「信長は運と立地だけで他と変わらないんだよ!」
信玄は確か塩尻峠で小笠原長時を寡兵で破ってたような。
桶狭間 織田 5000(防衛兵含む?) vs 今川 25000
天王寺砦 織田 3000と籠城兵 vs 本願寺 15000
塩尻峠 武田 3000 vs 小笠原 5000
塩尻峠が大軍を打ち破った例???塩尻峠の2000程度の差なら他の大名でもいくらでもあるな(笑)
桶狭間の今川は一万五千くらいが妥当だろう
まあそれでも兵力差一万だが
塩尻峠の小笠原長時は敵に地の利があり小荷駄とか差し引けばほぼ互角だろうに良く攻めたなw
武田が村上に負けた後だから行けると思ったのか
>>234
15000は流石に少なすぎでは?
当時の今川は70万石から80万石はあるし。
領国周辺に敵対勢力もないのに抑えを考えても2万はいけるのでは? >>235
言葉足らずでスマン
小笠原長時の兵数で小荷駄を差し引いてるように、今川も小荷駄を差し引いた兵力を勝手に出してしまった
侵攻側は小荷駄を多く含む兵数だが、防衛側は自領だから周辺の城の備蓄米や現地調達がしやすいので
小荷駄があまり要らない兵数だからそのまま比べるのは不公平かなと思って勝手に差し引いた 北条氏康や毛利元就なんか、万単位の差をひっくり返してるしな。
>>216
先陣が先に到着して長篠までの狭い道で情報封鎖していれば、後から遅れて来る信長本隊の数を見た偵察は勝頼本陣に情報を持ち帰られない
勝頼が情報を掴めなかった理由にはなるね >>238
見間違い自体はあり得ると思います。
しかし、1万も見誤るなんてあり得るでしょうか?
仮に見誤っても、28000と15000 >>239
自分が言いたいのは偵察が兵数を見誤るじゃなくて、先陣が情報封鎖して偵察が情報を持ち帰れないようにするだから
長篠城に行ったことあれば分かるが設楽原が少し拓けてるだけで、あの辺は崖と窪地ばかりだから
今は第二東名でかなり地形が変わったみたいだが >>237
吉田郡山城の戦いも厳島の戦いも攻城中の敵が援軍を得ての勝利(どっちも毛利が兵力劣勢)
今はどっちも研究がすすんで兵力差が大きかったのかは疑問視されてはいるが 陶晴賢が厳島みたいな小島の狭い山に20000もの大軍で布陣する程
馬鹿に見えるか?主人殺しの結末に選んだのが、厳島で毛利に敗れる事
だつた。
駿河のド灸戦艦(東海一の弓取り)今川義元が備えを怠ると思うか?
織田信秀もコテンパンに負けたから帰蝶と縁組したんやろ
尾張には美濃や駿河と戦う力は最初から無い。
>>229
前提に武田軍による敵兵力誤認があるからそこが変わらないと何とも言えない 勝頼が信長本人が参戦しているのを知っていたのは鳥居強右衛門の証言か?それとも諜報か?
いずれにしても兵力誤認にしても限界があるし、不確定なら慎重になるのが普通
勝頼が馬鹿なのは変わりがない
>>241
吉田郡山城の戦いは誇張で尼子は実際のところ積極的に攻めた形跡が見られない
厳島は元就が主体の戦ではなく兵力差もほぼ変わらないってのが今の研究成果
元就の脚色も相当酷い >>246
当時安芸と石見・備後の一部の毛利と、石防長などを支配する陶に差が無いとは流石に無理がありすぎでは? >>245
あの手紙見る限りは勝頼くんは自信満々としか思えない。 信玄曰く勝頼は「聊爾」
信玄公はちゃんと息子の未来を危惧してたんだな
>>250
だから、当時の毛利の勢力は安芸と備後の一部でしかないよ。
対する陶は、周防長門石見、豊前筑前に広がり動員兵力が全然違う。
陶20000、毛利3000くらいって言われてるのでは? >>243
戦争は究極のドタバタですからね、大軍でも奇襲で大混乱に成った例は多いよ。
問題は、厳島は孤島で逃亡出来なかっただけでしょ。 >>251
それは軍記物の陰徳太平記そのまんまの兵力差
今は厳島合戦再考等でも指摘されてるが見直しがなされてる ほぼ周防衆vs安芸衆の戦いなので戦力差そんなになかったんでは?ってのが最近の説だね
>>256
安芸15万石。
周防長門36万石。
備後の毛利軍は尼子を、陶も石見を尼子の守りに残したとしても、5000は差がある。九州の軍が参戦してたのかどうかは不明だが、参戦してたならさらに差は広がる。 >>256
山口県史でも見直しがなされてるらしく、陶方は一万に満たなかった、毛利側は五千を遥かに超えていたとしてるみたいね
研究史的にこの合戦に元就が直接的に関わってたことも否定的だったり実像はこんな感じだろね 毛利軍5000てどう集めた。
石高的にギリギリだが、根こそぎか?
>>236
個人的にこの発想がまずありえんと思うんだが。
今川軍に非戦闘員が多かったって言ってる奴たまにいるけど、戦国時代真っ只中で
戦争経験全くない人間が兵糧輸送だけに従事するって現実味があまりにもなさすぎないか?
豊臣政権の九州征伐や小田原征伐、徳川政権の大坂の陣なら100歩譲ってわかるが、
桶狭間の戦いなんてそもそも隣国同士の権益争いだし駿府から1週間もあれば余裕で付く場所にわざわざ荷駄を駿府から持ってくるの?
尾張東部の鳴海までは今川領なんだから全部戦闘員にして領国街道沿いで飯作らせたほうがよほど効率的
仮にさらに100歩譲って「今川軍には兵糧輸送しかしない非戦闘員がいた」として、そいつらの目的ってどう見ても大高城への兵糧搬入だと思うが?
でも実際に大高城に兵糧入れたのは当時松平姓の徳川家康だろ?なら非戦闘員は常識的に考えて家康が連れてったろ?
というかその家康が前日から丸根砦攻撃してる時点で非戦闘員しかいないわけないわな。
仮に今川義元が非戦闘員しか連れてなかったなら戦の知らない無能バカと言われても仕方ないと思うわ。流石にありえない >>258
この時代の安芸って精々20万石だと思うし、毛利は国人一揆の盟主から主君にだよ。
5000の動員は無理じゃないだろうか?
現実的に3000だね。
それと、陶の軍勢がそんなに少ないならその後の周防長門争奪戦が理解できなくなるよ。
毛利が一方的に攻め、陶は保々防戦できずじりじりと領地削られて滅亡だから。
主力を根こそぎ動員したら壊滅って考えないと理解できない。 >>261
個人的にどう思うかは自由
でも研究ではそうではないというお話 >>260
武士が領内から戦場に行くまでの食料を自弁で持っていくのはどの時代も変わらない
武士が戦場まで重い甲冑を着ながら槍を持ち食料を担いで行くと戦場にいっても疲労でまともに戦えない
だから荷物を持つ物と従者が必ず付き従っていた
それはどの地方の武士も変わらない
豊臣政権下においても無料で兵糧を支給したことはない
秀長は現地で兵糧を高く売り付けようとして大名に苦情を言われたのは有名な話
秀吉の米もほとんどが借米という形で利子をつけて後で返さないといけなかった >>263
それって別に非戦闘員じゃないよな?
重い甲冑って言うけど足軽クラスの甲冑ってそんな重いの?
豊臣政権ならわかるが、今川家における隣国同士の争いにわざわざ従者が兵糧持っていくだけのためについていくの? 厳島の戦いは陶vs毛利じゃないって話でしょ
陶の派兵自体が毛利の伸長を抑えるためのものじゃなく
村上水軍が敵方の色を立てたのを討つもので
毛利はそれに援軍送ったというやつ
なので国境地帯が毛利の領国化したわけではなく
それはそのあと
>>260
ゲームを想像してるのか知らないが数万の軍勢が動員された戦でも戦うのは数千の戦闘員
石高×0.03も非戦闘員の陣夫含んだ豊臣政権の軍役でしょ
二万五千が全員戦闘員だと思ってるならそれこそ有り得ない >>266
むしろゲームを想像しているのは陣夫=非戦闘員って考える方やろ
この時代は刀狩りもしてない戦国時代真っ只中。
大体桶狭間の戦いで今川についた服部左京が熱田で乱取りしようとしたら
町衆にボコられて撤収してる世紀末
非戦闘員だからすぐに逃げたとか完全に現実的じゃない。
陣夫は大高城の兵糧搬入に行ってると考えるのが自然 >>数万の軍勢が動員された戦でも戦うのは数千の戦闘員
大体これのソース何?こんなの言ってる学者いるの?
>>267
むしろ信長の部隊が桶狭間に着いたら義元の馬廻り300騎以外全員逃げ出したのに全員戦闘員?
戦闘員とは戦わずして逃げ出す者なのか? >>268
信長公記見りゃ数が少ないの分かるだろ
打ち取った首も数十〜数百ばかり
むしろ陣夫の存在を否定する学者がいるのか? >>267
>陣夫は大高城の兵糧搬入に行ってると考えるのが自然
二万五千の兵糧を支える陣夫たちが、たかたが数百しかいないだろう籠城兵のために全員集結したのか
むしろ小荷駄などの陣夫は前線に混じってはならないという当たり前のことも知らないのかな?
侵攻時は一番後ろ、退却時は一番前という話もしらないのかな?
軍役とか決まりが乗ってる史料見たほうがいいんじゃね? 主力となる侍などの戦闘員は全体の極一部
その次に位置する武家奉公人は足軽身分は戦えるが中間・小者・荒子は基本戦わない非戦闘員
小荷駄などの陣夫は農村から年貢免除と引き換えに来る奴も上の非戦闘員の武家奉公人が兼ねることもあり様々
全員が戦闘員だと思ってる人がまだ戦国板にいるとはなぁ
新規で来た人かな?
>>264
隣国と言っても駿河から尾張までの距離は遠征レベルやん
大高城救出だけならともかく大高城救出後に義元が駿府に帰らずに前進させてるってことは尾張侵攻が目的でしょ
今川軍全体の兵糧と兵糧運びの人員を三河や街道沿いに全部負担させたと?
そりゃ元康が裏切るわけだ
そういう兵站を無能バカと呼ぶ
120万石とも言われる武田の西上作戦の動員数は25000〜27000+北条援兵3000でしょ
これは小荷駄含む数字なのに今川は25000全員戦闘員だったと? 参加した陶軍の面子を見るに2万は明らかに多い(動員だけはしてるにしても)
その他の方面にも兵を置いていて宮尾城の攻略に当たっていたのは8千〜1万程度?
桶狭間の場合想定外の攻撃で今川軍が大混乱に陥ったから散り散りになっただけでしょ
長篠の戦いの武田の動員数は一万五千
本土防衛に一万残してきたんだっけか?
合算すると二万五千
明らかに武田のほうが石高多いのに今川と同じ数字
非戦闘員で水増ししてないと合わない
そもそも桶狭間の今川の兵数二万五千は旧陸軍参謀本部が豊臣政権下の軍役の石高×0.03から算出した数字
その算出に用いた豊臣政権下の軍役自体が陣夫含む数字なんだから最初から答えは出てる
>>272
現実には、前線戦闘員の支援部隊もいるしね。
こういうのさ、ガンダム世界で考えればわかりやすいかと。
戦闘はモビルスーツ同士だけど、最新鋭は精々10%とかしかいない。
だから3%でもそれなりの大損害だし、5%死傷なら一軍戦闘員の半数撃破とかの感じ。
10%なら、一軍戦闘員全滅で味方の拠点まで敗走して部隊再編制とか。
おおざっぱに、戦闘員50%、その半分が予備、残り半分の25%の更に半分が一軍戦闘員
とかそんな感じ。 >>270
その陣夫が非戦闘要員だというソースは?
農民だから非戦闘員?農民が刀や銃持ってる時代ですけど・・・ >>269
公記ちゃんと読んでるのか?
今川軍が逃げ出したのは総大将たる今川義元が討死したからだぞ?
むしろちゃんと読んでいればわかるが、義元の馬廻り300に伴われて義元自身が逃げている。
これは危機を感じて逃げようとする総大将を守ろうと旗本が反射的に動いたのだろうが、それ以外の軍は義元討死とか逃げた形跡はない。
>>271
丸根と鷲津が落ちてるのに大高城は前線ではない?
そもそも桶狭間の今川軍は大高城の兵糧搬入が目的で、その任務は家康が全うしている。
逆にそれこそその任務についたのこそが陣夫で義元本隊に留めて大高に陣夫送らないなら今川義元は馬鹿じゃね? >>273
2万5千の兵全部駿河から集めてるの?違うよね?
そもそも2万5千だったっていう数自体が怪しい。もっと多いよね。
当時は戦国時代で遠征が主となる豊臣政権や徳川政権とは全く異なる。
ましてや桶狭間前の今川領国は非常に栄えていて義元死後の騒乱とは無縁だったわけだし。
確かに豊臣政権や徳川政権の話を言うのであれば兵站の概念は重要だ
近畿から九州まで行くのに兵糧整備しなきゃそら餓死する
戦争が既に少なくなってきているし前線以外は安全だから純粋な非戦闘員が増えるのも無理はない
でも桶狭間の今川軍は一番遠くて駿府〜桶狭間、沓掛城までの距離で日数にして5日ほど
三河や遠江から集められた兵士などは3日もあれば桶狭間につく。
その状況で軍の大半が非戦闘員なんてあまりにも荒唐無稽。
しかもなぜか織田軍は「防衛戦だから非戦闘員がいない」とか言い出す
>>272
その身分階級が明確化されたのは早くても豊臣政権の話だが?
なんで桶狭間という1560年戦国時代の真っ只中に戦乱がほぼない豊臣政権の理屈をあてはめるんだ?
これが全く意味わからん。むしろ豊臣政権と同じように今川義元が運用していたなら暗愚な武将という評価は避けられない。
太閤検地の石高で織田今川の兵士数を無理やり割り出そうとする奴もいるけど
尾張は織田信長の勢力が安定して以降急速に発展し、
反対に駿河遠江は今川義元の死後しばしば戦場になったことも忘れてる。
桶狭間まではこれが逆だったんだから太閤検地で割り出した石高から導く兵の数より今川は多く織田は少ない。 明治時代のあとから適当に類推した太閤検地の万石250人よりも
1581年に明智光秀が定めた家中軍法の方がよほど正確だ。戦国時代真っ只中に定められた軍法だからな
その光秀の軍法によれば100石につき軍役6人だ。みんな大好き太閤検地の石高で割り振った今川の石高は最低でも70万石
これをあてはめれば単純計算で4万2千には動員できる仕組みだ。実際、滅亡寸前の朝倉義景(朝倉景鏡、魚住景固ら重臣からも軍役拒否)が2万の軍を動員できていることから
考えても、今川家全盛期の今川義元(しかも周囲と同盟中)がたった2万5千ぽっちしか動員できなくて、しかもその大半が非戦闘員とか荒唐無稽な空想論としか思えない。
(ちなみに太閤検地によると越前は50万石で、明智光秀家中軍法をあてはめると3万を動員可能。しかし義景が実際に率いた兵は2万だったのだから単純計算で1万がサボったことになる。)
>>277
豊臣政権における戦争は大きくわけて四国征伐、九州征伐、小田原征伐、奥州仕置、文禄慶長、会津征伐(家康総大将)、関ヶ原の戦いがあるが
四国征伐以外はいずれも全て遠征作戦で、かつ豊臣政権の頃は戦争がほぼなくなっていた時代だからその軍役はかなりゆるい。
時代が更に下った徳川政権の大坂の陣では、全国各地から兵を大動員しているが徳川氏傘下の勢力を含めて石高から比して兵の数があまりにも少ない。
これは戦乱が終わり政局が安定化して軍役を軽減する傾向が全国であったからであろう。
翻って桶狭間の戦い当時は戦国時代の真っ只中であり、この時点で既に豊臣政権、徳川政権の動員軍役より遥かに重いことは容易に想像できる。
加えて最大1週間もあれば到着するような場所で戦争するんだから非戦闘員が軍の大半を占めるなんて馬鹿馬鹿しいことが起きるはずもない。
仮に軍の半分が非戦闘員だとして(これも大概アレだが)、最低でも2万人〜1万5千は純粋な戦闘従事者だろう。
今川軍の戦闘員が数千ぽっちしかいないなんてのは桶狭間で今川義元が敗死した結果から逆算しただけの事後孔明だ >>283
実際に国をカラッポにすることはないと思うが
それは軍を動員する勢力の外交状況によるだろう。
当時の今川が国防に軍の大半を割くような状況だとはとても思えない そろそろ「織田の方が兵力は上だった」とか言われそう
ずいぶん昔は駿河、遠江、三河で4万が通説で非戦闘員が1万5千くらい
と云う事で2万5千が最近では書物に書かれています。
昔最初に清洲城に行った時は信長の舞(敦盛)の人形と共に今川4万とかかれていました。今は閉鎖して見れませんけどH元年に建った新築の美しい城でした。
>>269
ID:QdPR6/Vzが長々と言ってるが
発端は>>233の今川軍二万五千という旧陸軍参謀本部が算出した数字
その算出に使ったのは豊臣政権下の軍役で陣夫などの非戦闘員を含んだ数字
だから陣夫を差し引いたと言ってるのに>>260で
>尾張東部の鳴海までは今川領なんだから全部戦闘員にして領国街道沿いで飯作らせたほうがよほど効率的
と訳のわからない なろう系兵站論を語りだし
現在では二万五千は間違いで四万二千が正しいと言いだす始末
今度は四万全員が戦闘員だと馬鹿げた話をしだすのか?w >>287
その説でも非戦闘員がかなりを占めてるから今川軍が戦闘員ばかりだったって話にはならないからな
>>273>>276の武田みたいに石高が今川より多いのに動員数が少ないから旧陸軍が二万五千に見積もってそれが今は通説となったんだよな 人口=町の発展度で考えるんだそしたら動員上限が解る。
やっぱり一条のお膳立て坊主は伊予におるのか?
興福寺は弟の方?どちらにせよ密教弥勒(666)やろ
兵数なんてどこまで行っても推測だよ
着到状の原本がまとめて残ってたりしたら別だけど
その場合も全ての申告に嘘がないという前提でだ
経済的な上限求めるのにはあまりに荒唐無稽な
軍記物の記述を排除できるという意味はあるけど
実際の合戦場での兵数を解明する役には立たない
実際上限通りに動員するわけでもなきゃ
留守居や押さえの数もわからないからね
>今川軍が逃げ出したのは総大将たる今川義元が討死したからだぞ?
まーた出鱈目言ってる
信長が到着してかかれと命じたら今川軍は水を撒くるが如く後ろへ崩れ、兵が
持っていた・身に付けていた物が散乱し義元の輿さえ置いて逃げ崩れたと書いてあるのに
>でも桶狭間の今川軍は一番遠くて駿府〜桶狭間、沓掛城までの距離で日数にして5日
大高城を救出して帰るだけの防衛戦ならそうだな
だけど義元の動きは大高城を救出後に駿府に帰らずに前進してるから目的は尾張侵略
駿河からの遠征軍になるわけだから5日だけで済まず、これから敵地に乗り込むなら兵站が必要になるって話を理解してないからそうなる
>その身分階級が明確化されたのは早くても豊臣政権の話だが?
