あれなんだっけ?っていう時に役に立つ。
でもググった方が速い
ハウツー本だろうな
どこに何が書いてあったかすぐ探せるように
電子書籍にも同じ機能があるだろ
普通紙の本なら付箋なくても
あれどこだっけ?を数秒で見つけられるよね。
スレタイの本文を「な」で終わらせる奴は漏れなく無能説
何回も版を重ねてるのに誤植が直ってない本って何なの
覚えておきたい、簡単に見つけたいところに貼る
おそらく
付箋そのものに字が書けるタイプが良いんじゃないかな
だがあまり多すぎると一つも覚えていないという落とし穴が
私も一度調べたものが、あとで二度と見つからない苦労は繰り返すんだけど
増えすぎたら意味がないのでやってない
これは単語ノートを作るとか、覚えるためと言っていろんな作業をするのと同じだ。
「作業に熱中すれば勉強した気になる」という落とし穴がある。
そして覚えようとはしていないため、覚えられないことになる。
できるだけ、思考を働かせて、覚えたてのことを思い出すしかなさそうだ。
私もそんな気になれないし、慣れないことをしようとすることもできなくて悩んでいる。
そんなことができたら東大通ってたわ、と言い訳しているw
(もちろん無根拠w)
勉強で何を目指すべきか、私もよくわからないまま今に至る。
解った範囲で言えば、どうやら実際に使うつもりで思い出すのが良いようだ。
どこかに遊びに行ったり、人前できゃっきゃうふふしているときに
たまたま難しい言葉を知ったら、その言葉は二度と忘れないことがある。
何の関係もなく、いきなり聞かされた言葉なのに、後で繰り返し勝手に思い出し、人生には役に立っていないということがある。
勉強すると覚えなくて、遊んでいると覚えている。これが記憶のヒントだ。
人は、覚えようとすると忘れやすくて
何かのついでに知るといつまでたっても覚えているものだ。
教育機関はこのことをさっぱり理解していない。
あとはいい加減にやっているから「勝手に覚えろ」と言うシステムになっている。
もし、時間があるなら、たまに読み返すのが良いだろう。
正確に覚えている自覚がほとんどないが、人に質問でもされればそれははっきりする。
(現実には質問されないのが困りものだが)
実は人に質問される機会があると、早めに記憶できる。
何度も見たのに、しっかりわかっていると思ったのに、人に聞かれて正確に思い出せないという屈辱は体験したことがあるだろうか。
趣味の世界でよくあることだ。
これは、今まで一度も人から聞かれなかったから、どれだけ覚えているか確認していなかったからだ。
実は一人で確認はしにくい。
他人をテストすると簡単だが、それを自分にやるのはなぜか抵抗があるものだ。
(だから、多くの組織では他人を縛り付けたがり、他人が敵かどうか試そうとする。
そういうことを自分にやれるか聞いたら、おそらくできないと答えるか、腹を立てるはずだ
他人だからできるのだ)
話がそれたが
どういうときに覚えているか、みなさん、良く思い出してみてほしい。
これまで生活していて、こういう時は覚えていたな
でも勉強すると積極的に忘れるんだよな、俺ってひねくれているよなw
と思う人がいると思う。
実際には、それで忘れるのが当たり前だったのだ。
無理に叩き込むと積極的に忘れて、何かのついでに知るといつまでたってもはっきり思い出す。
それが記憶のメカニズムの一部だったわけだ。
それがわかると、覚えられない理由は自分がふがいないわけではないとわかるだろう。
日本社会では、できなければ全部自分のせいにしろと言われてしまうが
それを言っている人は人のせいにばかりしている人たちである。
自分が不完全な人間なのを棚に上げて、他人に完璧を求めているのである。
そういう人は、すぐ人のせいにして、できないのはお前が悪いと簡単に言う。
もし、自分もやっているなら、どれだけ苦労するか知っているはずで一方的なことを言うはずがない。
日本社会ではできないことを自分のせいにしろと言われるから、その通りに自分のせいだという人はいる。
その人は記憶のメカニズムのことを考える暇もなく、人から言われてやっている。
自分で決めたと思っているが、これまでの人生を考えたら周りがうるさすぎたはずだ。
周りはかっこつけるためにあなたに善い教育を施していた可能性があり、
あなたは急いで自分で決めたわけである。
それで自分で決めたと思うようになる子供は大変多いのだ。
そういう子がいると思うと、私には不憫に見える。
親がかっこつけて子供をたきつけなければどうだったのかと思う。
親の言うとおりになっていること自体が、親の都合で子供に善い教育を施している気がしてならない。
親の態度で「あなたのためは、自分のため」という言葉は有名だ。
一枚は栞代わり
後は詳しく調べたい所に貼ってます
色違いにしてね
何故かわからないが、勝手に覚えているときがあるのは確かだ。
勉強すると進んで忘れるのに。
前に一人で学んだほうが覚えやすいと言ったが、
これも記憶のメカニズムだ。
それにあった学び方ができれば、いくらかは覚えていられる。
勉強の目的は理解できることだ。
付箋を貼るなど、単語帳を作るなど、作業をすること自体は悪いことではない。
ただ、作業に集中しやすいため、別に覚えているわけじゃないことは忘れてしまう。
単語帳を作れば、見てないはずがないから覚えていると思うのだろうが、おそらく錯覚である。
単語帳などを丁寧に作って、付箋を貼ってきれいにしたりして
単語を見ていないはずがないのに、不思議なことに覚えていないわけである。
書く以外のことをやるのを忘れているのだ。
私の今の理解では、外国語はどうやら「音読」をするのがいいようだ。
詳しいことは省くが、言語習得の最初は文字ではなく、音である。
正しい学習について考えていると、大事なのは音だと聞くようになった。
おそらくだが、文字の見た目を記憶するより、
文字を音読するか、その音を頭の中で鳴らすほうが覚えやすい。
その一環で必要なら付箋を貼る程度なので
ものすごい数の付箋になるとは思えない。
そういうことだから、
付箋を貼るのは構わないが、あくまでも理解できるようになるまでのチェックのためである。
好きだから凝ってみるのを止めたりはしない。
どんなに色鮮やかにするのを楽しんでもいいが、理解するのを楽しむのも忘れないでほしい。
おわり