『おさかな天国』という歌を覚えていますか? 食卓になじみ深い魚の名前を盛り込んだ歌詞と明るいメロディで、子どもを中心にとても人気が出た歌です。
魚介類は、お祝いの席の鯛の尾頭付きやお寿司、おせち料理の棒たら、毎日の食事に出てくる焼き魚や煮付けなど、日本人の祝いや日常の食卓に欠かせない食材。
しかし、今のような流通網が完成する以前、海から離れた街では鮮度の良い魚介類はなかなか手に入らないものでした。そんな時代に大きな役割を果たしたもののひとつが、新鮮な魚を背負い鉄道に乗って海から離れた街まで魚を売り歩いた行商人です。
今やほとんど見かけなくなっててしまった行商人。しかし、令和になってからあとも、関西にはまだ少ないながらも鉄道を使って魚介類を運ぶ人たちと、その人たちを乗せる専用の列車が走っていました。
産地から消費者へ。行商人は鉄道を使って荷物を運んだ
行商人は、自分の店を持たずにリヤカーなどを使って商品を運び、路上などで商品を販売します。路上だけではなく、ときには一般家庭を直接訪れて商品を販売することもありました。今の言葉で言うところの、ルート営業のようなものですね。
自動車がまだそれほど普及しておらず、道路の整備もあまり進んでいなかった時代、多くの荷物を担いで手軽に遠くまで行ける鉄道は行商人にとって貴重な足のひとつでした。
「なっぱ電車」を運行していた京急。当時は「青電」と呼ばれる青い車体の列車を走らせていました
鉄道を使った行商人は、かつては日本のあちこちで見られたようです。たとえば京成電鉄は昭和10年(1935年)から野菜の行商人専用の「なっぱ電車」という列車を走らせていました。なっぱ電車の利用者は、大正末期(1923年ごろ以降)から増えた千葉・茨城方面から東京に向かう野菜の行商人でした。
なっぱ電車は戦後も走り続けましたが、昭和57年(1982年)に専用列車としての運行を廃止。通常列車の最後尾に行商人専用車両をつないで走らせていましたが、平成25年(2013年)にはその車両も廃止されました。
また、このほか国鉄(当時)の常磐線や房総線(内房線・外房線)などでも行商専用列車は走っていたそうです。
日本最後の行商列車。伊勢から大阪まで行商人を運ぶ近鉄「鮮魚列車」
時代の流れと共に行商列車は姿を消していき、なっぱ電車も平成25年(2013年)にその姿を消しました。しかし、関西にたった1つだけ、令和2年(2020年)になっても走り続けた行商専用列車がありました。それが、近畿日本鉄道(近鉄)の「鮮魚列車」です。
近鉄は、日本で最も営業距離が長い私鉄。大阪・京都・奈良などの関西圏の都市と名古屋・津・伊勢などの中京圏の都市を結び、総営業キロ程は501.1km。この距離は、東京~大阪間の距離にほぼ匹敵します。
鮮魚列車が走るのは、月曜日から土曜日までの週6日、1日1往復。朝は三重県伊勢市にある宇治山田駅から大阪市にある大阪上本町駅に向かい、夕方に大阪上本町駅から三重県松阪市の松阪駅に帰ります。
伊勢の魚の行商人たちは、朝、漁港で買い付けた魚介類を鮮魚列車に持ち込み大阪を目指します。そして大阪でお得意さんのところに魚を持っていったり自分の店で売ったりして商いを行ない、夕方の鮮魚列車で伊勢に帰るのでした。
近鉄宇治山田駅。鮮魚列車はここから出発します
魚介類は、お祝いの席の鯛の尾頭付きやお寿司、おせち料理の棒たら、毎日の食事に出てくる焼き魚や煮付けなど、日本人の祝いや日常の食卓に欠かせない食材。
しかし、今のような流通網が完成する以前、海から離れた街では鮮度の良い魚介類はなかなか手に入らないものでした。そんな時代に大きな役割を果たしたもののひとつが、新鮮な魚を背負い鉄道に乗って海から離れた街まで魚を売り歩いた行商人です。
今やほとんど見かけなくなっててしまった行商人。しかし、令和になってからあとも、関西にはまだ少ないながらも鉄道を使って魚介類を運ぶ人たちと、その人たちを乗せる専用の列車が走っていました。
産地から消費者へ。行商人は鉄道を使って荷物を運んだ
行商人は、自分の店を持たずにリヤカーなどを使って商品を運び、路上などで商品を販売します。路上だけではなく、ときには一般家庭を直接訪れて商品を販売することもありました。今の言葉で言うところの、ルート営業のようなものですね。
自動車がまだそれほど普及しておらず、道路の整備もあまり進んでいなかった時代、多くの荷物を担いで手軽に遠くまで行ける鉄道は行商人にとって貴重な足のひとつでした。

「なっぱ電車」を運行していた京急。当時は「青電」と呼ばれる青い車体の列車を走らせていました
鉄道を使った行商人は、かつては日本のあちこちで見られたようです。たとえば京成電鉄は昭和10年(1935年)から野菜の行商人専用の「なっぱ電車」という列車を走らせていました。なっぱ電車の利用者は、大正末期(1923年ごろ以降)から増えた千葉・茨城方面から東京に向かう野菜の行商人でした。
なっぱ電車は戦後も走り続けましたが、昭和57年(1982年)に専用列車としての運行を廃止。通常列車の最後尾に行商人専用車両をつないで走らせていましたが、平成25年(2013年)にはその車両も廃止されました。
また、このほか国鉄(当時)の常磐線や房総線(内房線・外房線)などでも行商専用列車は走っていたそうです。
日本最後の行商列車。伊勢から大阪まで行商人を運ぶ近鉄「鮮魚列車」
時代の流れと共に行商列車は姿を消していき、なっぱ電車も平成25年(2013年)にその姿を消しました。しかし、関西にたった1つだけ、令和2年(2020年)になっても走り続けた行商専用列車がありました。それが、近畿日本鉄道(近鉄)の「鮮魚列車」です。
近鉄は、日本で最も営業距離が長い私鉄。大阪・京都・奈良などの関西圏の都市と名古屋・津・伊勢などの中京圏の都市を結び、総営業キロ程は501.1km。この距離は、東京~大阪間の距離にほぼ匹敵します。
鮮魚列車が走るのは、月曜日から土曜日までの週6日、1日1往復。朝は三重県伊勢市にある宇治山田駅から大阪市にある大阪上本町駅に向かい、夕方に大阪上本町駅から三重県松阪市の松阪駅に帰ります。
伊勢の魚の行商人たちは、朝、漁港で買い付けた魚介類を鮮魚列車に持ち込み大阪を目指します。そして大阪でお得意さんのところに魚を持っていったり自分の店で売ったりして商いを行ない、夕方の鮮魚列車で伊勢に帰るのでした。

近鉄宇治山田駅。鮮魚列車はここから出発します