明確化されなければ存在しないと?
豊臣政権前から存在していて秀吉が刀狩の時に中間、小者、荒子が百姓等に戻ることを禁止したってだけの話だぜ?
タワケカ!!大高城落ちたら、南はおおタカかじゃ!!尾張も滅亡すると
信長の霊も云って折ったわ!!
>>288
なんで戦国時代真っ只中の桶狭間今川軍に
太平の時代に至り遠征軍主流の豊臣政権の軍法なんざ当てはめてるんか?って話だが?www
明智光秀家中軍法という戦国時代にできた軍法を無視して
太平の時代の豊臣政権の軍法を当てはめて、
さらに旧陸軍参謀本部とかいう明治時代の
戦国のせの字もない時代の推測を当てはめると?www
話にならんな
今川義元をどうしても無能にしたいらしい >>今川軍は水を撒くるが如く後ろへ崩れ、兵が
>>持っていた・身に付けていた物が散乱し義元
>>の輿さえ置いて逃げ崩れたと書いてあるのに
>>293には菅沼遼太の気があるなw
確かに織田信長が下知をして織田軍が今川義元の本陣に殺到した時
今川軍は混乱したと確かにある。しかしその際に今川軍は
弓槍鉄砲を取ることもなく、と原文にある
つまり今川軍本陣には弓槍鉄砲が置かれていたわけだ
これは今川軍本陣に戦闘部隊がいなければありえない話w
それを誤魔化すために>>293は「身につけていたもの」とわざと隠蔽しているw
非戦闘員が腕力が必要な弓なんて持ってるわけないからな >>297
>今川軍が逃げ出したのは総大将たる今川義元が討死したからだぞ?
逃げ出したのは討ち死にしたからだというねつ造は認めたわけかw
そういう捏造をするのが菅沼遼太なわけだけど?w
そりゃ戦闘員はおるだろ
菅沼の言い分は全部が戦闘員なわけだろ?
桶狭間に五〜六千とも言われ言われる武器が落ちたわけか?
むしろそんなに戦闘員いたのにみんな武器をおいて逃げたってか?w 今川の戦闘員がクソザコだったの?
それとも雑兵や戦えない新兵ばかりだったの?
>>281
今川が尾張制圧が目的なら清須城やその他城攻略に何ヵ月かかるかも分からないのに
駿河から沓掛桶狭間まで五日だから陣夫などは不要とか言い出す迷軍師様やなぁwww
清須の敵地の真ん中にいても街道で待ってれば誰かが飯を持ってきてくれるってか?
>>280で他人に公記読んでないみたいに言っておいて
自分が一番読んでないのが草生えるw >>298
逃げ出したのは討死したからってのは少なくとも公記に書かれてることだしな
今川勢が義元討死を聞くと逃げ惑ったが現地は深田で田んぼに足を取られてるうちに織田勢に追いつかれて討たれたとある。
むしろ織田軍が襲撃した当初は「崩れた」とあるだけで逃げたとは書いてないな
後退したのは事実だから義元に追従したんだろ。
>>そんなに戦闘員いたのにみんな武器をおいて逃げた
そもそも逃げたという前提がおかしいからな
原文では水をまくるか如く後ろに崩れたとあるだけで戦闘を放棄はしていない。
弓槍鉄砲旗指し物は放棄しているが脇差や刀は当然持ってるはずだから退く義元を守るための行動だろ
その後に旗本300騎の話が出てくるんだから
大体おまえの理屈だと今川軍は25000しかいなくてしかも大半が非戦闘員で実働戦闘員は数千なんだろ?>>266
一方の織田は防衛側という理屈だけで5000の全てが戦闘員という理屈
下手したら織田の方が多いレベルの話やってた癖に今川はそんな数少ない戦闘員を広範囲に拡散させたのか?w
あまりにも荒唐無稽すぎるw >>302
抑々あの時代だと、軍勢の殆んどは領内の国人や豪族が動員した兵だぞ。
そして、補給は大名が保証してる訳じゃ無くて自分で何とかしないと駄目なんだよ。
良くあの時代に長期の対陣で部下が勝手に陣払いして国元に帰ったって有る理由がそれ。
食料もお金も尽きたら帰るしかない。
大名が補給保証してる訳じゃないんだからさ。
つまり、補給関係の人がかなり居て戦闘員は精々半分、更に前線に出るようなのは更に
半分とかだ。 >>302
>むしろ織田軍が襲撃した当初は「崩れた」とあるだけで逃げたとは書いてないな
弓・鎗・鉄砲・のぼり・差し物、算を乱すに異ならず、 今川義元の塗輿も捨て、崩れ「逃げけり。」
持っている物捨ててる時点で何を言ってんだ?
>大体おまえの理屈だと今川軍は25000しかいなくてしかも大半が非戦闘員で実働戦闘員は数千なんだろ?
話の発端の>>233-236を見てこい
今川二万五千のうち小荷駄などを差し引いて一万五千とかいてあるだろ
そこにお前が>>260とレスしたのが発端だろ?
>>266は
>数万の軍勢が動員された戦でも戦うのは数千の戦闘員
実際の戦闘で戦うのは数千の戦闘員と書いてあるが
戦闘員が数千しかいないとどこに書いてあるの?w >>301
事実読んでない、というか読んでないより酷いのがおまえやん
>>293などかなり露骨で「水をまくるか如く」という信長公記の原文にも出てくる表現を使っておいて
その直後の「弓槍鉄砲を取らなかった」ところはなぜか「身につけていたもの」と勝手に意訳
これ菅沼遼太が好んでやっていた「自分の妄想に都合が悪い部分は改変して意図を歪める」という典型的な手法
>>今川が尾張制圧が目的なら清須城やその他城攻略に何ヵ月かかるかも分からないのに
何ヶ月かかるかもって言うけど、当時の織田信長の所領って
そんなにいうほど広くないはずだが。そもそも尾張統一など全くできていないし。
加えて今川方の鳴海城から織田信長の根拠地である清洲城は4時間程度で到着できる場所で
これは信長が籠城という選択肢を一考にしなかったことから考えても既に絶体絶命だったのは言うまでもないと思うが。
何ヶ月どころか、下手したら半月で織田が滅亡するかもしれんレベル。
だからこそ今川義元だって総仕上げのために大軍率いて多くの武将連れてやってきたんだからよ >>304
そもそも陣夫を非戦闘員扱いする発想がどうか?って言ってるんだがな
憲法9条信者じゃあるまいし、私非戦闘員だから見逃してクダサーイって言う気か?
当時は刀狩りなんて全くやっておらず戦国時代の真っ只中で、かつ兵農分離など全く存在しなかった時期
それが証拠に一郡を領する服部左京が町衆に撃退されてるのが堂々と公記に書かれている。
今川軍の大半は非戦闘員だった、なんて桶狭間の戦いからただ逆算してるだけの戯言だって言ってるんだよ >>305
>>304で自分がまた読んでないと指摘されてんのにまた恥を晒すか?
そういうのを菅沼遼太の手法と呼ぶw
籠城されたら何ヵ月で攻略できるか誰にも分からないから陣夫を多く連れていくんだよ
敵地だから兵糧も確保できるかも分からない
それなのに駿河〜沓掛桶狭間まで五日だの街道で待ってれば飯を食えるだの言ってた菅沼脳がお前な >>306
陣夫は本でもネットでも一般的にも非戦闘員とされてるだろ
で、都合が悪くなったらお前自身の独自解釈で陣夫は非戦闘員じゃないと言い出す
そういう行為を菅沼遼太と手法呼ぶw
服部?
義元が討ち取られた後に書かれてた事か
町を火をつけようとして自衛として撃退された話な
義元の驚異もなくなり自分の町も守るためのやむを得ない自衛で例外な話な
そいつら町衆が常日頃から戦場の最前線で戦ってたなら戦闘員と言えるよw
やむを得ない例外の話を常日頃から戦場における戦闘員だと語る手法も菅沼遼太が多用してたなw 桶狭間で今川が大敗したのは土地勘の無い湿地で大雨に見舞われ各部隊が高台で孤立したのを地元で移動可能な場所を知ってたノブに各個撃破されたからだろ
だから義元は地元の山口を生かして優遇すべきだったんだよ
刀狩も実は秀吉の力が及ぶ一部地域だけで全国的には広まってなかった
そして猟銃として鉄砲などの武器所有は以前のまま
武士の証である帯刀権を無くしただけが今の有力学説
本能寺の変がありよかったのは秀吉になりイエズス会カトリックを禁教できたこと
スペインはイギリスの勃興で弱体していたから日本なんかどうでもよかったろうがカトリックを追い出せたのは本当によい
禁教をしたのはずっと後だけどね
秀吉がキリシタンを強制改宗させたわけでも無く
南蛮貿易をやめたわけでもない
秀吉はスペインの意図を看破したけど信長はそれができなかった
そこ比べちゃうとやっぱり秀吉の先見の明が信長より一段上なのよね
信長死後にすぐ違う方針にすりゃ先見の明があると言えるがほとんど信長と変わらないからね
鎌倉時代の平頼綱が親鸞から「天下の棟梁」って言われてたようなんだが
「天下」の概念てフツーに日本全体を示してたんじゃないのか
もしかしたら上洛して政務についてたときなのかも知れんが
日本国内にイエズス会領ができてることやわ
日本人奴隷の売買が逆鱗に触れたとか
色々言われてるけど
そもそも正親町天皇が禁教令出してた
ガスパル・コエリョに感謝すべきだね
彼が軍事力かさに高圧的な対応をしなければ
秀吉は伴天連追放に踏み切らなかったかもしれない
まあ江戸幕府は秀吉より積極的な禁教令敷いたので
どっちにしろ関係なかったかもしれないけどね
>>320
もちろん日本全国という意味もあるし
他の意味もいっぱいあるよ
で? >>323
俺の言いたいこと分かった上で「で?」って言ってるんならその返答をしてくれない面倒くさいやつだから会話したくないし
ほんとに分かって無くて「で?」って言ってるんならレベル低いから会話したくないし >>312
人身売買を禁じたのは信長で
モンキーは猿真似したたけ >>325
>>320の発言に対しては過不足無い返答に見えるが、これが気に入らないとなると
言わんとすることをまともに伝えることもできないのに、相手が自分の思考を読んで
書いて無い内容にまで答えてくれないと不機嫌になるめんどくさい奴に思える >>327
で言いたいことないの?じゃあそれでいいけど >>326
秀吉はスペインの陰謀に気付いた
信長は利用されるだけだった
それが全て >>320で言いたいこと全部だったの?だったら>>323で過不足無い回答になってるけど
そうでないとしたら誰がどんな風に話を膨らませてくれること期待して無内容な発言したの? >>335
軍事は明らかに秀吉が下な。
信長なら間違いなく家康は潰していた。
家康を生かした上に政権に無くてはならない存在にして、消したくても消せなくしたのが秀吉。 自分の母方の従兄弟は足利家の男系子孫だけど
信長や秀吉のことを嫌っている
祖父はなんでも鑑定団に出張鑑定してもらい無名の錆だらけの刀を500万と鑑定してもらった(鑑定士は陶器専門のヒゲメガネ)
従兄弟が喜んで刀剣専門の鑑定士に鑑定してもらったら100万だった
足利家の所有という付加価値で5倍の値がつくとはね
その従兄弟が癌になり闘病中だが
もし亡くなることになれば従兄弟に子供はなく自分の息子(次男)が養子となり足利家を継ぐことになりそう
名門足利家の男系は遂に途絶えることとなる
まぁどちらでも良いけどね先祖はニートだったみたいだし
>>336
忍城の水攻めのせいで石田三成が戦下手になってるが
あれは秀吉の指示で石田三成は反対してたの分かったんだよな
あの水攻めは失敗で豊臣軍に被害が及び 沼地化して逆に難攻不落化したという
秀吉の戦下手なせいでああなったが有能なサポートがついてないとああなる 秀吉が戦下手とかw
信長は合戦でポカが多過ぎるし、軍事も秀吉のが上
特に戦略では秀吉の足元にも及ばない
>>339
信長の戦った相手と、秀吉の戦った相手を同じように考える池沼定期。 >>339
朝鮮出兵という秀吉の唐入り指示を無視して現場の判断で勝手に動いてたし
兵站の問題から現場では戦線後退を提案されたが認めずに被害拡大させたのも秀吉やで?
そして戦況もまったく理解せずに明が降伏してきたと勘違いしてたのも秀吉やで? 大陸での大戦争と国内の戦争とは格が違うからね
秀吉だからこその途方もない大構想
畿内で収まって満足してる信長とは格が違います
自分の力を過信して家臣の提案を聞かなくなった晩年の秀吉が秀吉自身の本当の能力
家臣の進言を聞いてるうちは良かったが晩年は自分の戦略に反対する奴は飛ばしイエスマンしか側近におかなかった
その結果が朝鮮出兵
>>342
格が違う。
現地の実情無視して、大日本帝国時代の日本軍と同じことした秀吉のあれが大構想とか。
そもそも秀吉自身は戦場にすら赴いてないし。
おまけに国内で自分の手足である秀次とその家臣をぶっ殺して、確かに格が違うな。
信長すらここまでおかしなことはしてないから。 小田原征伐の忍城の水攻めの大失敗も秀吉のゴリ押しだからな
その頃にも秀吉の過信と傲慢が出てたんだろ
そりゃ朝鮮出兵でも前線に来るの止められるわ
晩年まで謀反も起こさせず完璧に家臣を統率してた秀吉
謀反されまくりで人の話を聞かない、家臣統率が下手糞とされる信長
どっちが上か考えるまでもないわな
>>346
秀吉ageの奴ってよく「晩年まで謀反も起こさせず完璧に家臣を統率してた秀吉」って言うけど、あいつらはマイナーな奴らだからカウントしないの? それとも無知なだけ? それとも信長を何が何でもsageたいから、わざとカウントしてないように装うの?
信長の場合、有名な奴らが謀反してるからどうしても目立つ。秀吉の場合だとマイナーだからカウントしないのか? 晩年の秀吉は側近の奉行さえ統率できてないよ
朝鮮役の和平交渉の経過観たらよくわかる
秀吉のリーダーシップに従って意思を実現すんじゃなく
命令も意向も無視して独自の判断で話しまとめて
報告の時だけ口裏を合わせて適当言っとく
まあ秀吉の指示も荒唐無稽で仕方ないんだけどな
>>348
マイナーも何も謀反なんて起こされてないが?
信長下げも何も事実を指摘してるだけなんだけどね >>350
やはり知らんのか……
マイナーすぎる奴だから仕方ないか。 信長は最後に謀反で死んでるし評価が下がってもしゃーない
今までの謀反から何も学んでいない
専門家の奴らもカウントしてないしな。
専門家の奴らも信長sageに必死でカウントしないんだろうか。マイナーだし。
>>354
俺様史観で勝手にカウントしてるだけで草
これこそ秀吉下げでしかないw >>355
俺様史観とか。
やはり知らんやつばっかりか。 戦闘と統率の天才で軍を動かすのも神速
政治も知略にも優れた秀吉を相手にするには信長じゃ力不足やね
信長はせいぜい武田や家康とどっちが優れてるかレベル
朝鮮征伐とか馬鹿なことしたヒデキチは永遠に信長のような英雄にはなり得ない
秀吉がトップになったスタート時点で畿内は掌握して家臣団を動揺させられる外敵が至近距離にいなかったんで、
謀反の起こされやすさについて比較するなら少なくとも本願寺の脅威を除いた石山合戦以降でないと意味が無い
>>343
元々人を率いるような立場じゃないしな
本人の奇抜な発想とかもあったんだろうが
それを実現させるブレーンの優秀さが
あってこそだったんだろうね
実際その時々いろんな家臣が有名だもの
味をしめて思い付きを押しつけるようになり
まともな判断で無理という者は殺したり干したり
晩年はハイハイと従う若いのだけ残した
でもあまりに無茶苦茶でそいつらも従わず
嘘の報告して勝手をやるようになって
とにかく我が子を頼むしか言えなくなって死んだ >>339
戦略では朝鮮征伐失敗した秀吉は話にならんだろ 本能寺回避してもそのうちポカするんでね?
統率ってよりそういう性格
>>363
信長は口応えした佐久間を我慢して使っていたが
秀吉は同じように口応えした神子田を即解雇だからな
それまでの功績なんかガン無視で解雇や死罪なんだからイエスマンだらけになるのは仕方ないわ
つーか成り上がりの人間ってこんなの多いよ
ヒトラーやスターリンや毛沢東なんて秀吉とよく似ている
権力握った途端に周囲の意見を全く聞かなくなる バックボーンが弱いから余計舐められんように恐怖政治に頼るってセンゴクあたりでいってた
まぁ恐怖政治が長く続かないと言われる所以だな
イエスマンしか残らないから暴走しても止められる人がおらず破滅に突き進む
信玄もそう。義信事件で逆らうやつを軒並み始末しちまったので織田を敵に回す愚行を止めるやつが居なくなり滅ぼされてしまった
ナポレオンの敵になったベルナドットも平民出身だけど
今もスウェーデン王室続いてるけどな
ベルナドットは別に恐怖政治敷いた訳じゃ無いだろ
成り上がりでも権力に固執しないなら皆が皆、恐怖政治に走る訳じゃない
信長は気性によるポカややらかしを運で回避してたけど
本能寺でツケが回ってきて天下は取れなかった
成り上がりで立身出世した秀吉より格下だよ
秀吉は戦国最強だから信長がカスといいたいわけじゃない
逆に信玄なんかは地位は高かったのに親父を追放したトラウマで自分もそうなるんじゃないかと強迫観念に捕らわれ権力に固執し恐怖政治に走って破滅した
結局、恐怖政治の原因は権力への固執なのよね
信玄『あのハゲの肖像画は俺じゃない!俺はもっとイケメンだ』
イエスマンだけ残した奉行にも勝手される統率力についての話はやめるの?
まあそんな体たらくで天下とれたってことは確かに信長以上の運があったんだろうな
信長の書状って、なんか仕えるの面倒くさそうな上司の雰囲気がする…
>>374
秀吉は戦国最強。
織田信雄にすら武力で勝てないモンキーが何だって? 秀吉は養子の秀次に裏切られてるだろ。
だから秀次とその家族家臣を殺したのと違うの?
秀次に裏切られて全く統率に問題なしとか……。
その辺は裏切られてるというより頑張ってたのに
秀吉の唐突な裏切りで難癖つけて殺された
千利休なんかも同じ
>>382
あれだけ殺して秀次謀反否定するなら、秀吉は単なる大馬鹿のサイコパスとしか言えなくなるな。 信長は運がいいと言われるが、人事を尽くした結果、最高の結果を得たとも言える
桶狭間で義元を討ち取ったのは運がいいが、討ち取れなかったとしても今川軍に大打撃を与えることはできただろう
一方、秀吉の本能寺から山崎までの流れは、
秀吉の最大のライバルが、自分の主君と、家督相続済みの嫡男を殺してくれて、
謀反人の汚名を受けたまま、自分に倒されてくれた
こんな小説を書いたら、あり得なさすぎると馬鹿にされるくらい
そもそもノブは今川に侵食されてる上に斯波武衛家、清洲大和家、岩倉伊勢家に犬山織田家や知多の諸勢力が乱立するカオスな尾張を苦労して纏め上げたからこそ
コイツはヤバイと義元が自ら出陣して来たから桶狭間の奇跡を勝ち取れた訳だからな
自力で運を手繰り寄せる力量と逆境でも決して諦めないタフさがあったからあそこまでのしあがれた
信長よりさらに低い身分からのし上がった秀吉の方が上である事が立証されて草
>>386
低い身分からのし上がったから上とか。
結局、その下を認めてくれる上がいないとのし上がれないのがわからんのか。 信長はサイコパス、秀吉は人たらし言われるけど
超綿密大規模な干し殺し飢え殺しに
長年仕えた側近追放の上信長ほど甘くないぞと
脅して回って干した上帰参願えば待ってましたと斬首
甥の一家説明もなく公開惨殺ショー
確かに人心掌握巧みだったという逸話もあるけど
一方で他人の心とか以前のことも多くて
よほどサイコパスっぽい
ヒトラーや信長はサイコパスじゃない
サイコパスはスターリンや毛沢東
秀吉も若い頃に世話になった松下が今川滅亡後に困窮してたら
雇い入れて厚遇してるしサイコではないだろ
晩年の愚行の数々は単にボケてただけだ
優秀な人間ほどエネルギーを使うから劣化も早い
大名という恵まれた身分に生まれながら
人間性がゴミで部下の人望もなく殺され天下取れなかった雑魚のほうが
ボケてたんじゃないっすかね?
>>392
守護代織田の分家にして家臣の家じゃないの? ん?信玄の事か??
確かに晩年はボケてたかもな
駿河取ったら上杉と連携して北条攻めりゃ関東を切り取り放題だったのに
何で勝ち目ない織田に喧嘩売るかね
>>392
勉強してからこいよ。
織田の家が大名?
守護代だったことすら知らんのか。 >>395
守護代じゃネーよ
守護代の家臣の三奉行の一つだ
守護の下の下 大名に生まれて天下取れないとボケてるって・・・
>>391
サイコパスは別にいい事をしない人のことじゃない
普通もってる良心や共感能力がないだけだよ
普通に暮らしてるケースも多いし
人気取りのためのパフォーマンスが上手かったり
借りを返す必要を理解してるのは不思議でない
秀吉の場合一方で普通ならできない残酷なこともしてる 信長も秀吉もサイコパスではない
普通に交渉能力は高いからな
ただし信長は人を信用しすぎる甘ちゃんだから弟とか長政とかに裏切られまくり
一方秀吉は肉親ですら信用しない非情人
秀吉の方が天下を取る適性は高いが、人気が上がるわけではない
秀吉の本性は晩年のあれであって織田家臣時代は演じていただけだと思う
>>395
尾張は守護が斯波氏、守護代が織田で2軒あり、上四郡、下四郡で分かれてた。
信長の家は下四郡守護代の三家老の一つ「多分分家だろうと言われてる」ですね。
勝幡織田氏って言われる家。この素性だと佐久間とか家臣と言うより同盟者だろうな。 >>397
追放されてるのに恩義を感じてるって事は、退職金みたいな物渡したんだろうな。
当時の常識だと異常な温情だし、まあ報恩はするだろね。
前田利家が浪人した時にも気にしてたみたいだし、天下を取るまでの秀吉は情があるよ。 晩年の秀吉が衰えきって他のは確かだし
実際にボケていたのだろうとは思う
ただ秀次一家虐殺は秀吉が死ぬ5年前
尾藤神子田利休ら理不尽な死罪は10年前から始まってく
もちろん干し殺しなんかはむしろ働き盛りの頃
全てがボケで片付けるのは無理がある
>>398
交渉能力のなさはサイコパスとは関係ないよ
能力が高くて成功してるサイコパスはいる ボケてるなら普通は心ある家臣が絶対に止める。
そういう奴がひとりもいないとかもう末期的でしょ。
何で石田三成とか忠臣とか言われてるのか理解に苦しむ。
忠臣なら腹切ってでも諫めろよ。
>>398
サイコパスと交渉能力は関係無い
身内とくに子供が死んでも悲しむこと無く平静でいられる毛沢東みたいなのがサイコパス つまり、家臣の家庭事情にまで気配って嫁に取り成してやる信長も、
自分の子供が可愛すぎる余りどんな筋の通らないことも押し通せてしまう秀吉もサイコパスではない
感情がないわけじゃないんだよ
良心の呵責なしに嘘ついたり人を傷つけたりできたり
他人がされたらどう感じるかみたいな感覚がないだけで
傷つけて怒ったり身内に執着したりはある
信長のおねへの手紙は共感に満ちてるけど
肉親を自分と同一視して溺愛するのは微妙
>>404
サイコパス論争だと、家康がポイント高いだろね。
計算ずくで嫁と長男を見捨てるとか普通の人間には出来ない。
大阪の陣だって、孫娘焼殺覚悟だろうからなあ...( ̄▽ ̄;)
仮に秀吉が、寧々と息子「居たと仮定して」切腹させろって命令されたら負け覚悟で籠城するやろ。 >>405
詐欺坊主の成敗や障害持ちの乞食を気にかけるなど
慈悲や温情がある信長がサイコパスなわけがない ヨハネの黙示録 第二章20節
しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。
この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。
わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。
見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。
わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。
私の洗礼名はヨハネである。
信長はむしろ甘ちゃんだろ。
逆らった場合のみ荒木、松永みたいに手加減はしない。
というかこの二人も弁明したら許したるってチャンスやってるから温情は十分にある。
むしろ信長は甘すぎる。
伊勢長島みたいに何度も逆らってもう余地がない場合はほかの誰よりも厳しくなるが。
今は苛烈イメージだが、在世時は穏健優しいイメージだったかもね。反乱されまくってた原因かw
>>412
気性は激しかったみたい
自分の意見に反対するもの従わない者に激怒して厳しい仕打ちをするが
それ以外のことでは甘々だったとか 「故上様みたいに甘くはしないぞ」的な秀吉の書状あるね。
>>415
この秀吉は信長より上とか言ってるやつ、何でそこまでこだわるんだ? どっちが上なんかどうでもいいし、上だと言いたいならちゃんとその理由を説明しろよ。 IQ程度ならまだしも歴史的な能力なんて測りようがないでしょ、ナンセンス(死語)
>>416
秀吉は存命中謀反も起こさせず家臣を統率
信長は謀反されまくり、最後も謀反で殺される
よって秀吉のがほうが上 伊達 信長様に従いまする
伊達 猿ならちょっと様子見よう
信長は朝敵以外の敵指定(将軍の敵、仏敵)されてるから裏切りが多くなるのはしゃーない
光秀、長政、信行くらいやろ
信長は歴史能力からいえば戦国期ではトップなのは間違い無いだろ
ヒデキチや家康は立ち回りは巧みだったけど実際の能力は疑問が残る
>>430
有能とかいう訳わからん定義言ってるお前が言える立場かよ。笑わせるな。 まず戦国サイコ筆頭の信玄と比較から始めようか
三傑じゃ家康が信玄同様に息子殺ししてるが、家康はそのショックで寝込んでいる
信玄は義信殺しても何らショックを受けたと言う記録がない
お館様はショックを隠しながら戦いに明け暮れてストレスで癌になったんやね
>>433
というか、義信の主な家臣飯富長坂曽根はじめとした80名を殺して、生き残りは追放してるんですが。生き残りは何人かは後年に復帰を許されてますけど、ちょっとやりすぎじゃないのかと思う。 まとめ管理人の動画で一番史実に近いであろう信長像を紹介してるね
あれはいい動画
なんかツボった?w
歴史的な役割、歴史能力。
同一の環境で異なる役割を与えて実験なんてできないんだから、
資質の上下なんて論じたところで意味ないよねってことだ。
重要なのは、その人が歴史に果たした役割、影響だわな。
まあそもそも能力どうこう有能どうこうなんて話が
歴史をゲーム感覚でとらえる考え方だわな
歴史能力は確かに笑えるけどw
歴史の運命に与えられた役割、能力って意味で歴史能力としたんだけど、
あんまセンス無かったかなぁ。誤解与える?
どんな風に受け止めた?
織田信長も四国に生まれてたら大名の子でもアウト。四国統一くらいはできたかもしれんけどな。
三好は四国が本拠地だから畿内進出できないこともないか。
代りに台頭する畿内周辺の大名がいなければ。
秀吉の成功は、信長がいたからこそ。松下に仕官した時は大して出世せずに終わっている。
信玄はいつの間にか信長に抜かれていて、どう思ったんだろうか。やはり悔しかった、プライドが傷ついたから、あんな同盟破棄をやらかしたのかな?
階級社会では現代では想像もつかないくらい身分による差別があった
甲斐源氏の守護大名というプライドは現代では想像もつかないくらい強いものである
代官の家来みたいな信長に置いてかれた信玄はかなり頭にきてただろうね
同じく歴史力に乏しいが家格は高かった朝倉氏が意地張って滅亡したのもそれだろうね多分
朝倉と織田は因縁がありすぎやし
織田に平伏したらイビり倒されるのは目に見えてるから滅亡するまで徹底抗戦したんだろ
>>450
朝倉は宗滴に依存しすぎた結果があのだらしなさ。 意地張ってというけど、おまいらだってプライドくらいあるだろ
武士なんだから尚更だ
そこは命の重さが今と違うし
晒し首がエンターテイメントな時代
>>445
松下家臣時代なんて15〜17歳の2年しかないし若造じゃん
天才秀吉の上司だったから信長のほうが優秀なんて理屈はないぞ あいつぽっと出だし人となりとかしやんが頭下げたり仲良くするの腹立つから徹底抗戦とか、現代の感覚で考えても無いわ普通www
その結果が家臣に裏切られてハラキリとかそっち選ぶやつ小学生でもあり得んてwww
そもそも信長とつるんだ方が上手くすれば美味しい目みれたかもしれんしね……
信長にしたって家格高いやつが「協力しますわーん♪」って尻尾振って近寄ってきたら悪い気しないのは明白やし……
>>450
あれって、実は何方も斯波氏の家老なんだよ。
応仁の乱の時の裏工作で、本国の越前を朝倉に取られちゃったんだよね斯波氏。
守護斯波、守護代甲斐氏のコンビが追い出されちゃった。
もう一つの領地の尾張に逃げて行った時についていったのが織田氏。
朝倉、「織田なんて所詮は斯波氏の家老の家、正式な越前守護の朝倉とは違う」」
織田、「朝倉なんて主人の留守に越前盗んだ逆臣の家柄」 秀吉の場合出自の卑しい成り上がりでも官位が上だったから上杉や佐竹や大友といった名門も頭下げた面はあったのかな?
上杉は佐々、佐竹は北条、大友は島津と敵の敵は味方の論理はあったにせよ
>>454
「自分だけならまだしも部下の命も」とか一番お前らしくない発言 武士の部下ってのは主君が部下の領地を守ってくれるのが契約の前提
守ってくれないなら別に従う必要ない
おまえらも給料払わない会社で働き続けないだろ?
>>459
建前は大事だよ、建前は。
早い話、曹操孟徳が劉操孟徳だったら三国志は存在しない。
献帝の娘を劉躁の息子が娶って、続漢みたいな王朝出来てるだろう。 未だに秀吉のほうが優秀とか、有能とかゲーム感覚の奴がいて草生える。
信長はボンクラでも秀吉、光秀の二人が優秀だったからな。
第六天魔王w
これは中二病だろ?
>>465
こういうゲーム感覚の脳みそしかない奴が多すぎて草。 小領主とはいえ、織田家に累代の家臣がいた訳で新規に
召し抱えた経歴もよく分からない人間を厚遇し大役を与えるというのは、
古参家臣の反発もあっただろう。
信長は、初期において信行に家督を奪われそうになったりしている。
それを抑え込み、拡大策に転じた手腕は、相当なもんだよ。
それも当時は、情報の入手なんて気軽にできる訳じゃない。
「他家の成功例」なんて気軽に検索して知ることなんて出来ないんだぜ?w
限られた情報から、考察し実行する。
相当な頭と自信がないと出来ることじゃない。
光栄ゲーその他シミュレーションゲームじゃ家臣の能力が
数値で表示されているが、(今のゲームは知らない)
現実こんな分かりやすかったら苦労しないよね。リアルの家臣に能力値
なんて表示されてないからw
後世の人間は、秀吉を「秀吉」として見れるが、現在進行形の人間にとっての
秀吉は、指が六本あり、声がやたらデカいキモイ野郎でしかない。
こんなの能力と関係ないと思うだろうが、現実世界の人間は、目に見える容姿や
キャラで人を評価するのが普通。
能力を見て、機会を与えるなんてそうはない。
自分が戦国時代の一領主ならどうしたろうかと考える。
ほぼ確実に現状維持で血縁で周囲を固める安泰を図るだろう。
投機的な新規策なんて採用しないと思う。
失敗したら死ぬもの。
>>468
一番新しいヤボーの大志は、信長より島津と武田がメチャクチャ強すぎて草。信長も強いけど。 「第六天魔王」は皮肉だよ
「天台座主沙門」とか言って裏切ってきた信玄に対する
レスバつーよりノリツッコミよな
中二病とか無知もいいとこ
そうそう意外と仲良いだろ感w
まあ戦争してるんだけども
>>470
失敗しなくても死ぬ時は死ぬぞ
家臣に直家みたいな奴がいて下克上で毒殺されるかもしれんし
近隣に政宗みたいなガイがいて血縁ナンボのもんで攻め込まれ見せしめに皆殺されるかもしれん
ちょっと長生きしても息子から攻められたり追放されたりもあり得る 血縁ナンボのもん。
そもそも奥州が複雑な婚姻関係を繰り返したのが理由でああなっただけで、奥州以外では血縁ナンボだったんだが。
信長の場合、信秀がもしあと10年も長生きしてたら、どうなってたのかな?
親父が尾張ペナント制覇するけど
CSで今川に敗退やね
10年後ならお父さん生きてても信長に家督を譲ってるんじゃない
自分が若くして家督を譲られたから
信長に早く家督を譲る可能性は高いね
>>477
2000年代のホークスの悪口はやめるんだ >>480
歴史能力に乏しい人間が巡り合わせで地位につくとしでかしてしまう典型的な例だな 秀次が生きていたら、豊臣があそこまであっさり家康に落ちたかというとかなり疑問だな。近江八幡の政治、小牧長久手以外の軍事は十分に合格レベルだし。
小牧長久手のしくじりが少し大きかったのか?
小牧も最終的に政治的圧勝してますが?
単なる難癖で草
ポカ多過ぎの信長とは格が違います
小牧長久手は最悪
大将のくせに味方を見殺しにしてさっさと離脱
名人久太郎とは責任の重さが違いすぎる
>>475
宇喜多は、祖父が浦上の当主に粛清されてますからね。
あの時代って下剋上ばかり言われるけど、下手に功績立てても主君に粛清される事もある。
直家の場合、浦上に復讐誓ってもおかしくない生まれ、それに極初期からのちの四家老が
確認出来たりするんで身内には優しい。 >>476
奥州の血縁が複雑なのは、殆んど伊達せいでもあるな。最上や大崎なんて一時期事実上の
傘下大名だったし。
力関係が確定してるなら、養子や嫁送り付けで家臣化は穏便な方法だよ。
伊達の場合は内紛で勢力が無くなったんで更にぐだぐだ要素に。 >>484
兎も角生き残っただけで合格だと思うぞ。さすがに総大将が討ち取られれば幾ら秀吉でも
逆転は出来ない。
>>486
だから逃げて正解だよ、生き延びて戦死者に報いるのが大将なんだから。
大体秀次後継で一番恐怖は家康だと思うんよ。自分の事として考えて見な。
東海130万石時代に完敗した相手が関東250万石。絶対消すよな。 信長は全軍撤退を命じて殿軍に池田勝正をちゃんと置いて大将の責任を果たした
羽柴秀次は友軍にろくに指示も出さず一目散に逃げただけ
おかげで残された池田恒興親子や森長可は、敵の総大将の家康&信雄と遭遇して退くに退けなくなってしまった
一人逃げても政治勢力として打撃を受けず巻き返せる体制を構築できたってのがすごい。
曹操も逃げてたっけ。
運でのし上がった信長と、実力でのし上がった秀吉を対比しても仕方ないでしょうに
近畿一帯を押さえただけで小物すぎるな
世界史上空前の大帝国を作り上げた裕仁の野望を作れば馬鹿売れするな
秀吉じゃ桶狭間に勝てないだろう
信長みたいに戦術に秀でた前線で戦うタイプじゃないし
物量押しだから数でおとる降伏して
途中で送信してしまった
秀吉は物量押しだし
優秀なサポートがいないから数で劣る桶狭間では義元に降伏して終わり
秀吉は軍事面では物量活かした防衛線と補給線の
構築が真骨頂だよな
その辺は弓馬の技を売りにしない出身が逆に強み
大返しで神速のイメージあるぽいけど実際には
山崎賤ヶ岳の2回しかしてないし宣伝効果多くて
行軍自体の速さはそこまででもない
逆に蟹江城合戦のように駆けつけるの遅くて
勝機を逸した例も残ってる
秀吉を称揚する甫庵や大村の軍記物でも
蜂須賀竹中黒田らの貢献は大きいとされてるし
生まれ的に不慣れな部分は配下に任せてたんだろな
小牧長久手も黒田官兵衛は直前まで留守居にいて
中入り立案は秀吉主導でやったんよね
秀吉の軍事の基本は「調略」だろ
戦術で何とかするタイプじゃない
大返しも「調略」で敵の戦力を削ったからの勝利
戦術では劣るから
山崎以降は全て敵より多い兵での力攻めが基本
調略が上手くいくのも基本秀吉は優勢な側にいて劣勢な相手に仕掛けてるからだしなー
そういう条件を整えられるのは普通に凄い事なんだけどな
信長も弱小勢力だった若い頃は兎も角、地盤を整った後は優勢を確保して戦争を仕掛けている
信長はチンギス・ハーンやナポレオンやグデーリアンのような機動戦の名手だからな
桶狭間も信長の常識外れの強行軍がもたらした結果だし
>>503
その考えは基本的には正しい
しかし天王寺砦の戦いのように劣勢であっても戦術で何とかしてしまう頼もしさが信長にはある >>504
ナポレオンに関しては
ダヴーって軍事指揮官としては
変態レベルの天才がいるからな
アウステルリッツとかアウエルシュタットとか >>501
でも、その調略が上手く行くのも義理堅いって評判有っての物なのも事実。
宇喜多の降伏に信長が激怒した話は有名じゃないですか、でも必死に庇ってますしね。
それと、直家死亡の時宇喜多は織田と毛利の境目大名だから取り潰しも有り得た。
それも秀吉が秀家の後見人で納めてますから。 >>506
ナポレオンみたいな天才と言うより変態が偶に生まれるんだよな。
相手は別に間違った事してないのに、一瞬で引っ繰り返してしまう変態が。
カエサルなんて、ファルサロスで敵の優勢な騎兵を熟練歩兵で囲むって気違いみたいな事を
してます。
理屈でいうなら騎兵は助走する空間与えなければ囲めるんですが、普通は騎兵が迫って来たら
逃げるんで机上の空論に成るでしょう。
カエサルの精鋭って言われる古参ですが、中国の雑技団みたいな部下。 調略は軍事というより政治の領域かな
むしろ軍事的な衝突を避けて政治決着を謀るのも
秀吉の真骨頂と言えばその通りだけどね
>>505
天王寺は単なる誇張
桶狭間は単なる運
うーん秀吉には及ばん >>468
そういえば、忠誠をマスクデータにしたゲーム有ったな。
一応論功行賞の時のコメントで分かるけど、抑々忠誠低いと全然働かん、不評でした。
信長の野望も色々過去に考えてるよ。例えば名声って数値が有り要求知行に関係とか。
能力引くのにやたら名声高い塵とか存在。 桶狭間が運とか言ってる奴って、社会経験が無いやつなのかな?
口で言うは安し、実現するは難しなのに。
幸運による部分もあったかな。今川義元は名君だけど野戦指揮官としての
経験は乏しかったと言われている。
経験ある家臣が補佐していたろうが、意思決定はどうしても遅くなるのは否めないだろうと。
仮に信長の性格だけを秀吉にしたらどうなる?
信長が敵対した斎藤龍興、朝倉義景、浅井長政、松永久秀、荒木村重、武田信玄、上杉謙信らを全員ずっと仲間にして統一できたか?
秀吉の外交や調略は絶対に信長が築き上げた勢力と、信長生前に大大名をある程度痛めつけて弱体化させてないと無理なやり方だと思うんだが。
>>515
秀吉の特徴は使い捨てじゃ無くて義理堅い所なんでは?
大体蜂須賀なんて木曽川沿いの土豪なんだからあんなに面倒見る必要無いよ。
秀吉と同じレベルの謀略の名人は多いと思うけど、用済みのはずの奴にあそこ迄義理堅い人は
珍しいでしょ。
幾ら譜代の家臣が居ないにしても、引き抜き掛けた人に義理堅いよ。 信長は歴史能力が低いと言うのは学会の定説なんだけどな。
信長信者はもう宗教だから認められないのか?
凡人が優秀な家臣のお陰で成り上がったのに勘違いして増長した。
その結果家臣から誅殺されたのが実際の信長だぞ。
>>517
宇喜多直家が重病で死にそうって時に、人質の秀家連れて見舞いに行ってるぞ。
直家は舅や婿の暗殺で有名な人だし人質連れて見舞いとか「正気か?」って言われかねん。
自分が寝返らせたからって、普通は此処迄しないよ。 桶狭間が勘違いによる幸運でしかないことは研究でも言われてること
運で成り上がった信長の象徴的な合戦
逆に実力で成り上がったのが秀吉
学会の定説と言うのなら
その根拠となる史料を提示してどういう論説をもってその結論に至ったのか説明しろや
学会だの研究者だの言い出すやつがそれを提示できた試しがないぞ
>>519
これが義理堅い?
ワロタ。ギャグだわ。 その先生がどの様な史料を根拠にどんな論法でその結論に至ったのか、本の内容を引用して具体的に説明してみ?
>>524
藤本は正面から実力で勝ったと言ってる
嘘のために他人の権威を使うのは良くない 藤本は確か桶狭間は運でも何でもなく、実力だと言ってなかったか? それと藤本は反論はいいんだが、少し感情的になるのが問題だと思う。
>>519
直家が死ぬ時期じゃ織田家相手に暗殺するメリットゼロだろ。
光秀みたいな自爆テロにしかならない。 >>526
はい嘘
勘違いによる攻撃、甚だ幸運だったと信長の戦争で言ってるからね >>531
それ戦術的な判断についての説明と義元を討ち取れたという結果に対しての評価や
そりゃ義元の首取るのは狙って出来る事じゃないし >>531
全然読んでないな。
自分に都合のいいように改竄してる。
秀吉ageはこんなのばかりか。 信長の歴史能力は学会でも認められてる
良い加減なこと書く奴は追い出せ
信秀の頃の今川は家督相続の混乱、北条との戦争で織田の相手する暇なかったからなー。
で今川が対織田に本腰入れたら信秀はあっさり劣勢になったと。
>>533
信長上げのためには研究も歪曲w
くそわろたw 学会が研究者がと言ってるのはネットで拾った浅はかで断片的な知識しか無いだろ
ちゃんと勉強してればその根拠の史料や論法をすぐ提示できる筈
信長の戦争も読まずに捏造してる狂信者が何か言っとるw
こちとら信長公記や各大名家の家譜を読んで研究してますが何か?
秀吉は勝家光秀家康をガチの実力で破ってるので運が主軸の信長とは違うんですよね
反論できないと運でごまかす相変わらずのすがぬま
1mmも進歩しないの生きててつらくない?
>>537
まとめ管理人とか。
もう笑い通り越して呆れた。 >>546
過大評価せず冷静に信長を分析できてますが?
脳内妄想で信長礼賛してる狂信者とは全く違う 大昔に信長がされてたような過大評価を秀吉に対してしているような人がこのスレには多い
>>542
山崎では士気の低い光秀軍に思わず苦戦
賤ヶ岳では利家の寝返りでなんとか
長久出では少数の家康に負ける 運に左右されない歴史人なんて居ないだろ。
人間にできるのは、運を自分のモノにする努力と才能があるばかり。
>>549
山崎も賤ヶ岳も秀吉の電撃的行軍による勝利
小牧長久手も政治的圧勝による完全勝利
運の要素が殆どを占めるのが信長 勝算のない無謀な謀反の果てに味方もなく孤立してる明智を
無茶して逃げ帰ったせいで疲弊しきった自軍に変わり
摂津衆が打ち破ってくれた山崎な
信長横死を知った毛利が背後を突かないってのは、秀吉にはもう完全に博打だったろうな。
毛利は弱体化していて背後をついてきても大したことは出来ないと踏んでいた?
>>556
吉川が追いかけて攻めようとしてたのを
ヘタレ小早川が止めた 毛利が背後を突いても備前美作を抜くまで余裕がある
宇喜多を秀家がまとめて裏切る可能性はあるけど
幼君を抑えてて時間はかかるだろうしね
あのとき毛利が追撃してもチャンス自体はそんなにないだろ
毛利最大のチャンスは関ヶ原であのときテルがあれだったからああなったわけで
秀吉が三木や鳥取攻めてる間宇喜多単独で山陽道の毛利の攻勢をしのいでいたんだから、
直家死んだと言っても毛利には大したこと出来んだろ。
>>560
全く空にした訳じゃないなら、とりあえず安心か。
毛利の忠臣三人の首を騙されて差し出した形だからねぇ。
吉川筆頭に激高したのは想像に難くない。よく抑えられたもんだ
と思う。昭和の軍部の先祖とは思えんw
あー、昭和の軍部は、東北勢が指導していたか。 信長を運とか言ってる奴って、織田の子孫に何かされたのかな?
あそこまで否定すると逆に歴史を何にも知らないのかと言いたくなってくる。
大局的には運のおかげだけど、それをモノできる努力と才能があった。
信長とて畿内、大和や河内近くじゃ発展はできなかったろうし、逆に遠すぎても伊達政宗と
同じ境遇になったろう。尾張って場所が良すぎる。
じゃあなんでその尾張からノブの後にも先にも中央政権掌握する勢力が台頭しなかったんですかねぇ
「個人の能力が全て」論の人は天下創生のやり過ぎ
「地政学が全て」論の人は革新のやり過ぎ
「運だけで上手くいく」論の人は自分の人生が上手くいかないのを運のせいにして現実逃避してる
>>565
尾張を取れればその後はものすごく有利だが、国内の競争が激しいから取るのが大変
信長は尾張の守護大名を相続したわけじゃない >>529
じゃあお前真似してみろよ?人質つれて宇喜多の城に乗り込みって命がけも良い所。
結局死んだのは後世の視点で、治る気なら暗殺有りやろ。
>>566
まあ、幸運も重要では有るんだよね。家康とかゲームならリセットやロードしなおし300回とか
そんな感じ。
織田に攫われたのに、信長の兄と捕虜交換されてるけど、普通は織田と敵対した時点で首だろ。
ゲームならここで100回くらいやり直しレベルの幸運。 >>571
そういう意味では信長は秀吉や家康レベルの幸運ではないよな
桶狭間を10回やったら義元を殺せそうだし >>570
もちろん、それをできた信長の努力と才能のおかげだけど、
父親の信秀というお手本がいたことは、精神的思考的に助けられたかもね。
信長は、「お父上」と尊敬してたんじゃなかろうか?
信長、秀吉、家康
この三人で運度の構成比率が高いのはそりゃ家康だわw >>567
唯一台頭したのが斯波義将。
ただこいつは越前のほうが本拠だし、室町幕府の体制利用してのし上がったから、信長と少し違う。 本能寺での明智
大返し前の秀吉
なんて運も実力も必要な例やろし
で、信長の本当の命拾いは、姉川と志賀の陣やと思う
謙信や信玄の死亡も信長の運と言われることあるけど
そんなん言いだしたら、秀吉・家康はそれ以上の幸運持ちやしな
>>563
実際に毛利とは手切れになって
伯耆を取り返されてる
毛利自体が疲弊してたこと
水攻めですぐ動けなかったこと
宇喜多領が防波堤になってたこと
山陽方面での反抗はその辺単に割りに合わず
見送られたと考えた方が妥当だろね そもそも秀吉の幸運は、信長と信忠が同時に死んでくれたからだろう。もし信忠が生きていたら簒奪できたとしても、史実ルートよりはるかに厳しい道が待っているのは間違いない。
>>576
織田と接触するようになってから、見返りなしの出血ばかりで
内情はガタガタだったろうなぁ。武田後期みたく。 本能寺の変がなければ、秀吉の簒奪は絶対無理
1. 秀吉の最大のライバルが、
2. 自分の主君と、
3. 家督相続済みの嫡男を殺してくれて、
4. 謀反人の汚名を受けたまま、
5. 自分に倒されてくれた
本能寺の変以外で、これだけの条件が揃ったケースを私は知らない
>>573
>「お父上」と尊敬してた
せやな、じゃあ位牌に抹香ぶちまけたろ! >>579
家康の簒奪に比べて時間がなさ過ぎて泥縄式になった感あるな。 >>580
信長的尊敬の形だったかもしれない。
単純に葬儀という形式に嫌悪感があったのかもね。 >>580
位牌に抹香ぶちまけたのって、公記以外に何か記録あったか? あれ首巻だからおかしいだろ。一次史料は何かあったか? 取材したか、有名な逸話として家中で語られてたんだろう。葬儀のことを知っていた人って
牛一が記述した時点じゃ相当限られていると思うけど。
>>569
ゲームは知らんけど最後の運のやつはそう思う
あいつは運がいいだけといって無能な自分から眼をそらしてるだけ 位牌に抹香は完全にアンチ信長勢力が流したデマやろ
仮に首巻が太田の書いたものだとしても当時は信長の家臣じゃなかったから
デマを鵜呑みにしてても不思議はない
>>569
革新は地政学以前の問題。
あれなら武田信玄でも天下は楽に取れる。
個人の能力なら創世より風雲録。
上杉謙信ひとりで楽に天下が取れるゲームだった。 ゲームだからある程度ファンタジー要素入れないと売れないしね。
そもそも今のノブヤボは、信長より武田と島津の過大評価のほうが凄い。特に島津は特性が酷すぎて倒すのにメチャ苦労する。信長はむしろ初期シナリオなら、今川にやられるのも珍しくはない。
信長は朝鮮人だったと韓国人は思ってるらしいな。
天下統一まであと一歩で日本の猿に殺されたと言ってる。
かなり勘違いしているな。
それはどの程度の妄想かによるだろw
日本とてキリストが青森で死んだやら、源義経はチンギスハーンになったやらある。
これらの説が通説になったり、普通の日本人が信じたりなんてしたことはない。
日本のネット界隈で流布する韓国のトンデモ歴史も、この類が多いと思う。
まぁ、ナショナリズム高揚に韓国軍が新兵教育に痛い朝鮮史教えていた
ってのもあった気がするが。
>>569
>「運だけで上手くいく」論の人は自分の人生が上手くいかないのを運のせいにして現実逃避してる
これはあるだろうな
コロナ感染の死者が少ないのをアメリカ等の奴らは日本は運が良かったとかミステリーとか言ってるが
土足で部屋を歩き、マスクせず、手洗いもせず、暴動やって集会開いてりゃ奇跡に見えるだろうw >>592
その例えだと、日本に生まれたのがラッキー=尾張の大名の跡継ぎで生まれたのラッキーという連想しか湧かないなあ >>589
創造なら畿内抑えた信長一強じゃない?
島津も九州制覇で力尽きるし、北条も関東で満足してるし 当時の情勢考えると尾張生まれはラッキーとは
とても言えんだろ
位置的には近江を支配していた六角が一番ラッキーだと思うが
商業盛んで石高もあるし
しかし三好との戦いでは決定打が打てず浅井に苦戦し家中でゴタゴタ起こした挙げ句最後は信長に瞬殺
>>594
大志やったことありますか?
創造でも、北条は関東から東北に出ますけど。 >>593
尾張に生まれただけで強くなるなら信秀の代のが信長家督継承スタートよりかなり上だけど?
信秀の代で今川や斎藤を圧倒してたっけ? >>598
斎藤に1545年にぼろ負け。
今川に1549年にぼろ負けして信広も人質に。
だから斎藤とは和睦婚姻して、今川は三河の完全制圧と北条との戦いで織田に本腰入れて介入出来なかった。 やり手で大垣や岡崎あたりまで手を拡げたが
結局負けて押し込まれてるな
>>600
大垣にはあれ、どうやって攻め込んだのかな信秀。稲葉山を落としてないのに、素通りしたのかな? 信秀
事業拡大したけどお家騒動の種と借金残したまま死んじゃった感
いうて清須三奉行から尾張統一までの下地と経済基盤作って、家格も上げたんだから、創業者として十分な結果を残してると思うな
大事なところで痛恨の負け試合のイメージはあるけど
滅亡の憂き目を見るほどの負けは無いし
信秀は家臣の立場で対外戦争しかけたり勝手に道三と婚姻結んだだけでも歴史能力としては高いものを感じる
>>601
土岐氏と道三の争いで美濃が割れたところに、
朝倉と一緒に土岐を支援するため出兵だから、
美濃国内にも道三に敵対して連合軍に味方するものがいるから。 そもそもノブヤボは能力値インフレしすぎ
オール90以上は秀吉、ついで信長ぐらいが妥当
伊達なんてオール80でも高い
>>605
は?
それなら90なんか過ぎてる武田信玄や上杉謙信はどうする。
そもそも今のノブヤボは能力値より、特性や国力がモノを言うんだが。 ゲームだと武田の家臣達は過大評価だと言われるが、それでも即効滅ぼされる筆頭な件
>>607
大国に囲まれて貧しい上に国人の権力が強いという糞条件
最近の逆張り信玄叩きはアホとしか思えん >>607
だって創世や大志だと、今川北条長尾があっと言う間に拡大して、武田は挟まれて動けなくなるし。甲信は貧しいからなステが。 お山の大将の武田四天王(笑)があほみたいに強いやろ
あんなん佐久間以下の実績やぞ
勝頼にボコられた家康が逃げ出したから囲まれる前に離脱しただけじゃん
なぜ信長は当時の最大勢力となれたのか?→義昭に供奉して上洛した結果、幕府のNo.2になった&堺や近江に所領を得るなどしたから。
ほかにもあるだろうが要因としてはこれがブッチギリにでかい。
龍興を破ったぐらいまでなら純粋な実力と評していいと思うが、その程度の勢力なら同時代に幾つもあった
>>601
伊勢湾から木曽三川遡ったんだろう
補給がおっつかなくて維持は出来なかったみたいだが >>614
三好長慶は信長ほど大きくなれなかったやん >>616
信長以上の甘ちゃんだからな。
畠山をさっさと潰しとけば、少なくとも教興寺は無かったし。 更生法申請した室町幕府に出資支援。本業とのシナジー効果を
フル活用で流通の大元押さえて業績拡大。
>>618
信長「家康戦ってるのに平手見殺しにして無傷で帰ってくるとかあり得んやろ」 >>614
地政学的優位を抑えてから出した結果は実力に入らないとかなったら秀吉とか家康とか酷いことになるんですが >>617
もともと畠山とは同盟していて、60年に対立した結果畠山を潰して河内奪っていたんだが。
潰すと言うのは主な一族根切りにしろってことか?
それとも紀伊を攻めろってことか? >>598
信秀はあくまで下四郡守護代織田家の家老の勝幡織田だからな。
今川や斎藤と戦ってるけど、実際は守護や守護代の武将って立場なんだよ。
死ぬ頃には主君の守護代をしのぐ勢力だったけど、あくまで清須の守護代は主君。 むしろ評価されるべきは将軍上洛に協力し名より実を上げたこと
それまで幕府に介入した勢力はそれができなかったし
それを知ってる諸大名は二の足を踏む状況だった
むしろ信長の家督継いだ時点で荒れてたのに運だけと言い出すアホがいるだけやろ
>>623
信長が義昭の上洛パートナーに選ばれたことは、あくまで義昭サイドの選択の結果であって
信長の実力や努力とは直接関係ないから、「地政学的優位」とやらは偶然転がり込んできた
に過ぎないんだよね
そもそも信長が「出した結果」は【重臣に謀反されて息子ともども攻め殺される】だし 信玄のやった結果も信長に恨み買って武田滅ぼされただけだし
秀吉のやった結果も家康に乗っ取られて豊臣滅ぼされただけだしなw
>>629
信長アンチって凄いな。
豊臣が政権奪取されたのを、秀頼の年齢も考慮せずに加味しろとか。
家督を満5歳、関ヶ原が7歳の秀頼を加味しろと言うか。明らかに秀頼は秀吉の責任だろう。 >>627
義昭サイドの選択の結果。
上杉謙信にも武田信玄にも毛利元就にも朝倉義景にも冷淡な扱いされて、信長だけが名乗り出たのに、義昭サイドの選択の結果? 選択の余地が無かったんだろ。
で、14年後の本能寺の変がなぜそこで繋がるんだ。信長アンチってやつはすぐに本能寺なんだな。 そら信長の失敗と言える失敗って本能寺くらいしかないし
信玄は不義理を繰り返して何度も失敗してるけどな
信長は戦略ミスや不義理はあんまりないね
黒田長政を殺害指示をだしたのと上月城を見捨てたくらいか
勝ち残るのは失敗しない者じゃなく
それを活かしてトライアンドエラーを繰り返す者
信長の成功もトライアンドエラーが機能した結果だよ
>>635
上月城は城捨てて逃げろの命令を無視して籠もった尼子と山中も悪い。上月は外して長宗我部の方かな。 >>634
不義理をやるのが悪いとは言わないが、信玄の場合はもう少しやり方があるんじゃね、と思う。あれが信長なら、駿河をどんな攻め方していただろうか。 上洛については他大名がのらくら逃げてたのに
信長が売り込んだ結果なのは他の人が言った通り
あとよく美濃攻略後上洛っていうし間違いじゃないけど
正確には上洛決めた時点では美濃も取れてないし
一度は斉藤も六角も巻き込んで上洛が決まってた
それが斉藤織田どちらのせいかはわからないけど
手切れになって織田が負けて追い返された
それが翌年一転西美濃三人衆が信長について
孤立した稲葉山を囲まれた龍興は落ちていった
この寝返りも前後関係観ると上洛の流れを
上手く活かしたように見えるんよね
>>631
逆に、滅亡当時20越えてた秀頼に責任がないと思うわけ?
>>633
当然義昭には義昭の事情があったわけだが、
決定権は義昭にあって信長に無いのは変わんないよね
本能寺については、621が結果云々いうから
信長の人生の結果について客観的事実を書いただけだよ >>641
親政することができる15歳くらいの時点で、すでに江戸幕府作られて万全の体制で、おまけに家康は外祖父、秀忠は舅でどうやって立て直すのか教えてくれ。
決定権が義昭にある。
これは事実だなあ。でも、決定権は義昭にあるが、その義昭を助ける権利は信長にあるのを忘れてないか?
当時の義昭はあくまで前将軍義輝の弟という肩書しかなく、何の実績も力もない。義昭を助けるかどうかは、各地の大名の判断によるんだよ。 義昭には決定権はあっても信長以外の選択肢はなかった
全国の大名を頼って上洛してくれたのが信長だけ
信長はやる気はあったけど、たまたま上洛できる条件が揃ってたってだけだね
義景はやる気そのものが無かった
なんだかんだ言っても歴史基準での評価。
評価低でも「信長だったら俺でもできる」なんて人はいないだろ?w
良く分からんが
○信長は運が良かった
×信長は運が良かっただけ
なのは分かる
運が良くてもそれを生かす力が無いなら大して変わらない。
上杉景勝は大したことないが、運だけはホント良かった。
>>648
これやね
歴史上の偉人て逆境にも陥るし幸運も掴む
まあ、だからこそ偉人と評価されるわけだが >>649
景勝はむしろ運が弱い。
上杉謙信みたいにどこで何をしても鉄砲が当たらないほど強運ではないし、実父と義父が最悪のタイミングで死んだため、加賀半国、能登、越中、越後、西上野の大領が越後一国に減った。
関が原のときも伊達政宗と最上義光が西軍か東軍か迷っていて、佐竹義宣も味方になりそうなタイミングで、大坂勢がお手上げになってしまった。 景勝は普段の運がいいということはないが
やらかして絶体絶命になったところで最終的に助かるという点に限って
強い運を持っている
>>614
義昭伴っての上洛そこまで要因でかいか?
上洛優先したため南近江はなかなか安定しなかったし、
伊勢も養子戦略で進めたため安定した戦力となるのは天正になってから。
義昭政権維持のため織田家の直接的な利益にはならない畿内を東奔西走、
結局畿内で勢力広げるのは義昭追放後になったし。
仮に義昭が美濃に来なくても、
伊勢には手を出していて北畠六角とは対立しているので、
戦争して伊勢南近江を領国に組み込む方向にいったと思うが。
で南近江領したら畿内の勢力と戦うことになって畿内制圧の方向に進んだと思う。 >>623
畠山が逃げ込んだ紀伊に攻め込んで根切りって相当難易度高いと思う。
>>637
長宗我部は
もともと織田と三好が戦っていて、その三好が織田に降伏したのに、
織田が切り取った部分までよこせとなるとそりゃもめて当然。
阿波半国だと長宗我部にやや不利な感じもするが。
香川とかの讃岐の勢力にしても織田に臣従していたのに讃岐で孤立したので
長宗我部と組んだとも見れるし。 >>653
滝川一益が元亀年間に桑名衆率いてたのは何なんだ?
信長が義昭の幕命を口実に堺を直接支配したのは何なんだ?
何より大義名分を手に入れたというのが大事なのに。 まあ本能寺が起きなければ遅くても1584年頃には天下統一を達成していただろう
から過大評価ではないよ。本能寺時点の情勢↓
この時点で織田に従わない大名は東日本だとほぼ上杉だけ、西日本だと
毛利、龍造寺と紀伊の雑賀衆ぐらい。あのままいけば上杉は82年に滅亡。
毛利も信長・秀吉・光秀と大友・島津の挟み撃ちで滅亡。あとは九州の龍造寺と
紀伊を平定すれば完了。
東北・・・、伊達、南部、最上、蘆名、全て信長に恭順。
北陸・・・上杉(滅亡寸前)
関東・・・北条(織田のパシリ状態、早く織田から姫が来てくれと願掛け状態)
佐竹(信長の上洛に同行する等、かなり親しい)
四国・・・長宗我部(本能寺直前に斉藤利光に恭順する意向を示す。つまり四国征伐渡航前に降伏)
中国・・・毛利(応援部隊が秀吉単体にすら手も足も出ず、信長、大友、毛利の挟み撃ちで詰み状態)
九州・・・島津(信長に恭順。信長からの大友との停戦を受け入れ毛利攻めに参加する予定)
大友(島津との停戦工作のため信長に服従。毛利攻めを約束)
>>655
まともに動かせた伊勢衆がそれ以外にどれぐらいいる?
堺は国内でもトップクラスの都市ではあるだろうけど、三好がそうだったようにそれだけで他を圧倒できるわけでもないだろ。
大義名分は大事だがそのため義昭追放まで義昭政権維持のため振り回されることになったんだが、地力を高めることも重要。 >>656
毛利はまあ勝ち目ないけど、あと3年くらいは頑張れたかな? >>656
これは光秀も把握しているから信長の統一は、現実の日程になっていると
認識しての叛旗かになるのか。やはり粛清を予期してのことか。 西美濃衆も当時主君だった龍興と信長-将軍上洛を
一度は支持して破談になった翌年信長支持に転じた
伊勢攻めも龍興が伊勢に逃れたのに端を発する
上洛戦も尾張の兵だけでも美濃伊勢含む3国でもなく
三河徳川、近江浅井、大和松永、摂津池田ら
義昭上洛を支持する軍勢との共同作戦
翌年の南伊勢平定もその後の朝倉攻めも
それらの諸将が協力してる
義昭陣営vs三好三人衆&義栄陣営で意外と
当時の情勢は動いているのよね
尾張美濃を抑えた信長が義昭陣営の中心なのは
間違いないんだけどその武力だけで
同じことできるというのはまさに過大評価
>>659
3年は難しいかな。毛利輝元・吉川元春・小早川隆景ら毛利の主力が
出張ってきても秀吉軍単体とさえ膠着状況だったから。そこに信長本隊が合流して
西から九州軍に攻められたら無理ゲー。もって翌年ぐらいかな?
長曾我部も降伏したから四国からも攻められると思うし。
>>661
やるなら今しかないって感じかな?この情勢なら下手したら年内に統一事業が
完成して敵がいなくなるけど、この時点で信長を討てば毛利、上杉、北条、
長曾我部あたりの協力が得られる可能性があるし。 >>638
ノブ信玄『おい、義昭様から上洛要請来たから領内の通過認めろ。君も足利一門の端くれならまさか嫌とは言わないよね!?』 >>662
他の諸勢力の力借りれない分、貸さなくていいからプラマイゼロって話だろ。 >>656
紀伊も本能寺の時点で攻められて危機的だったが、信長が死んで織田軍が撤退した。
そういえば龍蔵寺って織田と外交なにもなかったのかな?
全然聞かないね。 家康には力貸す必要あると思うが、
史実じゃ各地の抑えに近江伊勢山城などに濃尾の兵力分散配置して、
義昭政権の武将守るため、摂津河内大和と転戦してるから、
主力を本腰入れて長期間一つの戦線に投入ってのが難しくなってるから、
プラマイゼロかはわからないが最終的には数年の違いはでるにしても似たような結果になると思う。
一応上洛が半年以上遅れれば三好が松永滅ぼして三好家の再編成が終了して簡単には勝てない勢力になる可能性もあるか。
松永滅ぼしてもまた新たな内輪もめしそうな気もするが。
>>663
毛利は本隊連れてきて目の前の秀吉に仕掛ける事も出来ずに見てるだけ
しかも瀬戸内海の航路も不安定化し補給も万全じゃない
このまま高松城が落ちれば勝頼が見捨てて落城した高天神城の戦いに匹敵する衝撃が毛利方国衆に走るのは必至
これに信長が高松城に入って多少の期間でも在中したらどうなる?
俺が毛利側国衆ならなんとか信長にコンタクト取ろうとするけどな、宇喜多も許されてるし
そもそも毛利は補給体制がしょぼすぎる
いやこれは秀吉の手腕が卓越してるだけかもしれんが 大友・島津は速い段階から信長に従う意思だけは見せてる(停戦命令など)
もっとも大友島津ともお互い向こうが悪いで戦い始めるが…
一応大友の対毛利参戦の報酬に周防長門の割譲が提案されてる(これは大友が切り取り次第かもしれんけども)
大友は将軍の敵というリスクをおかして信長に味方したからたぶん島津よりも優遇されるやろ
>>656
信長自身としては1587年くらいまでは天下を安定させるつもりやったと書状からみてとれる
もっとも天下統一だけならもっと早いとは思うが >>665
それは違うって話だね
情勢をうまく利用して自勢力自体を大きく広げた
義昭に売り込んだ時点での織田家の領土は
尾張一国と中濃を切り取っただけ
上洛前大急ぎで美濃の残りと伊勢半国切り取り
上洛後も実はしっかり伊勢近江を領国化して
越前まで攻め込もうとしたところで包囲網できた
包囲網との戦いも大部分は近江南部に重臣配置して
防衛&影響力強化して北部を攻めてる訳だし >>669
毛利も交渉時点で5ヶ国割譲を迫られてる時点でもう負けだよね。
高松城陥落はそれほどやばい状態だったという事。結局急いだ秀吉相手にも
三国を割譲させられているし、あのまま信長本隊と九州勢が到着したらあっさり
降伏したんじゃないかな?信長公記を読むと、信長は毛利本隊の出陣に喜んで
このまま一気に毛利を片付けて九州まで一気に平定しようと決心したと
書かれているし、本能寺がなければ82年中には西日本が平定されていたんじゃないかな?
九州の3強の内2強は既に屈服していたから、後は龍造寺だけだし。
四国は5月の時点で既に降伏を決心していた。 >>673
隆景や恵瓊が外交握っててそこまで徹底抗戦するとは思えんよな >>642
スレ違いだから簡単に。豊臣政権=豊臣家ではないよ >>673
北条も従ってたし信長が生きてたらモンキーより統一が早かったのは確か >>675
信長本隊や九州勢が到着するまでに清水の切腹と3国割譲を飲んだぐらいだからね。
あっさり降伏したと思う。色々考えると本能寺で得をしたのは秀吉、家康とかよく
言われるけど、毛利、長宗我部、上杉が相当得をしてるな。長宗我部はすぐ降伏
する意向だったみたいだから許されたかも知れないけど、徹底抗戦の上杉は
滅亡していただろう。柴田に魚津城を落とされて、信濃から森長可、
上野から滝川一益に攻められたらどうやっても勝てなかったと思う。
毛利は降伏したらどの程度の処分になったのかな、武田と同じく長い期間
織田と戦った宿敵だし許されたかどうか。 >>677
信長は北条をどうする気だったのかな。一応80年には北条の関東八州の支配を
認めたけど、武田が滅んだ後は用無しになったからなのか、武田征伐に
出兵までして協力したのに武田の遺領も分割しないし、祝いの品も送り返すし
結構扱いが酷い。氏政も慌てて早く織田と親戚になれるようにと祈る始末だった。
秀吉と同じく結局は滅ぼすつもりだったのかな。少なくとも関東八州を
全部北条の物にする気はなかったと思うが。 当時の北条関八州も持ってないよ
在地の領主が味方してるのは独立して
織田に仕えるだろうし
反北条の諸将も出仕しててその所領回復が
認められたら伊豆相模武蔵の一部てとこ
毛利は甲州ばりの多方面侵攻喰らうから
その挑発乗らずに速やかに降伏できるかだな
万で睨み合ったどちらかの降伏てそんな
簡単ではないよ
武田征伐時の北条氏政の必死感が凄い。後に秀吉に逆らった人と別人のよう。
2月3日
信長から武田領へ出陣するように命令され駿河の戸倉城・三枚橋城を落とす(ただし恩賞は貰えず)。
3月21日
戦勝祝いとして馬、酒、徳利を諏訪の信長に献上。
3月26日
馬の飼料として米千俵を諏訪まで運ばせ信長に献上。
4月2日
武蔵野で大規模な鳥狩りをして獲ったキジを500羽以上も京都に運ばせ信長に献上。
4月3日
馬13頭と鷹3羽を信長に献上(どれも信長が気に入らずに返却)
この頃、早く織田から姫が来て親戚になりますようにと三島大社に願掛け。
>>680
うん、まだ持ってないのは分かってるよ。多分、長宗我部の四国と
同じく例の「切り取り次第」という意味の許可でしょ? >>678
元々長曾我部は織田と結んでたしね。
それを、土佐と阿波南部に帰れって言い出した訳。
流石にこれで完全滅亡はない気がする。
毛利は、正直完全滅亡の可能性が高いだろ。
もう高松城まで来てる軍が粉砕されたら何も出来んと思うし。
武田みたいに迎撃する軍の編成すらできんで滅亡。 >>679
酷いたって、あの時までの経緯考えるとあんな大勢力認める意味ないもん。
それに、あの時点での北条は保々伊豆、相模、武蔵、で房総の勢力は限定的。
挑発して潰すか、相模のみ安堵程度では。 信長に臣従した外様で実効支配していた所領の一部召し上げの上安堵といえば?
>>684
確かに5万くらいの大軍を動員できる勢力を野放しにしないわな。
家康を始末する説もあったし 秀吉の大勢力残したまま乗っ取られるより
信長のように大勢力残さないように弱体化させるが正しいのは家康が証明しているからなぁ
信長の時代だともう終活考えてたろうから適切な時期を待つなんて
贅沢な事はできなかったかもね。と自己レス。
あの時期の信長の四国、中国への交渉を見てると5か国譲渡とか土佐だけとか
そんな感じで断ると征伐だから。北条も同じ運命だろう。
なんで信長生前は恭順を示していた各大名家が猿が引き継いだ後は頑なになったのかな?
>>693
成り上がりだし。
やられたほうから見たら陪臣だし。
しかも顔があれだしなあ。 島津やら上杉からしたら、織田も大して変わらんような。
>>690
土佐と阿波南半国だね、信長の条件。まあ信長視点では土佐の本領安堵の上に阿波半国も
つけてやったぞ。でしょう。
北条は別に織田と同盟してた訳では無く、過去の恩義とか義理とかとは無縁の存在。
最終段階で織田に従いますって言うても領地安堵する義理は無い。 >>693
主君の息子を散々な扱いして権力簒奪した輩だからな
こんなヤツ信用できないし、家臣に権力簒奪を容認すると受け取られかねない 北条は武蔵以東の所領を在地領主や
一門を別家として安堵するんじゃない?
それならそこまで大きくならない
>>697
阿波の場合、南北で割るより東西で割る方がいいような気がするが。 >>692
信長公記によると氏政の使者が安土に挨拶に来て、関東八州を北条の領国と認める
と承認したのが1580年。一益が上野に入ったのは1582年。結局は対武田の事が
あったから北条と縁を結んだけど、武田が滅びた以上利用価値がなくなったんだろうな
上杉も大した脅威ではなくなっていたし。 >>703
普通に切り取れない北条がダメダメだっただけやん
織田が武田と戦ってる間北条は何やってたんや? セコセココウモリやってたからノブに失望されたんやろ
局地戦とは言え青息吐息の勝頼に押しまくられるくらいやし
>>704
信長から武田攻めやると通告もらえず肩透かし食らう。
自分ところの情報網で2月中旬頃に織田徳川の武田攻めを知る。
こりゃいかんと北条が軍勢を動かしたのが2月22日。
上野や駿河で活動しているが、ほとんど戦ってない。
いくらかは奪いもしたようだけど、戦後の信長の裁定では北条は完全に無視される。 >>706
信長公記によると一応、命令は出されたみたいだよ。
2月3日に信長が駿河からは家康、関東から氏政、飛騨から金森、
伊那へ信忠が侵攻するように命じたとある。
4月12日の記述にも「北条氏政は共同作戦として出陣した」とあるが
一方で時期を失した軍勢を出したとあり、評価はされていない。
駿河の戸倉城と三枚橋城は落としたようだが駿河は全て家康に与えられた。 >>700
逆だよ
大勢力を潰したことはプラス要素だよ まあ信長自身が国境越える前に武田亡んだからな
木曾内通を受けて急遽決まった出兵だし
知らせ受けて相模から武蔵経由で甲斐侵攻だと
素手間に合わなかったんじゃないかね
徳川は間に合ってるけど岐阜からの距離も
浜松から駿河への距離も北条より条件がいい
ノブオタの秀吉ヘイト本当笑えるw
前座の負け犬の尻ぬぐいしてやった秀吉に感謝こそすれ逆恨みされるいわれないんだが
>>710
日本語で頼むわ。
前座の負け犬の尻拭い?
秀吉に感謝?
逆恨み?
何言ってるのか全然わからん。 >>681
北条は沼田問題が起こってから急におかしくなったと思う
これって単なる領土問題だけじゃなく真田への私怨もあったんじゃないかと 私怨っつーか何が何でも上野一国丸々欲しいって氏政の執念みたいなモノは感じられるな
何が彼をそこまで上野に執着させたのかは分からないが
>>713
まあ、経緯からすれば上野取れない事で散々苦労したしな。
本来川越の夜襲で扇谷上杉滅亡、その後1552年には武蔵全部取られて本拠の平井すら維持出来ず
越後に山之内上杉が逃亡ってなる。
本来此処で関東制覇でも可笑しくない無いけど、その後上杉謙信が上野から出てきて散々邪魔を
されるんだ。
その気持ちわかるけど、もう時代変わってんだよな、上野取っても中央から討伐軍くれば。 スレが進むほど氏政のダメっぷりが明らかになってきてるからいい加減やめて差し上げろ
本能寺後に領土拡張した成功体験によると思うぞ
中央が派遣した滝川追い払ってからイケイケだもの
それでも基本服従する気ではあったみたいだが
増やした権益を守ろうと交渉長引く間に打ち切られた
名胡桃城も氏政がこだわったというより現場レベルで
拡大路線から方向転換できなかったんかと
北条からすれば
徳川との和睦時甲斐信濃から撤退して上野は北条と、やや北条側が妥協したのに、
徳川の真田への扱いのせいで、沼田が手に入らずとなり、
豊臣から沼田の三分の二は認めるから妥協しろと、言われただからな。
>>707
16日、氏政、氏邦に10日以来甲斐駿河の情報が全く来なくなったと不信を伝える
19日、織田の大侵攻と武田の敗退を独自の情報網で知る
20日、氏政、出陣準備を発令
22日、氏政、氏邦に滝川一益から出陣報告が来たと伝える
書状見てると蚊帳の外、少なくともまったく当てにされてない感じやね
切り取った上野駿府の一部も返還させられたし元より北条に分け前をやる気はなかったと見える。 なるほど
2月3日木曾内通を受けて武田討伐決定
同時に森団の先遣隊が出陣
12日 信忠本隊が出陣
14日 岩村着陣
16日 鳥居峠で武田勢が撃退される
18日 家康が出陣
信長公記の記述だと3日段階で北条出陣もきまったような
書かれ方だけど実際の動き見るとその段階では
織田からの連絡はなかったってことだね
織田家が信濃攻略中に漁夫の利で甲斐落とされたりしたら
面倒なのは間違いないのでそりゃそうか
武田からの情報途絶は一連の軍事行動を隠すためだろし
19日に知った武田敗退は鳥居峠のことかなぁ
信長じゃなく前線向かう滝川一益から報告くるのも
侵攻状況を観ながら情報出してる感じはする
使者も武田領通るわけにはいかないから、
遠江から伊豆へ駿河湾越えて船で移動したんだろうけど、
冬だし天候悪かったりで時間かかっただけにも見える。
そもそも当時武田と敵対してた訳やん
織田から一緒に攻めようって連絡がなきゃ動けない時点で色々情けないって事にそろそろ皆気づこうか
>>716
イケイケ(上野途中で止まって信濃に入れず) 氏政は落ち目の勝頼や主家を失った一地方豪族の真田にすら勝てない程自軍が弱体化していた現実を認められなかった様にも見える
>>725
確かに、1580年代の北条軍は、かつてより弱体化してるよね。勝頼に勝てない、滝川にも一度は負けた、徳川に勝てない。
なぜここまで弱体化したのかな。 >>726
徳川に負けたというより徳川方に付いた信濃国衆(真田含む)に負けてる 上方との接続点だけ見てるとそうだけど
東に伸びて最大版図を築いてるのはその時期
元々伸びたいのは関東で天正壬午の乱は
どさくさで旧武田領を取れなかった時点で
徳川が西国との緩衝地帯になればよしと言う
政治判断だと思うぞ
それを弱腰と言うならそうだが
氏政は信玄に媚びる為に義理の兄貴である氏真の首を差し出そうとしたり
御館で景虎見捨てたり
敵対した訳でもない滝川の背中を刺したりと
信玄顔負けの周囲がドン引きする不義理を繰り返したからな
内政が安定してたから裏切りこそ出なかったが皆、内心は氏政に見切りつけてたんじゃないかな
だから戦争になっても士気が奮わなかった
>>724
その後武蔵の全域支配して下総上総、常陸下野の一部まで
一気に版図を広げてることを指してるわけね 10日までの駿河甲斐からの情報は多分諜報で
信長からの連絡とは無関係かと
武田は木曾の内応鎮圧の軍事活動に入ってた頃
>>722
確かに徳川が出兵準備にどれだけ掛けたかわからんけど
連絡自体は同時期に発せられててもあり得るか
20-22日頃に連絡が入っていて高遠包囲が3月1日
その後の進軍が信長も驚くスピードだった訳で
諏訪や新府でまともな抵抗があると想定してたなら
北条の甲斐への進軍も想定されてたと観るべきかもね
意図的な連絡の遅れがあったのか、偶然か
微妙な線で断定し難いね >>731
それは謙信が関東に来なくなってから継続ししてる氏康以来の事業だよ 弱小勢力には圧倒的に強い氏政
あれ?甲斐にも同じような人が
>>733
ちょっと勘違いしてるようだが事実として
後北条氏の最大版図は討伐受ける直前よ 北条軍って数は多いが、質は極めて弱いんじゃないか?
故人の見解です。
563 :人間七七四年:2010/02/05(金) 10:52:44 ID:3yiI98M8
ノブにはへーこらしてたのに
ノブ以上の戦力持ってたヒデに逆らったのはなんでなの?
ノブにもいざとなったら立ち向かうつもりだったのだろうか
本能寺後の動員は珍しく迅速だよね
564 :仙台藩百姓:2010/02/05(金) 14:10:02 ID:Abgtcxud
織田に対して遜り必死に媚び売ったのに
信長に散々コケにされた揚句に潰されかけたからトラウマになったのだお( ^ω^)
だから豊臣に対しては警戒心剥き出しにしたのだけれども
外交戦略というものは国の形態や指導者の性格によって千差万別なのに
織田と豊臣を同じにぐらいしか考えていなかったのが間抜けだお( ^ω^)
情報収集の怠慢と情報解析力の低さによる外交力欠落によって国を滅ぼした好例であるお( ^ω^)
弱いというほどガチで戦ったことあった?
里見ばかりじゃないか?
>>735
勘違いも何も氏政が氏康の事業を引き継いで広げて最大版図になったのは別におかしくないやろ
まさか最大版図になったから氏政が氏康より優秀とか言いたい訳じゃないでしょ? まさか秀吉が信長が勝ち取った地盤のおかげで天下取ったから信長が秀吉より優秀とか言いたい訳じゃないでしょ?
>>739
ん?なんか変な解釈してね?
オレは単に本能寺後関東で敵なしだったから
権益守ろうと交渉長引いてる間に打ち切られたと
言っただけだぞ
氏政の代で始めたとか氏康より優秀とか
そんな話は一切してないんだけど何故そうなる? >>741
それを語るのに最大版図とか関係ないやん 本能寺後も徳川真田上杉には勝てなかったしな
最大版図と言っても関東の反北条有力勢力を壊滅させた訳でも無い
スカスカな関東の荒れ地でちょっと押し込んだってだけだろ
それで自軍の弱体化と言う現実から目を逸らしていた
北条綱成も高齢化して、氏繁も死んだし、北条軍って1580年代に名将といえる武将いるのかな? ゲームでは綱成が1587年まで生きてるから本能寺シナリオでも楽だけど、実際の綱成は70近くで戦場には立ってないよね?
>>742
それはすでに先に語っててあなたが横から
氏康がどうこういいだしたわけだが >>745
だから東への伸長は氏康からの活動で
滝川とかの中央と関係ない特にイケイケじゃない話だと言ってるんだよ
いちいち最大版図を強調する必要もない >>726
元々、氏政が織田に近づいたのも勝頼相手に劣勢だったからだしね。
4〜5万ぐらい動員出来る力はあったのになあ。
>>732
2月1日に木曽義昌が信長の味方になると信忠に連絡があり
2月3日に北条氏政に出陣するよう通達したと信長公記にある。
そして勝頼が切腹したのが3月11日だから、本当に異常なスピードなんだよね。
現に信長自身が到着するまでに決着がついてるし、今みたいなすぐに情報が
伝わる時代とも違うからなあ。 そもそも武田攻めの際の武田軍が情けなさすぎる。木曽単独には負けるし。
鳥居峠になぜ進軍したんだろうか。
今更、木曽に攻め込んでも手遅れだし、塩尻峠と高遠、諏訪のラインをガチガチに固めて、迎撃体制を整えたらいいのに。
>>748
さすがに謀反の木曽を放置したら家臣から舐められるのは当然だし、
国衆の人心も離れると勝頼も焦ったんじゃない?まあどちらにしても
木曽が謀反した時点で詰みだったんだろうな。 おまえらが尾張に生まれて隣に松平今川斎藤北畠がいて尾張にも敵がいる中でどこまで這い上がれるか考えて見よう
武田の女婿である木曾と穴山が裏切ってた時点で組織的な抵抗なんて不可能やろな
>>746
中央に対してイケイケなんて言ってないって
関東で敵なしだからその権益を守ろうとして
交渉長引いて打ち切られたって話しか
オレは最初からしてないの 江戸時代の早飛脚が江戸〜京都間を4日
饗応受けながらの信長の帰路が甲府〜安土を12日
3日に安土をたった使者が20-22日に小田原着だと
直感的には時間かかりすぎと思う訳だけど
駿河を経由できないので微妙な線だなぁ
織田領、徳川領の整備はかなり進んでるだろうけど
駿河通れないと
遠江の御前崎から船で伊豆なんだけど、船の難所で冬はやばいとこだからな。
いずれにしても信長公記に「信長が命じて出兵させた」、「共同作戦として出陣」と
書かれていて、実際に駿河に攻め入った上に、信長に戦勝祝いとして何度も貢物を
贈った氏政へ、分け前はゼロ、貢物を気に入らないと返すぐらいの信長の態度は
かなり冷淡。2年前の安土に氏政の使者が来た時とは大違い。
多分、西国が片付いたら、四国や毛利よろしく、1、2か国ぐらいの領地を認めて
後は割譲しろと迫り、反抗したら征伐、従ったら小大名として残すという路線だったと思う。
氏政も武田亡き後の北条の利用価値をよく分かっていたから、あそこまで土下座外交をしたんだろう。
>>743
状況を説明すると、伊豆、相模、武蔵と征服し扇谷上杉を滅亡させ、山之内上杉を越後に走らせた
時点で本来なら光栄ゲームの終盤の作業だった訳。
でも、上杉謙信が上野から出てきたので残りの反北条勢力も同盟組んで対抗してて一進一退に成ってね。
本能寺の変時点では伊豆相模武蔵、プラス房総の一部で150万石が精々。
秀吉が徳川臣従させたのって、関東の反北条勢力から見れば切られたって事だぜ。
バランス崩れて房総、上野、下野で攻勢に出たんてで100万石ぐらい増えて240万石くらいまで増加
してる。
つまり、本能寺の変時点から見れば、50%ぐらい領地増えてんだよ。 >>756
本能寺で150万石もあるわけがない。
天正壬午の北条の動員は明らかに誇張だよ。 >>756
秀吉の小田原攻めでもたぶん200万石いくかいかないかだろう。
関東のうち、常陸と下野と上野の北部は手付かずだし、房総も里見や結城がいたし。
小田原攻めの時の北条は根こそぎ動員で10万だから。 >>758
この時代の関東は貫高なんで石高は飽く迄推定でしかないよ。
只、のちの徳川領と殆んど重なるんで其れから推測は可能ですね。
のちの徳川領との比較でみれば240は嘘ではないでしょ。下野や房総の石高を如何みるかの話。 >>759
ないわー
240とか7カ国をほぼ完全に支配して達成出来る数字なのに
里見や結城をはじめとする諸大名が健在な状況で達成出来る数字じゃない事は算数が分かれば理解できるはず てかそんだけ羽振り良かったら反北条勢力のひとつやふたつ壊滅させてて然るべきなんですが出来ていませんよね
ましてや秀吉が九州征伐に出払って上方の情勢気にせず軍を動かせる好条件で
北条軍の弱体化は否定できないと思われますが
北条は兵科ができてたんだ!(キリッ
と言ってたやつがいたがあの雑魚っぷりを見ると兵科が全くできてなかったから
軍制を整えようと兵科を推進したんだろう
どこまでできてたかは不明
逆に織田は兵科を定める文書は存在しないが信長公記見る限りできてるからな
北条は織田の強さを真似したかったんだろう
平山優や黒田基樹はよく著書で、北条や武田は軍役や検地がしっかりしていてデーターもあるからしっかりした大名家。
織田は軍役や検地のデーターが乏しく北条や武田より遅れた大名家。
ってよく言ってるけど。北条の場合は、内治があまりに整備されすぎて緊張感が無くなり、そのため織田みたいな急進的で後進国かもしれないけど緊張感がある国みたいに動けなかった?
底辺ヤンキー高校ら校則と生徒指導でガチガチだけど先進的でしっかりした高校
県内有数の進学校は校則が緩いから後進的な高校って事か
>>763
信長公記のどこを見たらできてた、なんて言えるんだろう… >>764
現行の法律的でも薬害が起こったり食中毒が起こったり品質問題が起こったりしたことで
問題が起こると法律なり規則なり最低基準が設けられる
問題が起こらなければ法律は生まれない
織田は基準を設けなくても出来てたから基準を設けなかった
武田に関しては兵の防具に関しても一々書かれてるから
武田の兵はまともな防具すら付けずに来てた兵がいたんだろうね >>766
馬廻りのみで急襲したり、鉄砲・弓兵で別動隊率いさせて急襲させたりしてるが? >>768
信長がやったそれは諸手、臨時編成でしか無いって指摘されてるからね >>763
その辺の兵科管理は普通に謙信や信玄もやっとるからな
むしろそっちの方が早い説まである
北条の特徴は騎馬の多さ 武田北条上杉は着到定書が残ってるからね
信長が兵種別編成をやったとする史料は残ってない
秀吉の代になって陣立書が出てくる
>>772
秀吉と信長の明確なレベルの違い
信長は軍制をきちんと整備するという発想が無い
秀吉の方が軍事的にも上をいってるわけだわ 問題は北条は天正壬午の乱でも物量で攻め、少数の徳川軍に翻弄されてるし
小田原征伐にいたっては若年〜老人に至るまで動員しようとしたり兵科とやらの戦果が一切見られないことだなw
>>768
馬廻、弓衆は身分役職であって兵種じゃない
馬廻の活躍は騎兵突撃じゃないし小姓弓衆だけ残したというのも
馬と鉄砲がいなくなったという訳じゃない
鉄砲を供出させての集中運用は記述がある >>769>>775
へえ〜北条は完全にできていたと?
例の北条の奉行定書みる限り鉄砲・弓の数はそれぞれ数十の少数だけど?
それから信長のように鉄砲・弓の得意な急襲部隊4000も集めるなら北条も臨時になると思うんだけど?
その他とは違う先進的な北条の兵科とやらには信長公記のように北条が周りを驚かせるような華々しい戦果があったんだ
出してくれるの楽しみだな 兵科別編成やっていたということと、それが無双してたかどうかは別の話だろ
北条だけじゃなく武田のやってたから差はつかない
武田にしても織田の数の暴力には敵わない
北条の例の奉行定書は北条全体が兵科に分かれて戦ってたという文ではなく
数十単位の鉄砲・弓の数字見れば備レベルの話
その槍・弓・鉄砲・馬などの数を確認しとけって文なのも知らないアホがいるんだゃ
>>776
北条が出来てたとは言ってない
軍役帳や着到も軍役負担者ごと
それぞれ観てくと槍何人鉄砲数丁単位で集められてて
兵科運用されてた証拠とは言えない
馬廻弓衆は兵科じゃないと言っただけで
北条は出来てたいう主張だと何故思い込む? >>779
>信長がやったそれは諸手、臨時編成でしか無いって指摘されてるからね
>鉄砲を供出させての集中運用は記述がある
だから北条の奉行定書はそれぞれ数十単位の鉄砲・弓の数
信長の鉄砲・弓の得意な急襲部隊4000のように集めるなら北条も臨時編成になる
それを北条は兵科ができてた!信長は臨時編成!って言ってたアホがいただけの話だな >>773
詳しい人が言って急に出てくる秀吉ageワロタ。 >>780
信長のは臨時、北条は兵種別編成を前提とした着到の時点で行われてた
少なくとも研究ではそのように言われてるから仕方ない >>774
むしろガチガチに固めていた弊害で逆に弱くなったのかもな >>782
その数が数十単位でしかも点検と数を確認しろっていう文の話
信長のように4000集めるなら各部隊から集めないとならないから北条も臨時編成になる
分かったかいお馬鹿さん >>781
上げるも何もそら秀吉は軍制をきちんと整備したんだから信長より上やろ
丼勘定のノッブには軍制整備の発想はできなかったわけやからな >>784
俺がそう思ったからそれは違うと言われても困る
研究に文句あるなら論文書いてどうぞ >>786
研究連呼しててもお前は古文書も読めないし、捏造と拡大解釈してるだけだろ
今回も原文が読めないから数十単位の話で、しかも数の確認と点検の文だって知らなかったんだろ? 織田家には着到が残っていないから動員が甘かったというようなことを誰ぞがツイートしてたら、平山優が否定してたけどな
戦争はやはり指揮官の質も影響するんじゃないかな、氏政は義元に似て軍事は弟や一族部下任せだし、政治ができても軍事ができるとは限らないし。
氏康は政治に戦争に参加したけど、3代もたつと、君主は戦争に行かなくなるものかな?
>>788
平山著書と言ってること違うねそれだと。
まあ平山は他の著書の引用みたいに言いながら織田氏の軍役について言ってたけど。
織田氏の軍役が明確ではないという証明によく使われるのが、天王寺砦の戦い。あれは公記でも兵力が集まらなかったと記録されてるからなあ。やはりいきなりの動員でも、1万は集められないなら軍役がしっかりしてなかったのかな織田氏は。 時間が限られてて集まらないのは
軍役定めてようと起こり得る
数を揃えていようと他の武装と混在してるなら
兵科ごとの運用を行った証拠にはなり得ない
結論ありき
>>784
いつぞやの臨時編成厨かな?
普通に大名行列は見事な兵科編成やし戦国末期なら大体の大名が兵科編成やってたやろ 佐久間の叱責はともかく、天王寺を理由にするなんてはじめて聞いたぞ。
一体誰がそんな主張しているんだ?
>>790
天王寺砦の戦い
5月3日、本願寺勢が一万が出勢
↓
天王寺砦が囲まれる
↓
京都にいる信長が敗戦の報を聞き諸国に陣触れ
↓
5月5日、供廻りのみを率いて出京
↓
急な陣触れのことであり、天王寺砦から三日五日は耐え難いとの注進が届く
↓
5月7日、信長は見捨てることはできないと3000ばかりの兵で出撃
これで軍役に問題があったとか言い出すのは凄いね
急な陣触れでも3〜4日で数万ワープしてくるのか >>787
個人的な感想言われてもね
あぁそうですかとしか 信長アンチの戦国時代には新幹線とか飛行機があるんだろ
ちなみに長篠の戦いは岐阜に帰還が4月28日、出陣が5月13日で約二週間かかってる
しかも鉄砲の玉弾調達を細川に頼んでる
急な陣触れで3〜4日で数万集まるとはどこの天才だ?
>>792
臨時編成厨って何のこと?
コロナ自粛終わって休みの日か平日は希にしか来れないけど、その文面白そうだから読んでくる
いつの話?
>>796
まあ最後はいつもそれだよな() >>799
思い付き、感想、願望を根拠として喚かれてもね 学者の名前出すならその人がどんな史料を根拠にどのような論法で結論に結びつけたのかその学者さんの著書の内容を引用して説明しましょう
学者さんの著書なり論文なりを読んだのなら簡単な事の筈
ネットで拾った浅はかな知識しか無いなら学者を引き合いに出して自分の主張をごり押しする様な醜悪極まる行為は止めましょう
>>734
里見を滅ぼせなかった時点で弱小勢力にも大して強くないのでは? >>800
研究連呼君みたいに自身の知識が無く、古文書が読めなくて、フィーリングで訳して願望、捏造、拡大解釈してる奴に言われても…() >>799
長篠で信長が鉄砲隊を抽出して集めた事はむしろ兵科単位での管理が行われていた証左になるんだけど
いつもは管理されてなくて臨時編成で集めただけだからと信長が超人であるかの様な説をしつこく唱えてた人がいてね >>805
そいつは>>769だな
俺の論は、信長が臨時編成と言うなら北条の兵科の奉行定書は数十の鉄砲・弓の数の備え単位しか書かれてないから
そこから信長のように4000の鉄砲・弓の得意な者を集めるなら北条も臨時編成になるって話だから 兵科が本当にしっかり管理出来ていたのなら北条の軍が長篠後の武田や御館でボロボロの上杉に遅れを取る訳無いしな
聞くところだと兵の防具すら用意できず氏政は泣きを入れていたらしいじゃないか
軍制に先進的なアイデアは持っていたが実現できる準備が出来ていなかったと言う所では?
正直兵科については関東も上方も
織田も武田も北条もないよ
何処の大名家でも所領持ちの侍がそれぞれで
騎馬も槍持ちも弓鉄砲も自前で揃えて集まる
備が大きくなるとバラバラにいても役に立たんので
弓鉄砲、槍衾を組んで戦う
>>807
その頃はどこの大名も当たり前の様に兵科管理しとるからメリットにならん 当時の合戦の常識としてまず矢合わせから
近づいたら槍衾を作って接近戦
これをしてない大名家があったとか
最初から別々に集めて運用してる家があるとか
そういう話はない
>>808
何で各武将の徴集ルールが厳密に決まってるのか
備に組み込まれる際にバラされて兵科事に編成されるからやぞ 史料は自分の読みたいように読む
それでいて声はでかい
>>811
決まってない大名家は備に組み込まれない
あるいは組み込んでも槍衾や遠戦武器を集めない
という主張をしたいの?
だとしたら単なる間違い
そうでないなら決まってるかどうか関係ない
馬鹿みたいな指摘 >>813
組み込まないとも集めないとも言ってないけどグダグダな備になるやろね
>決まってない大名家は備に組み込まれない
組み込んでも構成が分からないから扱いにくい
>あるいは組み込んでも槍衾や遠戦武器を集めない
構成が分からないから集めてもどのくらいの数になるか分からない(戦術を考え難い)
備がどの様に発展していったかは研究が待たれる所だけど最終的には大名行列なんかに見られる兵科管理に集約していった事だけはハッキリしてる それこそ史料にない捏造では?
あと兵科というのは騎兵なら騎兵、砲兵なら砲兵と
それぞれ部隊を作ることを言うので
単に戦場で集まるだけのものは兵科管理ではないかと
織田軍はグダグダだったというのは史実の戦績と異なるね
何を論拠にしてるのか不明だ
>>815
まず最終的には江戸時代に大名行列という行軍で兵科毎の部隊編成がされている事実があるから捏造ではないんだよ
後は各大名がどのくらいのタイミングで兵科毎の部隊編成を取り入れたのかを調査する段階
上杉なんかだと謙信の代にはそういった編成になってたという研究成果が出てるね 最新の研究で細川元首相が細川管領家の血筋で無いことが判明してワロタ
>>815
それを言うなら北条も同じでしょ
>>782-786の流れ見ると研究連呼君だけが信長は臨時!北条は兵科ができて画期的だったんだよ!と一人喚いてる
原文が読めないからあれが人数の確認と点検するための文と分からずに() 平山、黒田、丸島、西股氏ら研究者が提唱してる事なんで
あんたのように研究も一切参照せず願望と思い付きでギャーギャー言ってるのとは訳が違うんだよね
>>821
だってお前、本とやらも捏造・拡大解釈してたし、古文書もフィーリングで訳してた前科あるやん()
名前出したところで議論放棄して研究連呼するだけだから誰も信用してないよ 研究家連呼認定の人がまずその研究家の著者を読まないから話が始まらないんだよな
>>822
貴方はまず最低限のマナーと言葉づかいから気をつけましょう そもそも信長が無能なら、日本史の偉人の大半が無能になってしまうことを理解しておこうよ。
>>819
そうだよ
兵科管理なんて近代の発想で
当時の戦争ではそんなことどこもしてない >>817
まさか大名行列が理想の軍隊だと
そんなの軍としての強さとは関係ないよ >>824
言葉使い云々はいつも研究連呼君相手してるときに出てくるよね
次は研究連呼サポート役がゾロゾロ単発で現れるワンパターン() そもそも馬廻を兵種別にカウントしてる時点で何の説得力も無い
信長の諸手鉄砲が臨時編成だということは西股、平山氏も述べていることで、そのような先行研究の把握すらできてないない人が何を言ってもね
>>829
図星でしょ
こんなところでいくら虚勢張ってお前だのお馬鹿さんだの書いたところで可哀想な人だなあとしか思わないけどね >>831
この時も研究連呼サポートがゾロゾロ来たよね()
>>830なんてコロコロ変えまくってるし
http://hissi.org/read.php/sengoku/20200510/bmhZQWc2NWI.html
↓研究連呼本体
330: 人間七七四年 [sage] 2020/05/10(日) 11:31:44 ID:nhYAg65b
相変わらず無知のようで
正確に言うと尾張半国を2分割する約束をしてた
大好きな信長公記に書いてあるのにそれも知らないんだね
386: 人間七七四年 [sage] 2020/05/10(日) 15:03:51 ID:+KWwSJrH
>>378
他人のことをお前するの止めたら?
387: 人間七七四年 [sage] 2020/05/10(日) 15:06:43 ID:uq5CrCZd
お前とかこいつ呼ばわりして攻撃性が高すぎて引く
392: 人間七七四年 [sage] 2020/05/10(日) 15:27:57 ID:tdLHMQDf
尾張半国と自分が無知を晒しておきながら
次に「相変わらず無知のようで」と言える根性が凄い
402: 人間七七四年 [sage] 2020/05/10(日) 17:05:23 ID:tdLHMQDf
>>330で一番最初に「無知」と煽った攻撃的なレスには一切触れない辺り
あ、察し
この時からバレバレなのに繰り返すんだよな() 軍役が数値化してない軍隊がグダグダだったとか
戦術が考えられなかったとかは史料にはない
数値化した軍隊がそのような有利を得たとするには
実際の趨勢とは真逆の結果になっている
>>832
いつも注意されてるのは自分だと自白しているようですねw う〜む。
軍役や内政がちゃんとしてるのに、北条や武田は戦国大名としては生き残れず、上杉も景勝の運の良さだけで生き延びただけ。これはどういうことなんだ。
体制がきちんとしている大名家ほど、次第に緊張感を無くしてそしてそんな家だから人材も見出せず、滅亡してゆくということなんだろうか……。
織田、毛利、島津などは軍役は豊臣時代に入るまではそんなにしっかりした家じゃないのに生き残っている。体制をきちんとしたから生き残れるとは限らないということなんだろうか……。
勝頼が長篠後に相当極悪な税金を領民に課すことができて、それが滅亡前までは反乱にならなかったのも、武田の内政がきちんと整備してされていたから、と理解していいのかな?
軍役の話になる度に指摘されてるけど、軍をより強くするためのもんじゃなく、
最低限頭数揃えるために決まりごとが必要ってだけで、取り決めなくても集まるなら要らないからな
>>830
奉行定書は鉄砲・弓はそれぞれ数十単位の備レベルだから全体の兵科の話を指摘されてるがスルーか?
はっきり覚えてないが西俣だったかな?
資料の奉行定書に小旗120本について触れられていて、軍属と誰々の備えである証の旗が
小旗部隊という独立したトンチンカン部隊でまとめて動いていたのかと疑問が言われてたはずだけど()
ちゃんと確認してくるね〜() だとするとやはり、指揮官の力量が当時はモノを言うのかな?
軍の組織なんて当時は未熟だろうしどんなに頑張っても。
時代が違うけど、南北朝時代に足利尊氏なんかゾンビみたいにあちこちで兵力を集めて再起して最終的には常に勝利してる。
尊氏も信長もひとかどの人物だし、やはり指揮官の力量やカリスマがモノを言うのかな?
>>835
毛利は本能寺で助かった
島津は降伏が認められた
運じゃん >>837
北条に関して言うと奉行定書による装備の人数確認されて、後に一人二人レベルの不足じゃなくて着到の半数が不足と書かれる者もいたからな
どれだけ今まで誤魔化してたんだよ、という…
北条が装備さえ整えられてなかったというのが明白なのに
北条は兵科が整えられてただの先進的だの、全く史料を読んでない奴がいただけの話だな この話の流れでなんでいきなり指揮官の力量云々の話題が出てくるのか理解に苦しむ
尊氏が何度も再起できたのは光明天皇がバックに居たからだぞ
もともと鎌倉幕府滅亡から南北朝時代の戦乱は持明院統と大覚寺統の天皇後継争いであり尊氏は持明院統の一勢力でしかない
尊氏の力量は認めるが繰返し再起出来た件にあんま個人の能力は関係ないぞ
軍役を定めた武田北条は先進的で優れてて強かった
定めてない織田は更新的で劣ってて弱かった
ただそう言いたいだけの願望でしかない
実際は武田は織田に瞬殺され
北条はその武田や徳川、上杉と言った大勢力は勿論、弱小勢力の筈の真田、佐竹、里見らを最後まで屈服させられなかったからな
結果を見れば軍制は機能したとは到底思えん
軍役を取り入れた秀吉も朝鮮征伐失敗しているしな
結局革新的でも何でもない役立たずの制度だったんじゃね?
武田はやはり長篠が痛かったかな……。
仮に長篠が無く本土決戦やれば勝てたんじゃないか?
織田は山岳戦は苦手だしやりたくないだろうし。
軍役がグダグダだったのに長篠で鉄砲隊を抽出編成し馬房柵まで作ったって凄くね?
信長は取り寄せバッグか何か持ってたのかな?
一律に動員を押し付けるのには役に立ったと思うよ
でも軍を強くする進歩なんかじゃない
かつて信長だけが兵農分離や新兵器鉄砲の活用で
他の勢力を圧倒する軍事力を持ったという
誤った言説が罷り通ったことがあった
軍役の改革で云々もそれと同じ間違いを犯してる
軍役を定めた武田は先進的で織田より凄い!
兵科を定めた北条は先進的で織田より凄い!
まあ言ってるのは研究連呼君だけだし()
というか織田も軍役定めてなきゃどうやって鉄砲の数揃えて馬防柵作れるって言うねん
まさか意識高い部下が皆勝手に鉄砲揃えたなんて思ってる奴おらんよな
>>844
尊氏って、秀吉並みに気前が良いエピソード山盛りだよ。
義理事で家来が大量の進物持って来ても、貰う端から恩賞として下賜したので
何も残らなかったとか。
まあこの気前良さで大大名だらけになったけどwwwwwww >>853
抑々、大名が大名な理由も軍役だしね。
自家の家来だけで備えが最低一つ作れる奴が大名「まあ中隊長だね」なんだよ。
旗本で3000石あたりから官位貰えるのも、そいつ中心に部隊編成するからだよ。
備えを指揮する奴が官位無いってかっこ付かないって事。 赤備えとか分かりやすい軍役の例だわな
要は昌景やら直政らが自身の備を構成する諸将に朱色の具足を指定して揃えさせてるって話やし
>>854
秀吉のどこが気前がいいんだよ。
自分に古くから仕えている部下をわずかな過失でぶっ殺すバカと一緒にするな。
尊氏は部下の過失なんてほとんど気にも留めてない(というか、それを直義が代わりにやっていた)んだから、秀吉とは度量が違いすぎる。 直義『お陰で皆から憎まれた挙げ句、兄者に56されましたよ・・・。自ら手を汚す秀吉さんは立派ですよ』
>>789
君主が前線に立たないのは勢力が拡大しきった大大名ならそれでも良い。
ただ勢力が拡大する前の伸び始めの頃だと人材もおらず潰されやすいので信長クラスの前線で精鋭を率いる戦上手じゃないと潰される。 大名はどこまでいっても軍事独裁政権やからな
いざという時に自身で兵を率いて戦えなけりゃ家臣に舐められるどころか存在意義を無くして下克上まっしぐらよ
信長狂信者の建て付け君が大暴れしとるな
ほんまに狂っとるわ
>>859
北条は家来の俸禄が少ないんで、西の方とは「毛利とか」全然違う感じだね。
譜代家老の松田ですら2800貫とかしか貰えてない。主君に迫る様な大身は皆無。
貫と石の換算は、2〜10と言われてる。 あれ北条て俸禄高くないの?
同じ東側の上杉は結構俸禄高かったはずなんだけど……。
>>864
西の方、例えば大友とかだと同紋衆「家紋が同じって事で準一門」とか居たりするけど、総じて
分家の勢力が強くて独立性が高い。
毛利は続に三家って言われるくらい吉川、小早川の勢力強いし。
北条は、一貫=2石換算だと筆頭の松田ですら6000石って事に成る。 しかし北条って長篠後の武田勝頼にもやられるし、結局は本能寺後に
徳川と同盟して西に不安がなくなるまでは関東の弱小勢も攻めあぐねていた、
動員平数は多いんだけど、指揮官の問題なのかな?
まあ氏政自身それが分かっていたから織田に土下座してるんだけど。
軍制が現実から剥離していて無理な動員が生じていたからじゃないか?
で兵の装備すら整えられず氏政は嘆いていたそうじゃないか
WW2のドイツも機甲師団構想とゆー画期的な戦術システムを考案したが
生産力が足りず必要な車両の数を用意できずgdgdになって負けた
いくら優れた制度を考えてもそれが実現できる前提条件が整えられないと成果は得られない
房総志料「里見氏九世、永楽銭ニテ采地割ありしに永銭壹貫文は高拾石に充と」
何でそんな状態で最近の研究者、すなわち黒田や平山は北条や武田が進んでたなんて言うんだろ。特に黒田は北条専門の研究者とも言えるから、よく調べたら普通はわかると思うが。
軍役で兵装を指定するという一点については
以前には存在せず後の世に存在してる以上
指定してない状態よりは進んでる
だから強かったとかそういう話ではない
北条軍が弱いとは思えない。
少なくとも川越夜戦とかでは強さを発揮してるし。
やはり武の要である氏康、綱成の2トップがいなくなって一気に衰弱したのかな?
そもそも弱いというほど戦ったことない
長篠の勝頼みたいに脳筋ならすぐ合戦になるが、慎重なら直接合戦にはなかなかならない
武田徳川上杉佐竹はまだしも真田如きに勝てなかったからな
あの頃の真田なんてせいぜい五万石程度だろ?
そしてその勝てなかった真田をまた攻撃したせいで滅亡だからどうしようもない
守り固めた城を兵糧攻め以外で落とすのはなかなか困難だよ
>>872
さすがに今ここで話されている氏政が勝頼と戦った時代(1570年代末〜82年)と
川越夜戦(1546年)じゃ同じ北条軍でも時代が違すぎるでしょ。30年以上も
時間が経ってるから、あの時代の30年って2世代ぐらい違うんじゃない?
指揮官も兵士も違ければ別の軍だよもはや。 >>868
正直、資料読んでも単位がまちまちで良く分からんよね。
一貫が何石に相当かも謎だけど、よく面積の単位「町歩」ってのも出てくる。
竜造寺の本家が5000町歩の領地持ってたとか出てきたりする。
これは多分、一町歩=10石で良いんだと思うけどこれも解からん。 >>878
綱成は1587年の死去だけど、さすがに1580年代には戦場には立ってないかな? 川越夜戦について黒田らの主張は
北条側においてこの合戦に関する感状が存在しない
上杉朝定の大金星の首を誰が討ち取ったかも存在しない
一万三千の敵首も誇張であり実際は二千八百程度ではないか
三方ヶ原合戦は夜前に始めたから武田の追撃をかわせたのになぜ夜間追撃で一万三千も首を挙げられたのか
夜間追撃で大戦果を挙げたのに夜間追撃という戦術の例が他にない
夜襲はあるがこれは同士討ちを避けるために数百騎の少数で行う撹乱である
兵力数千以上の場合は夜襲ではなく夜間に行軍し明るくなったら攻撃する朝駆けが一般的である
川越夜戦はまゆつばだよなぁ
間違えた
三方ヶ原は追撃じゃなくて浜松城までの付け入りと書いてあった
※付け入り とは敗走する敵軍を追撃しながら籠城準備させる間を与えずに敵城も攻めること
>>862
その貫高は納められる税の額で、
太閤検地の方は収穫高だから、
計算しやすいよう五公五民とするなら一応更に倍になる。 北条は4公6民だったよね確か。
よくやりくりできたよな。
政治は良かったのかな?
民政優先だったので下手に攻め込んだら民衆の反感を買い酷い目に遭うかもと言う抑止力は働いたかも知れん
謙信も信玄も小田原まで攻め込んでるが短期間に撤収してるし
相模に拠点を確保も出来なかった
民衆の抵抗に遭ったんじゃないかな
太閤検地が収穫高だってのは中学高校の教科書までの話だな。
>>885
小田原を攻めたといっても
秀吉みたいに支城を虱潰しにした訳でもなく
長期包囲出来る兵糧を用意した訳でも兵力的外交的余裕が有った訳でもないからね >>884
4:6とまことしやかに言われてるが
その根拠となるとまったくもって
ゴニョゴニョなのである >>883
そっちかなあ?正直貫高表示は解り難いんだよね?
地方により抑々貨幣の価値に差がある様にも見えてるしさあ?
仙台藩では一貫=10石だったのは有名だけど全国的にはもっと低いみたいだし。
そのうえ屡々町歩なんて面積の単位まで出てくるから、領地の評価は難しい。 >>885
あの時代は基本的に兵糧とかは自弁だしね。
のちの豊臣家みたいに奉行が兵站の面倒見る訳ではない。
だから大軍で有ればあるほど、兵站が維持できる時間が短いんだよ。
まあ、それが逆にのちの小田原評定の原因だけど。
20万の大軍が何か月も対陣して余裕を想像してない。 >>890
秀吉軍もあんだけ奉行がやりながら、最後の方は兵糧不足に悩まされてたんだけどね
チキンレース 北条家はファンが過剰に善政!善政!正義の味方!みたいな下駄を履かせ過ぎるてる
>>890
信長も遠征時の兵糧にはかなり気を使っていたな。
信長公記を読むと常備の兵糧とは別に、甲斐遠征用の兵糧八千俵を黄金50枚で
調達している。
その上で甲州征伐の時には遠路の出陣だから軍勢はなるべく少なくして
兵糧が続くように用意する必要があると指示を出してる。
だが結局は信忠が異常なハイペースで武田を滅ぼしたから逆に用意した特注の
兵糧が手つかずで余ってしまい、信濃の深志で各部隊に少し分けた。そうすると
翌日に北条氏政がまた米千俵を寄贈してきた。結局は帰路に駿河で接待してくれた
家康と家臣に八千俵全てを「もう必要なくなったから」と分け与えた。
秀吉の米買い占めは信長を真似たんだろうか。実は現地で食料を徴発するのは
近代まで当たり前で、日露戦争の兵士の従軍日記とか読むと、現地の農民から食料を
徴発する描写がかなり出てくる。まして戦国時代に計画的に買い占めをしているのは
すごいわ >>893
というか、もう必要ないからと他人にやるのが凄いな。毛利攻めがもし行われていたら、また同じように買い占めるんだろうか。 >>894
家康がかなり大規模な接待したから返礼もあったんじゃ?
米以外にも秘蔵の家宝を色々渡したらしいし >>891
それ
当然の様に末端まで回らず足軽が苦労してる姿を北条方が見て報告しとるだけやぞ >>893
徴発というより現地での買上げやな
信長に限らず手持ち以外で一番効率的なのがこれ
本陣近くに市が出来て周辺の百姓商人が売りに来る 秀吉のために明智や細川を使って船で兵糧を送ってあげるノッブ
中国大返しも信長本隊から先発した堀秀政が兵糧や寝床の準備してたっていう話
北条さんから送られて来た馬は気に入らなかったから返した
>>898
敵地にいる場合は商人は国主の報復を恐れて敵軍には持っていかないけどね
近隣の同盟国の商人に運ばせるしかない
謙信の関東征伐で勝手に小田原城包囲軍を抜けた奴等は負担が大きかったからだし >>893
家忠日記によると甲州征伐が始まる前の1581年12月18日に信長家臣の西尾義次が遠江の牧野原城に兵糧搬入しに来たと記してる
そっちは家康の米の買い取りだから別件だろうね
兵糧準備は三ヶ月前から始まってるんだよな 準備するのは当たり前で準備したことと、それが充分だったかどうかはまた別の話
それに信長や秀吉が支給する米は原則有償でタダではないことに注意がいる
>>902
それは武田も同じ
逆に利子付きでないことはあるのか >>902
まあ、ローマが相手を完全に滅ぼすより同盟関係を好んだ理由も兵站だしな。
同盟国や同盟部族に兵站に協力させた。地元民の協力者居ないと万単位の兵站は
きついし。 >>901
兵糧搬入や買い取りが行なわれていて、何にも察知できない武田家の諜報網ってヤバくないか? 牧之原だと武田領のすぐ近くなのに。 武田の諜報力なんて一次信長包囲網の浅井朝倉が抑えられて不利になってるのが分からずに出陣したり
長篠の時もガバガバ諜報力だし優れてたことはない
兵糧搬入が察知できないとか少し酷すぎる。
信玄自慢の諜報係は何やってたんだよ。
兵糧運搬なんて日常的にやってたはずだし、仮に知ったとしてもなんの対策をすればいいのか
織田の侵攻に対する警戒なんて長篠後からマックスでやってるし
単に武田を貶してレスバトルしたいだけなんだろうけど
>>901
甲州征伐は木曽氏の内応と浅間山の噴火がきっかけで、信長流の速攻だったから、牧の原は甲州征伐とは無関係では?
対武田のための兵糧搬入なのは間違いないだろうが、前線に侵攻用の糧秣置いても意味ないどころか逆用されかねない >>893
そういいつつ、「軍勢が多くなるように、分限相応にめっちゃ努力しろよ?」と命ずるブラック企業
こういうとき、秀吉、光秀なら借金をこしらえても軍役以上の兵をだす
なお、佐久間親子は… 衆道の英雄・信玄は叩くとキレるがノンケの勝頼は容赦なく叩くんだよなぁ
>>914
信玄はよく分からん奴(高坂さんではない)に出した手紙が残っているだけやろ
それで何で衆道の英雄なんだ?
過大評価しすぎだろ >>909
日常でやるのと戦時でやる違いもわからんのか? 明らかに数が違うだろう。
警戒マックスだから。
警戒マックスで木曽の裏切りを察知できないとかどのみち詰んでるだろ。本能寺みたいに無警戒じゃないんだぞ。 >>918
長篠後から木曽を警戒してたのも史料からも確認できるぞ
木曽の家臣を懐柔しようと別の信濃内に領地与えたりもしている
人質もがっつりとってるし、どうしたらよかったかと言うともう領地替えしかないな
そんな簡単じゃないよね そもそも>>901についての話だろ?
1581年末の兵糧入れは別に翌年の甲州征伐への
準備行動ではない
(甲州征伐は翌年3月の木曽内通で急遽決まった)
>>905は前後関係分からずボケかましただけで
そこから諜報がどうとか無理に屁理屈重ねても
ますます阿呆な話になるだけだぞ >>920
長篠の前にも対武田に大量の兵糧を三河に送ってるし
急遽決まったわけじゃなくいつでも戦えるようにしてるだけだろ
むしろ木曽調略の後に先陣衆がすぐ動けてるあたり急遽というわけじゃない
高天神の続きで最初から木曽が崩れたら攻めるつもりだったんだろ
信忠軍は武田くらいしか攻める所無いから >>919
木曽だけを警戒してたわけじゃない
坂西氏が内通→岩村城が織田に攻められる→織田に近い木曾義昌、下条信氏、小笠原信嶺、春近衆以下に目付を置き、懐柔策を図る
岩村城落とした後に信長は武田を攻めるつもりだったが、坂西氏以外の内通者が出なくて謙信も呼応しなかったから断念
勝頼の監視と懐柔策が功を奏したのか木曽だけを警戒してたわけじゃない 木曾をいくら警戒したところで
親族の代表格穴山が裏切って人質逃してたら組織的な抵抗なんて出来んけどな
三好一族や宇喜多の真似して全力土下座しかなかったと思う
信勝と松姫を人質に差し出し領土を割譲すればさすがに許してくれるだろう
>>921
だからいつでも準備ができてたってだけで
諜報がどうとかに無理やり繋げる話じゃないじゃん
信忠軍はこれまでも近畿中国と転戦してて
武田以外攻めない訳じゃないぞ >>922、923
ということで武田の諜報がどうのこうの、木曽を察知どうのこうのは完全に的外れということで >>924
木曾や穴山の裏切りが決まった後だと手遅れやけどな
特に穴山は武田の名跡を継ぐ事を条件に寝返っているからむしろ滅ぼさなきゃいけない立場になってるし >>925,926
高天神城の件が既に武田の威信を失墜させて、調略しやすくするようにして
武田に攻め込む準備も万端にしてた
甲州征伐が急遽決まったとか言い出すのが間違い
仕込みは高天神城から始まってる
威信を失墜させるための高天神城の降伏を拒否しろは信長の指示だし >>928
そりゃいつかは織田が攻めてくることくらい知ってただろ
で、何?
勝頼にどうしろと言うんだ?軍師様よ >>929
>>901が俺で諜報云々は俺じゃない
だから920で甲州征伐が急遽と言ってるから反論してるだけ
それに>>911は君だろ
>前線に侵攻用の糧秣置いても意味ないどころか逆用されかねない
当時の信長の書状見てきなさい
武田は高天神城の援軍に来れないと弱気なのを見透かされてる
そして高天神城の件で武田の威信が完全に失墜
兵糧を逆用されかねないと言ってる時点で背景を当時の情勢を全く理解できてない
そして最前線に置く時点で逆に攻める気満々だということが分かる
防衛のための兵糧なら浜松城に置くだけで十分だし >>930
滅ぼしたあとじゃ武田分家の姫なんか価値ないものね >>920
甲州征伐は急遽決まった訳ではない。
まず信長は長篠以降、織田と和睦を願って色々コンタクトしてきた
勝頼を無視し続けていた。佐竹義重を仲介人として信長と和睦しようと
するがスルー。人質だった織田信房を織田家に返すがスルー。
逆に81年に高天神城が陥落すると調略を強化した上で、
正親町天皇に勝頼を朝敵と認めさせ、武田討伐の大義名分を用意して
黄金を使って大量の兵糧を準備。12月に翌年に武田領へ侵攻すると
家臣に伝達。つまり81年の段階で調略を強化して、大義名分と兵糧を準備。
その結果、翌年に木曾義昌が寝返り侵攻開始。木曽内通はあくまで
侵攻のきっかけになっただけで、元々82年には武田征伐が計画され、
81年の段階で天皇への根回し、兵糧の準備、調略など入念に準備されていた。 >>933
どーかな。松姫は領民に慕われてたってハナシもあるし
甲斐信濃の統治の為に正室に迎える事も無いとは言い切れん
この二国は難治で有名だし領民を靡かせる手は出来る限り打つと思うし >>935
三条さんは武田の縁戚なのに、織田との和睦をとりもつとか、朝廷の情報を武田に伝えるとかしてくれなかったのかな。 >>933
大いに価値有ると思うぞ。後世の目から見ても、松姫の子の一人が織田の分家の武田家を
作るかもしれんって思うじゃん。
武田家のお家再興が有るかもしれんって成れば、甲斐信濃の土豪も静かに成るしかない。 >>936
領地もらったの長可だよね?
力丸か坊丸が婿入りして武田を名乗るとか >>937
三条家は義信事件の前くらいに断絶して
かなり後に三条西家から養子入れてた
三条西家と武田とは繋がりがない
三条西家は青苧の税で収入得てたから
青苧の税を納めない武田とは揉めてたような・・・ >>931>>935
諜報が云々の話が的外れと言ってるだけのレスに
延々と粘着しといて何言ってんの?
誰も高天神城からの戦略的繋がりを否定してないし
単なる事実として甲州征伐の発動は木曽内通から
まさか「信長は木曽内通まで甲州征伐なんて考えてなかった」
なんてとんでも説をオレが唱えてるとでも思ってたのか?
だとしたらそんなことは全く言ってないぞ >>942
別に俺は粘着なんかしてないわ。
甲州征伐が木曽の裏切りで急遽決まった説に突っ込んだだけで。
前年に天皇にまで手を回して準備までしてるんだから。 >>942
お前が(甲州征伐は翌年3月の木曽内通で急遽決まった)
と書いたから突っ込まれてるんだろうが。
自分で「急遽」とハッキリ書いておいて何を言ってんの? あのタイミングでの出兵、甲州征伐の発動は
木曽内通で急遽決まったものだよ
でもそれはそれ以前の準備なんて一切してしてない
なんて阿呆みたいな荒唐無稽な主張じゃない
「史実で実際に起きた」甲州征伐の出陣がいつ決定したか
「いつか」甲州征伐をすることがいつ決定したか
これがごっちゃになってるから話が平行線なんだろう
元の話は>>905の「諜報で甲州征伐防げた」説に対して
前者の意味で3月に決まるので年末の諜報関係ないべ
って話
それに対して「はぁ?それまで信長は甲州征伐する
つもりがなく急に決めたとでも?」と突っ込み
そりゃまあ両者はぁ?てなるな そもそも木曽にしてもいきなり寝返った訳じゃなくて81年の夏には
信忠から書状を受け取っていて、信長は根回しや兵糧の準備をしている。
これで急遽っていうのはおかしいよ。
まあ俺も勝頼は長篠で大敗した時点で無理ゲーだと思うけど。
でも別に前年末の徳川の兵糧入れ段階で
3月に木曽が寝返るとわかってた訳でもないし
それがいつになるかは木曽が決断するまでわからない
だからオレは急遽と言っただけなんだけど
何をそんなに拘ってんのかよくわからんのよね
3月じゃなくて2月1日でしょ?
そんで3日には1万5千の先鋒隊が出陣してるから準備良すぎ。
もう寝返る話は出来ていて織田の準備を待ってたんじゃ?
木曽だけじゃなく穴山とも。
>>949
2月1日は公記の記録。
他は1月27日とかになってる。
2月1日に内通してそれが信忠、さらに安土の信長にまですぐ届くってさすがに無理じゃ無いか?
私はなぜこれほどまでに小早川隆景が嫌いなのか!? 大体は侵攻に調略が含まれるから木曾の裏切りの後で計画って可能性は低い
単に思った以上の大物が立て続けに調略されたってだけで織田側も面食らってたかもしれん
木曽内通まで武田責める計画はなかった
と言う話はしてないのね
一応
>>948
>>920が「甲州征伐は木曽内通で急遽決まった」と>>901にレスしてるから901の俺が反論してるだけやで?
織田は武田を攻める気満々で高天神城での武田の威信崩しから兵糧の準備、調略をガンガン進めてるのに
しかも武田の威信が崩壊した高天神城後に武田との最前線に入れた兵糧が甲州征伐のためではないと言ってるんだから
最初から武田を攻める計画はなく突然だったと言ってるようなものだからそりゃ反論される
それに対して関係ない諜報云々と関連付けて粘着してたのは君だろ ↑のアンカー間違えた
>>942宛ね
間違えた宛先は偶然で同じ人かな? 最前線の城は敵の勢力と隣接してるから
攻勢の有無にかかわらず兵糧入れはあるよ
だから織田が武田攻める気攻める気なかったとも
なんの準備もしてないとも言ってないっての
こんだけ言ってんのに未だにとんでも説主張してると
頑なに思い込むのはなんなん?
>>957
防衛だけのためなら最前線に入れる必要ないけどな
>>958
>>920で兵糧準備ではなく甲州征伐は急遽決まったと言ってるからなぁ
二つのIDとも誰でも知ってる甲州征伐が3月と間違えてるあたり… だから史実の甲州征伐があのタイミングで
発動することが決まったのは木曾内通受けて急遽だよ
いつかやることなのはそりゃ決まってたし
そのための準備もしてた
たったそれだけのことを何を長々拘ってんのかわからん
仮に内通なく数ヶ月そのままの状況が続いたとしても
年末の兵糧入れは必要関係なく必要だったでしょ?
それとも内通なくても史実のタイミングの侵攻が
決まってたとでも?
というかこの文脈で急遽という言葉だけで本気で
「信長は武田を攻めることを木曾内通まで一切考えず
準備もしてない」
なんて主張をオレがしてると思ったのか?
だとしたらちょっと日本語不自由過ぎるぞ
>>962
最初から武田攻めの準備してるという主張なら>>920でなぜ兵糧入れを準備行動ではないと言い切った?
それで甲州征伐が急遽決まったと言ったんだから言い訳不可能
しかも木曽調略も3月と間違えてる有り様
人を責める前に自分のレスを見直せ 武田攻め自体はするの決めていつでも動けるように
してる
大規模な攻勢の時期を定めて史実の甲州征伐に向けて
準備してる訳じゃないという話をしてる
そしてその話をしたのは>>905の「諜報で防げた説」
に対してそういう問題でないと突っ込むため 責められてる気分なんだったら勘違いだよ
なんで延々レスされてるのか本気でわからん
むしろこっちが責められてる気分で困惑してる
そもそも木曽義昌は信玄の娘婿、勝頼の妹婿なのに、警戒する必要てあったのかな?
義昌が「俺武田に尽くします!」っていう気でいても、勝頼がそれを信じずに疑っていれば、そりゃ忠誠ややる気も薄れるだろう。
どんなに頑張っても信じてくれないって。
平山が最近、勝頼は木曽に過大な負担はさせてなかったと言ってるけど、これは事実なのかな?
今まではよく「勝頼からの負担にたえかねて信長に寝返った」と言われてたけど。
義昌を疑っていた勝頼が、義昌に負担を求めなかったって矛盾してない?
>>965
そりゃそうだろう
>>920が901の甲州征伐の兵糧準備を否定して、甲州征伐が木曽内通で急遽起こっただの書いたから901の俺が反論してるだけだ
それに対して901と関係ない諜報云々と本題から逸らして>>942で粘着云々と煽り出したのが君だから
しかも>>962では日本語不自由と言い出す
原因は全部君な 何がそりゃそうなのかわからんけど
どういう認識なのか、どういう文脈で発言したか
すでに説明した通りだよ
>>967
いつもの粘着君だから気にしない方がいいよ それなりに大物である木曽が裏切ったんだから木曽は織田が戦略上是が非でも守ってやる必要がある
そこそこ難所の木曽路を安全に通れるようになったのもでかい
寝返ったあと直ぐに信忠軍の先発が木曽の援軍として出陣してるし事前に準備してたと見るのが当然
>>947の通り調略は前から始まってた
山家三方衆の奥平も内通は寝返るずっと前
郡上遠藤も内通はずっと前にしていて春に離反決起しろと催促
飛騨の国衆も武田に属しながら上杉に内通する両属
武田征伐は木曽内通で急遽じゃなく 木曽の離反決起待ちだったが正しい
冬前に決起すると雪で木曽に織田援軍が来るかも解らず孤立する可能性有り
武田征伐軍も雪で行軍兵站難航しそうだから冬が終わるのを待ってた 仮に木曽が寝返らなかったらどうだったんだろ。
木曽を力でつぶして強行するのかな?
高天神城みたいに武田は織田を恐れて後詰めさえ出さず見捨てるから
武田に属しても犬死だぜ?って調略強化して武田の信頼を完全に粉砕したわけだから
木曽が裏切らないってことは逆にあるんだろうか
武田軍は裏切りと敵前逃亡で戦わずに崩壊してるからむしろやり過ぎた感がある
何れにしても信長は無能だった。
武田攻めでは信忠の方が有能だと証明された。
有能無能とか言ってる奴はゲームのやりすぎだな。こういう低脳は黙ってろよ。
武田の威信を崩壊させる原因となる高天神城の降伏を許さなかったのは信長の指示なのを理解してない>>975が一番の無能というw >>975
無能ってか雑魚専
倒せたのは格下と内ゲバでボロボロの雑魚ばかり 世間のノブオタのためにここで一言
信長はすごい偉業残したけど、まだ世間に知られていない
まあ楽しみにしててください、そのうち出ますよ
黒田とか細川とか毛利って低脳だったんだろうな
金沢で洪水とか聞いたことない
加賀前田
米沢上杉
越前松平
津藤堂
土佐山内
洪水のニュースをあまり見ない
福岡黒田
熊本細川
薩摩島津
長州毛利
岡山池田
広島浅野
大分
毎年のように洪水のニュースを見る
今月も等身大の信長の本がまた出るみたいで楽しみ
実像の信長がどんどん知れ渡っていって素晴らしい
>>973
信長の征服戦と内応は基本的にセットだからな
大大名が速攻で滅ぼされたのでは朝倉氏がいるけど、あれは追撃戦のつけこみみたいなものだし、事後であれ中枢から内応者も続々出てきた >>984
というか、信長の著書がそうやって毎年出るってことは、やはりそれだけ注目されて、学者にとっては商売になる素材なんだな信長って。
秀吉や家康なんかなんだかんだ言われても、結局は信長の二番煎じだな。 >>983
高知は水害多い土地だぞ。
しかも交通が悪い。 >>984
表紙に桶狭間は偶然の勝利と書いてあってニッコリ 信長を崇めてる奴等って本当にゲームしか知らない低学歴のニートばかりだろう?
信長なんてその辺に転がっている凡人だよ。
例えば信長が何処かの百姓と入れ替わっても結果は同じだろう。
ID:tmHU8W3B
いつものバカ。
お前こそ働いてないニートだろ。
何にもわかってない。
>>983
三重も水害多い。
米沢は……言うまでもない土地。 例えば俺たちが上場企業の社長に成り代わったとしても業績を落とさず経営し続けられるだろ?
>>990の言う通りなんだよ 単純に990への煽りだろ。
これぐらい馬鹿なこといってんだぞと言う。
信長は運が良かっただけなんだ、俺だって運さえ向いてくれば成功できるんだ
俺は無能なわけじゃない、運が無いだけなんだ、俺は悪くないんだ…
lud20200721212902ca
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